Twitter
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Twitter(ツイッター[2])は、個々のユーザーが「つぶやき(ツイート)」を投稿することで、ゆるいつながりが発生するコミュニケーション・サービス。2006年7月にObvious社(現Twitter社)がサービスを開始した。
(出典 ウィキペディア)
とある。
僕的には、ブログのミニ版?などと簡単に思っていた。
けれど、これは純粋に『つぶやくをデザインした』と言えそうにも思う。
『フォローし合う』これは、ブログで言えば、コメントし合うに相当する行為だ。
けれども、分単位のタイムライン上でフォローし合うそのつぶやきの集積は、
やっぱり、つぶやきそのものをreデザインしたとも言えそうだ。
つぶやくというのは、データ量も少ないし、
アンドロイド携帯などでも開きやすい。
一般も有名人のつぶやきも等しく、タイムライン上に集約される時
それは新しいなにか?になりうるものだと思う。
Twitterであるから、参加しやすいWEBコミュニティなのだろう。
WEBは濃かったなにかを薄める効果があるともいえる。
業界の枠を超えたり、国境を越える、国の主義をも越えて情報を取得できる。
これは、イデオロギーを薄めもする。しかし、細かいコアな物を構成するかもしれない。
しかしそれによってさまざまなものが矛盾化する面もある。
不景気の時代になり、記憶に残る事件、
秋葉原の通り魔事件でも、犯人は誰かにつぶやきかけたかったのだろう
ブログに書き残してもいたときく。
もちろん、起こした事件の凶悪さは許されない。
けれども、労働条件や孤立など多くの悩みを抱えていたと
犯人の人物像がメディアで流されました。
バーチャルでつぶやくのは、ビジネス的な広報手段の一つとしてはいいのかもしれないが
本当に顔をつきあわせたつきあいと同等の会話と思うのは意味合は異なるのだ。
それでも、つながるという事。バーチャルでもとそこに向かう心理には、
ある意味、こころの孤独という現代社会のかかえる問題を露呈してもいる。
それでも、この不景気である。またも就職氷河期だそうだ。
比較的、リーマンショックの被害は少ないと言われた日本。
アメリカは中国への戦略も含め、したたかに事を運んでいるではないか?
しかしながら、日本のこの有様はどうであろう。
次の選挙に向けての、人気コンテストではなく、本当の結果を求めざるを得ない現状にたいして
政府は、これでもまだ、やるべき事を後回しにするのでしょうか?
不況そのものは誰のせいでもないのだが、国民の眼も厳しくなるのは致し方ない。
中国にこれからも、日本からの経済支援は必要なのだろうか?
いまに、逆になるのだろうか?
国のリーダーはビジョンを示すのがお仕事である。
首相はつぎに何をつぶやくのだろうか?
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