子供たちに「夢」を与えるのは大人の役割と
ある意味言えるような気がする。
しかし、不景気になって
大人社会が元気がなくなると
大人の夢(興味)はマネーになり、その余波は子供にも影響を与えるのは
仕方の無いことかもしれません。
また、大人の後悔を子供にゆだねてしまうのも性。
原作の鉄人28号でも
戦後の大人の過ちを、少年が無免許?免責特権?なのかしらないが
車を乗り回しピストルも所持し社会問題やマッドサイエンティストを正してゆく。
子供が大人の既成の世界を塗り替えるとでもいおうか。
漫画だから・・・と言われればその通りだが
表現手段として見れば、そんな風にも言えないだろうか?
http://www.youtube.com/watch?v=JVwKkiKD1Mc
東京オリンピックが、昭和39年。
鉄人28号の連載は、昭和31年
昭和20年の戦後から11年後。
すこし落ち着きを取りもどしたものの
時代の変化が生み出す抑圧や闇。
復興の狼煙とともに、漫画家はなにかを予見しつつ
少年漫画を描いていたに違いない。
であるから鉄人28号の物語はかなりダークだと僕は感じているし
大人のトラウマやらなにやらを正太郎という少年に背負わせてしまう
当時の大人の業への戒めのようにも想えて成らない。
内容の根底はかなり深い内容であるとおもっている。
押井守監督の舞台、鉄人28号は、オリンピック前の日本のダークサイドへ
メスを入れるような意欲作であったらしい。
今に目をむければ、
球団をD○○Aが買った。
一見、楽天と同視してしまうかもしれないが、
この企業のビジネスはネットゲーム。
ゲーム内のお金のレート、設定は会社側で決められる。
つまり、モノを売るのではなく、ある意味、ギャンブルのそれで
親が徳をするようになっているシステムの提供ともある意味いえないか?
これも、現代のひずみが象徴する、いわゆる
パンを買うお金のリアリティとはちがう、マネーの新しい使い方が
バーチャル世界での通貨ともいえなくもない。
そういう意味で、はたして、オーナー企業にふさわしいかどうか
若干疑問が残った。
むろん、 大人がお金で買う夢。これも夢であるし
グローバリズムとIT起業の儲けは巨額であり、
球団のオーナーになるというのは、至極自然なのかもしれない。
今も昔も球団をもつというのは企業の誉れであるし・・・
しかし、ある意味ギャンブルという見方をしたときに
少年に与える夢の影響は無いとはいえないのではないか?
もちろん、野球や有名選手が夢をあたえるので、オーナー企業の体質は
直接的には関係はないといえる。
言いたい事は、
むかしのゲーム機とはちがい、ゲーム機本体とゲームソフトという
モノ自体の販売ではないのである。
こうしたオンラインゲーム内の金銭のやり取り。
勝負事であり、また武器を売る。リアル世界であれば、いわゆる武器商人。
A軍とB軍が調度いい戦をしてくれれば、それだけ富む。
つまり、ゲームのビルダーはその世界で創造主なのだから
武器の価値、貨幣のレートも決められる。
この辺りの法の整備がないのが問題なのかもしれないけれど
誰も気づいてない。と先日ある方が言っていたのです。
その受け売りにもなるがそう思った。
考えてみれば、
大人の与える子供への夢は今も昔も変わらないが
「意味合い」という問題の中では、企業の内容はこの意味合いに等しい。
これは、良い悪いではない。
体力のある企業が、球団を買う、それは結構なことだ。
けれども、夢はお金だけで買えるような印象を少年に与えたくはないものだ。
時代の変化の過渡期には、同じような時代の空気があるようにおもう。