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【イスラム-4】 13世紀 オスマン帝国の歴史 & 中東新国家誕生

2020年12月04日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 

BC16世紀  ヒッタイト王国

BC7世紀   ギリシャ人の植民

BC6世紀   ペルシャ人支配

BC3世紀   ベルガモン王国 : 羊皮紙

4世紀    東ローマ帝国  : コンスタンティノープル Byコンスタンティヌス 東方正教会→カトリック

13世紀   バルカン半島に侵攻---イスラム化 :元ユーゴスラビアにはイスラムが多い

 

【オスマン帝国の歴史】   オスマン帝国は中央アジア、現在の新疆ウイグル地区で発祥した。これが西に移って成立したのは

カラ・ハン朝 : 9世紀-1212、

カズナ朝   : 1151-1187

セルジューク朝: 1038-1157になるとトルコ人はカスピ海の西へ移動 首都:ブルサ

         分家がルーム・セルジューク朝(ローマ人が住んでいたセルジュークの地方)

            ルーム・セルジュークがビザンツ帝国を攻めたことで十字軍派遣が始まった

            初代オスマン・ベイ 2代オルマン・ベイ

              首都ブルサ

            3代ムラト1世 

              首都:エディルネ

         メヴレビー教団@13世紀:イスラム神秘主義 → 今は禁止

マムルーク朝 : 1250にはアフリカ・エジプトへ進出し、

1299年     オスマン朝をつくってオスマン帝国となる。

またインド北部には奴隷王朝1206-1290をつくる。オスマン帝国としての歴史は1299-1922年となる。

【ティムールによる滅亡前後】   

1389年のコソボの戦い  : セルビア滅亡 バヤジット1世

1396年のニコポリスの戦い: ハンガリー侵攻ではキリスト教連合軍(オスマン十字軍)と戦い勝利する

1402年のアンカラの戦い : ティムール1336-1405に敗れて(バヤジット捕縛されて死亡)オスマン帝国はいったん滅亡する

              が、ティムールはオスマン打破が目的ではないので故郷へ帰る

              → サマルカンド+イル・ハン国(農耕民族:今のイラン)+インド(トゥグルグ朝)+オスマン朝

                明を攻める前に死亡

                → 3代:シャー・ルフ

                     → 4代:ウルグ・ベク(天文学者、遺跡多い) 

                          → やがて北移民族(ウズベク族:遊牧民)に敗退/衰退

1453年にコンスタンティノープルを陥落 : 東地中海の覇権喪失 → 大航海時代の始まり

                     By 7代メフメト2世1432-1481(ビザンツ帝国を滅ぼす)オスマン帝国は復活する

                     コンスタンティノープル → イスタンブール 

                                   ・ハギヤ・ソフィア聖堂@1453

                                   ・スルタン・アフメトモスク

                                   ・スレイマン・モスク

                                   ・トプカプ宮殿:中にはハレム博物館   

                     クリム・ハン国(今のクリミア半島)を支配

                    (砲兵イエニチェリ+騎兵シパーヒー)

                     → スラブのマッチョ軍隊

1514年のチャルディラーン戦: 9代セリム1世の時代にチャルディラーン(サファヴィー朝ペルシャ)を陥落

               最終陥落目的はマムルーク朝カイロ → メッカ、メディナ支配(カリフ権威)

                                  スルタン+カリフ 

コンスタンティノープルは金角湾とマルマラ海に挟まれた鉄壁の防御力を誇る要塞であったが、海からではなく山から攻めることによって陥落させたという。オスマン帝国の統治システムは中央集権的な支配体制、イエニチェリ(領土内のキリスト教徒に英才教育を施してスルタンの親衛隊にする)やシパーヒーという騎兵による統治が行われていた。

16世紀半ば : コーヒーハウス → 英 → 仏(カフェ)に広がる :情報交換の場

【オスマン帝国の繁栄と衰退】   

    オスマン帝国の全盛期と言えば10代スレイマン1世(ソロモンのトルコ語読み)1494-1566。

1526年 モハーチの戦い : ハンガリーを獲得

1529年 ウイーン包囲  : 勝てずに諦めて撤退(スレイマンの相手はカール5世)

