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本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

< ナウシカ歌舞伎 >(感想・その1)

2021年03月10日 | その他映像関連。
年末頃だろうか、尾上菊之助のドキュメンタリーをテレビで見た。
わたしにとって、尾上菊之助はあんまり親しみのない役者。
バラエティにも出ないし、(わたしが見る)ドラマでも見かけない。
唯一、蜷川幸雄の「グリークス」でオレステスを演じていたのをテレビで見たくらい。



ドキュメンタリーを見て、真面目だなあと思いました。
実直に真面目。面白みはないのかもしれない。
役者にカメラの前で喋る面白みは必要ないかもしれないが。

へー。「ナウシカ」作るのかあ。
そりゃーチャレンジだなあ。かなり大変そうだ。
実際ちらっと制作風景も出ていたが、やっぱり大変そう。
見てみたいものだが、ちょっと歌舞伎座には行けないし、チケットもお高いだろう。


※※※※※※※※※※※※


そしたら!この正月にテレビでやってくれました。ひゃっほう。

……が、放映時間に「は?」と思う。
3時間ずつの6時間??どう作ればそんなに長く……と思ったら。

まさか原作マンガ7巻全部の内容をやるとは思わなかったね!
ひっくり返るほど驚いた。いやー、それは無謀だろう。
絶対破綻する。まともな話になるわけない。

そういう思い込みにより、とにかく斜に構えた状態で見始めるわけです。
あの複雑な話をどんな立ち位置で語ろうというのか。
多分、途中で見るのを止める出来だろうと思っていた。話になるわけがないと。

――そしたらまあ、話が実直ですねえ。
もちろん映画そのままとは言わないが、思ったよりもはるかに映画をなぞった形。
端折っているところもあるけれども、細かいエピソードもわざわざ拾って。

この「わざわざ感」がネックになると思っていた。
こういう大作を芝居にするならば、わたしは切り取り方の問題になると思ったんですよ。
いかに大どころをつかみ取り、そこを際立たせ、それ以外の細部をいかに大胆に刈り込むか。
それが成功の唯一の方法だと思った。そこにしか活路はないと。

でもこの作品は、呆れるくらい一つ一つのエピソードを積み上げていくの。
「これを語っている尺で話を進めた方がいいんじゃないか……」とか思いながら
見ているのだが、舞台はじりじりと進んでいく。
映画のあのシーンはどう描くつもりなんだろう、
カットするんじゃないか、ここはどうするんだろう。
そんなシーンもほとんど映画通り。

そんなにわざわざ描いて、絶対飽きると思ったんだよなー。
映画と歌舞伎の没入具合は違う。映画ではもう少しダイレクトに説明できることも
歌舞伎では3割くらいしか伝えられない。歌舞伎は情報量の多い台本には向かない。

が、予想に反して飽きませんでした。我ながら大変意外なことに。
前口上を多用していたとはいえ、情報の説明は十全だったとはいいがたいのに。
我々は映画を見てるし、なんだったらわたしはマンガも持っている。
でも読んだのはずいぶん前だし、話はうろ覚え。

こんな話だったけかなーと記憶を掘り起こしながら見ている。
が、十分な情報を与えられなくてストレスを感じるはずの脳から特に不満は
聞こえてこない。目からは快感が伝わってくる。
=面白く見続ける。


※※※※※※※※※※※※


全7幕(?)の大作。さらに場は細かく割られ目まぐるしいほど。
わたしは一般的に、作品の場面転換は少ない方がいいと思っている。
あまりに多い転換は未熟で興を削ぐと。

映画の部分は1時間半くらいだろうか。実直にいちいち描いた。
映画はいいだろう。ストーリーは頭に入っている。
だがそれ以降の話は覚えてない。絶対に飽きるはずだ。

……が、これもけっこう飽きない。
ストーリーをぼやーっとしか覚えていない状態で。

土鬼国はどういう立ち位置だったかなあ……。
ナムリスとミラルパを覚えてない。
マニ族僧正は大事な役のわりに登場シーンは超短いよねー。
森の人、蟲使いの立ち位置も覚えていない。

その程度で見ても十分楽しめました。不思議だ。


※※※※※※※※※※※※


6時間見終わって思うが、これ、愚直に作ったことの勝利かも。
わたしは、先に言ったが、この企画を成立させるためには大ナタをふるって
原作を精製するしかないと思ってました。6時間ってのもそもそも無謀だし、
マンガ自体にしたって――書こうとしたことは素晴らしいのかもしれないが、
全体的にすっきりかっちり成立しているとはとても思えない原作。

これを舞台の板の上で、わけのわかる話にするのは無理だろう。

が、菊之助は――菊之助がどの程度脚本に関わっているのかは知らないし、
脚本家の信念かあるいは無策によってこうなったのかもしれないが――
これをあまりいじらずに歌舞伎としてあげた。

ここには歌舞伎の家に生まれ、歌舞伎にずっと浸かって生きて来た人の
歌舞伎への信頼があるんじゃないだろうか。

むしろ他の選択はないのかもしれない。もっと他の劇の形式を知っていたら
選ばなかった作り方かもしれない。
一つ一つ積み上げて作り上げた直方体。シンプル。
それだけで十分人々を動かす。
その歌舞伎の力を信じていたということなんじゃないか。


※※※※※※※※※※※※


これはもしかすると残る作品になるかもしれないなあ。
今後のメンテナンス次第だろうけど。

忠臣蔵は誰でも知っている、当時のセンセーショナルな事件を基にして作られた。
でも現代はもうそんな作り方はできない時代。東日本大震災を基にしたり、
コロナ禍を基にしたりはできない。江戸時代の歌舞伎が持っていた
ジャーナリスティックな役割は今の歌舞伎には全くない。

そうすると、みんなが共有できるのはみんなが見た映画、ドラマ、アニメ。
そういうことになるのではないかと思う。

歌舞伎は観客が共有している知識を頼りにして作られる。
歌舞伎の中だけですべてを説明することはできないから。
近年新作歌舞伎として作られるものに「ワンピース」や「ナルト」など
大人気アニメが出て来てるのは、みんなが知っている物語だから。


今回のナウシカは何度も繰り返し演じられれば、古典として残っていく可能性が
あるかもしれない。話をもっと整理していければ。
数年に1回は上演して、歌舞伎を見る人に定着していければだけど。

テーマが深いしね。
歌舞伎の演目にテーマの深さは必須ではないけれど、深い方が話に広がりが出る。
最終的には、原作を越えて話が整理されたら最高。そこまでは求めなくてもいいけど。

これは思い切って6時間かけて全7巻を描いたお手柄。
映画部分だけではそうは思わなかったと思う。
大河ドラマです。いわば。

今後ブラッシュアップ出来ればいい。
だがブラッシュアップが出来なければ、今回のただのお祭りで終わってしまうだろう。
「あのナウシカを歌舞伎にしてみました」というだけの。

人数も衣装も、セットにも大変金がかかるこの舞台、
今後長く上演するつもりで作ったのかどうか。
繰り返し演じていくつもりなら、その取り組みは100年後に吉と出るかもしれない。


……と、総論的な感想は以上。
各論的な感想はまた別に。


マンガの方も読み直したくなったなあ。
あれは5巻だか6巻までが出ていて、間が空き、最後の7巻は何年も経ってから出たはず。
帳尻合わせの感が無きにしも非ずだったような気がする。
それがゆえにそこまで感銘は受けず、1回読んだだけだった気がするけど。
もう1度読んでみよう。どんな終わり方をしているのか。




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