祖母が亡くなって7年がすぎ、今日は命日。最後に祖母に触れたとき、冷たかったのだが、その前に触れた時はもう肺炎が悪化して熱かった。命は消える前にあんなふうに熱を出すんだなと思った。今は、空から見守ってくれるのだろうか。
祖母は、晩年、とても寂しかったと思う。それなのに、何かと理由があり。それほど会いに行けなかった。私は私の生活を送っており、祖母の病状もよくわからないまま離れてしまっていた。
極力電車やバスを乗り継いで施設には通ったものの、このことは今でも後悔であり。祖母が脳死と言われても2年もの間療養生活で命は永らえていられたのに思うように会えなかった。。実はその頃私自身が妊婦で、うち3カ月ほどはMFICUに収容されていて、自分とおなかの子どもを守り、生み、育てていた時期でもあった。
育っていく上で、家の中には何人もの個性を持った大人がいたほうがいいと思う。私は祖母の家に部屋があって、ご飯とお風呂は隣の自分の家に戻るという生活をしていた時期もあった。祖母は、孫である私にはとてもよくしてくれた。私は本当に祖母に懐いていた。祖母はほめ上手で、認め上手で、知識的にも勤勉で、人間くさくて・・・私にいい影響を与えてくれたと思う。それは祖母には直接伝えきれていなかったなぁ。
その後、祖母が去ってから4年しかたっていないのに。元気な普通のおじさんだった父が倒れてしまい、母の介護生活はエンドレスの様相の昨今・・な実家である。