1538年 プレヴェザの海戦: スペイン・ベネチアに勝利

1571年 レパントの海戦 : スペイン(フェリペ2世)に敗北することで衰退に向かう

              以降王が文化に財を投入→軍事力低下 

1683年 第二次ウイーン包囲 : カルロヴィッツ条約でハンガリーを失い益々衰退する。軍事革命によりシパーヒーの地位が低下し、徴税制による地方分権化、ナショナリズム(多民族国民としての意識)の蔓延すると、ナポレオンの影響を受けて1811年にはギリシャが独立し、ワッハーブ派の離反が始まる。

        トルコの国旗にある月の形にパンを焼いて食べる:勝利の祝 → クロワッサン       

1714  トルコ-ベネチア戦争

1718  パッサロビッツ条約 :ハンガリーの残部、ワラキア西部・セルビア北部・ボスニア北部などをオーストリアに割譲

    ~1830 アフメト3世のチューリップ時代(領土と引き換えに和平)

        品種改良はオランダ → トルコが逆輸入 (トルコに行くなら4月のチューリップ祭 トプカプ)

 

レパントの海戦とコロンナ宮殿 :スペイン・キリスト教徒とオスマン・イスラム教徒の海戦。ローマにあるコロンナ宮殿には、この海戦を描いたフレスコ天井画がある。また映画「ローマの休日」でオードリーヘップバーン扮するアン王女が記者会見を開いたロケ地がコロンナ宮殿である。イタリアの貴族コロンナ家(イタリア南の小さな町コロンナが発祥)の当主が総司令官として活躍した。

美術品展示のギャラリー:17世紀のコレクション主義から生まれる 1700年完成

              アンニーバレ・カラッチ1560-1609「豆を食べる男」は最も有名な作品

              後にゴッホ、ドガなど印象派の画家に影響を与えた

イザベッテ王女1889-1984の部屋:レバノン貴族出身 コロンナ宮殿修復に尽力

                イタリア社交界の中心人物 

14世紀:宮殿は元々軍事要塞として建てられ、

15世紀:コロンナ家が住み、500年かけて改装されたのがコロンナ宮殿。

    ローマの復興に尽力したローマ教皇マルティヌス5世1369-1431との結びつきで富と権力をえる

17世紀:美術品が収集され、フィレンツェの宮廷画家(ローマ教皇マルティヌス5世1369-1431の肖像画)が描いた絵などもある。

    ローマ教皇、カトリックとの結びつきが富と権力を得たが、やがて美術コレクション主義につながる

 

 

1792  セリム3世によるニザーム・ジェディード改革 

    ロシアのエカチェリーナ2世にクリミア半島を取られたことで改革を進めたが失敗

1798  ピラミッドの戦い オスマン✖ VS 〇フランス ナポレオン1世

             スフィンクスの鼻が砲撃される(鼻@大英博物館)

1826  イェニチェリ廃止(常備歩兵軍団)西洋式化

1829  ギリシャ独立(常備歩兵軍団惨敗)

    エジプト自立(常備歩兵軍団惨敗)(ムハンマド・アリー1769-1849 アルバニア傭兵隊長)

                     ナポレオン1世(1769-)に勝利

                     アレクサンドロス大王の再来  

1839  タンジマート(イスラムの西洋化)

1853~1856年 クリミア戦争が勃発、英仏をバックに勝利するが・・

    最終的には敗戦するとパリ会議ではムスリムと非ムスリムの平等を求められる

1876  ミドハト憲法発布

1877  ~1878 露土戦争停止

1882  エジプトは英による保護国家となる→独立@1922(ワフド党:サアド・ザグルール) 完全独立は1936

    WW1ではエジプト人は英国人として戦う   

1908  青年トルコ革命 : マケドニアに駐留するオスマン帝国軍の部隊がスルタン・アブデュルハミト2世への反乱

              (ミドハト憲法)の復活

 

1914  WW1 開戦

1915  フセイン・マクマホン協定:サウジアラビアが蜂起することで、オスマンから独立することを約束(英の策略)

