夏に他界した最愛の祖母の形見分けを、母と、伯母と、姉とわいわいいいながらしたのは、まだ暑い秋だった。あれから季節はめぐって、曽祖父の命日のある年末になった。今日、大掃除をして私の大事なもの入れにやっとおさまった。ふぅ。
祖母の遺品にはいろいろなものがあったが、私達それぞれ嫁ぎ先での年数が長くなったもの同士、両方の縁に配慮して、遠慮しあって、なぜだか私はどうしようもないものまで含め、もらってきた。
私が一番じーんときてこれこそが「ザ・形見だ!」と思っているのが、「うちの家族宛にだせなかった書きかけのはがき」と「祖父母がヨーロッパ旅行したときのイギリスでの楓の葉っぱ」とくに、楓の葉はもうぼろぼろでただの「ごみ」だったのだけど、私にはすごくじーんときてこみ上げるせつなさの一番の形見だった。書きかけのはがきには「一度府中に行ってみたいです」と書かれてあり・・・。ごめんね、叶わなかった。
ほかにも、ホームに入るときに、母が支度をしてあげたものとか、そういうのはもう辛かった。結局、母が一番思いいれがあって、伯母よりも誰よりも、母の手に落ち着くのが満場一致でふさわしいので、母がその他大勢はすべて引き取った。弟のお嫁さん、義妹にもそこから分けるから、と。
昔から祖母にまとわりついては、この指環の石は何?と尋ねていた好奇心だらけの女の子、そう、わたしは、初めてその名前を知った「キャッツアイ」と優しい祖母の誕生石で一番似合っていた「エメラルド」「ヒスイ」の指環などをもらった。宝飾店で働いたこともある私は、そんなに高価ではないことはわかるけど、あのキャッツアイが私のピンキーリングになったのがフシギで、ちょっとうれしい。
入院が長くて、ピアスも外し、結婚指輪も外し、アクセサリーはアクセントと魔よけくらいに思っている私には、うちの子ども達に形見はほとんどない、ごめん。遺産争いの種がないだけいいでしょう?でもね、うふふ、聴くの本の初版3部だけはラッピングしておきました。3人の子どものために。
・・・というわけで。喪中ハガキも書く気にならず、その代案のクリスマスカードも出せず、ぼうっとしている私でした。