障碍ってどう思うでしょうか。がん告知ってどうでしょうか。同性愛ってどうでしょうか。おそらく、人はこういう話をひそひそ話でして、タブーのように、深刻に扱うでしょう。目の前の人が、そういうことでありながらキラキラ楽しく毎日を生きてたら・・・・そういう生き方って不幸じゃないじゃん!なんか安心した。。。となるかもしれない。私はこの各3例でそれぞれのおトモダチがすごく誇りを持ってイキイキとしてた経験があるのです。
ガンの人にいたってはもうすぐそうなるということを「だって誰だって1度は亡くなるでしょうガハハ」と笑い飛ばされたときにはさすがに即リアクションできなかったけど。男性の口から初恋の男性を恥ずかしそうに恋バナとして聴いても、ふーん、というナチュラルさだったしな。途中障碍の人だけはちょっといっしょにつらさを歩いたりもしたりしたけど。最初からの人からは拍子抜けする「フツウさ」にこっちが失礼しました、なことが多いわ。
おととい、happy deaf manと記入した名刺をお持ちの若い聴覚障碍の方とであった。いや、こういうのは正しくない説明ね。「おとといステキな若い男性、に出会って話してたらその人、聞こえの障碍をもってたのよ」くらいな感じ。ねMさん!当然聴こえる私は手話をしないので、読唇で会話してくれるんだけど、この早口な私を理解してくれてうれしかった。手話できたらかっこいいんだろうけど、彼のコミュニケーション能力は聴くの本的には「参りました」というものだった。聴力じゃないんだよね。聴く力ってのは。彼が証明。
私が入院してるとき、心無い同室の人の見舞い客のことばで一番無神経でいやだったことは「あらー、かわいそうに、こんなところに入れられちゃって。早く出てきなさい」だった。こっちは週数が満ちるまで安静入院だから、逃げられない環境。自分にはどうしようもないこと。どうしようもないことは言うな~。だ。
うつ病でカナリアダウンしても、何しても、うつ病がそう不幸ではなかったら、みんなは「あ、うつね。治るまで待ってるから」と旅行を見送るくらいになり、「じゃあ治してくるから待っててね」となる気軽さかもしれない。どうも、みんなあんなこんな深刻になっちゃっていけない。
何でもそうだけど、確かにつらくも、たいへんでもあるんだけど。なにかもし、あらゆることで不幸とかアンラッキーということになったら。差別されるような、不遇な側になったら。本当にそうなった人が楽しく明るく笑うことね。ね、結婚しても、子供うんでも、働いても、会社やめても私笑ってるでしょ?悪くないでしょう、そういう生き方。ね。