1916  フセイン・イブン・アリーはビジャーズ王国を設立してダマスカス侵攻陥落(Byファイサル・ハーシム)(英の策略)

    アラビア人ファイサルの監視目的で英が派遣したのが

         トマス・エドワード・ロレンス(父は首相ロイド・ジョージと知り合い)

         ファイサルと共に戦う : 映画アラビアのロレンス

    ビジャーズ王国は後にアラブ人のネジド王国に潰される@1925 (英の策略)

    ネジド国王イブン・サウードがアラビア半島に作った国がサウジアラビア@1932 石油発見@1938

               ┗現在2023年のサウジアラビア国王サルマーンは初代イブンの25番目の子    

1920  セーブル条約 : オスマン帝国敗戦条約 トルコ民族 軍人蜂起            

              領土は70%喪失 今のイラン--英領  今のイラク--仏領 (英の策略)

              西アジア独立:シリア、レバノン、イラク、ヨルダン、パレスチナ

    アンカラ政府設立 Byムスタファ・ケマム1881-1938 

1921  連合軍ギリシャのイズミル奪回  

  

1922  オスマン帝国滅亡 :アンカラ政府(共和制の民族主義)はオスマン政府(帝政)を倒す  

              スルタン制廃止

1923  トルコ共和国誕生 :ローザンヌ条約(連合とアンカラ政府が合意)首都はアンカラ

              ムスタファ・ケマムの改革 :戦争中立 

1925  イラン・パフレヴィー朝初代皇帝レザー・ハーン:イラン改名は1935 

               2代皇帝:息子モハンマド・レザー・シャー:白色革命で近代化するが失脚(英の策略)

1932  サウジアラビア統一---サウード家    

    セーブル条約の英領---イラク、ヨルダン、パレスチナ独立

              英はイラク(ファイサル1世)、ヨルダン(アブドラ王:父はフセイン1世)の王を

              フセイン・イブン・アリー系統に据えた(ビジャーズ王国 ;ハーシム家)

              →中東を不安定(ハーシム家 VS サウード家)にすることによって英との対立を回避(英の策略)

              パレスチナはさらに酷い--ユダヤ VS アラブ(英の策略) ---中東戦争 

    セーブル条約の仏領---シリア、レバノン : 参考--フランス人カルロス・ゴーンがレバノンに亡命

--------------------------------- イラン VS  アメリカ -------------------------------------

1938  石油発見

1941  モハンマド・レザー・シャーパフレヴィー朝2代皇帝即位

1951  石油国有化宣言 Byモサデグ首相

    石油利権を独占していた英アングロ・イラニアン石油会社がイランの石油を無断で奪取(1951-1952)

    モサデグ首相は英アングロ・イラニアン石油会社の財産接収 → 手助けにアメリカ登場

1953  王統派クーデター(モサデグを倒すために米介入) 

1960  白色革命 : パフレヴィー朝2代皇帝は米と組んで近代化(出資は米) → 貧富差拡大

1979  イラン・イスラム革命 

    皇帝を離れてパリに亡命していたホメイニが帰国 → 米資産接収 米大使館員人質 映画「アルゴ」参照

1994  エルドアンイスタンブール特別市市長

 

【第一次世界大戦後のトルコ】   1922年にトルコ革命が起きてスルタン制は廃止されてケマル・アタトゥルクによる西欧化政策がとられた。宗教色を無くす文字革命、婦人解放(イスラムの装束解放)、太陽暦採用などで少数民族の自覚による民族問題を招く。1923年のローザンヌ条約で主権を回復し第二次世界大戦では中立国として連合国に加入する。1947年にはアメリカン・ドクトリンといってトルコ、ギリシャを経済的に支援して、共産主義の影響が至らないようにした。1952年にはNATOに加盟し、1955年にはバグダード条約機構に加盟する。が、2010年のエルドラン大統領は、EU加盟は不必要として西欧化政策に反してイスラムを尊重しソ連に接近する。

因みにトルコは親日家と言われているのは1890年のエルトゥール号の海難事件のときに、500人もの犠牲をだしたが、日本の串本町の人達が救助を行ったことが一因としてある。「海難1890」という映画はこれを描いたものである。

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