プラチンブリの風 第4章

2009年11月22日 | プラチンブリの風

 

プラチンブリの風 (第4章) タイの結婚式 By Harry H.

Amonkonsan_03jpg10月後半、HARRYが日本語クラスを受け持っているS社のタイ人社員Mさんの結婚式に招待された。彼の実家SIMAHAPHOT(シーマハポート)のすぐ隣町のKABINBURI(カビンブリ)だが、式は新婦の実家のあるYASOTHON(ヤソトーン)で行われた。YASOTHONSIMAHAPHOT化ら北東に約450Kmとかなり遠い。

 

 

朝7時に彼がHARRYのアパートに迎えに来てくれ彼の実家に向かう。8時には親戚・友人が揃って出発という予定であったが、ここは“タイ”8時と言っても、1-2時間の遅れは当たり前。一時間半遅れの9時30分にやっと全員が揃い、乗用車2台、小型VAN2台の計4台、総勢40-50名で出発した。

タイの一般道は、郊外は空いているので、日本の高速と同じで、車は100-110Kmで走る。途中、スピード違反で、警察官に詰問されるも、警察官にお金(100バーツ≒300円)をそっと渡すとすんなり解放される。ちょっと、日本では通用しない交通違反簡易処理システムである。対向車がライトをフラッシングして、ねずみ採りを知らせるのは日本と同じだ。

Amonkonsan_04jpg現地には、午後5時過ぎに到着してすぐに、新婦の実家のすぐ隣の広場の前夜祭会場へ。椅子が数十個と舞台が用意してある。大きなスピーカーからは、大音響で音楽が流れている。新Amonkonsan_05jpg婦の家族・親戚また近所のおばさんたちが用意してくれた食事を,両家の親戚・知人の皆さんと一緒に頂く。午後7時からは、歌謡ショー。セミプロであろう、男性1人と女性4人のグループが、舞台にあがって、カラオケに合わせて、歌と踊り。会場に来ている人達も、自分のリクエストを書いて、カラオケで歌う。食事をしたり、お酒を飲んだりしながら、遅くまで続いた前夜祭である。

翌日の式当日、朝7時にホテルを出て、式が執り行われる新婦の家に向かう。朝の7時過ぎだというのに、前夜祭で使った広場では、スピーカーから音楽が流れている。結婚通知を貰った近所の人たちが、大人も子供も、封筒にお祝いのお金(100~200 BAHT)を包んで式場の受付に持ってくる。受付の人は、お返しに豚肉(生)の包みを渡す。なぜ、豚肉なのかはわからない。

Amonkonsan_06jpg_2午前7時半から、前夜祭の会場で、お粥の朝食。やはり、近所の人たちが、食事の準備の応援に来てくれている。8時から、14-15人からなるプロの音楽隊を引き連れて、Amonkonsan_07jpg_2新郎は、新婦の家の周りを30分ほど、練り歩く。近所への挨拶周りということであろう。この音楽隊がなんともHARRYには興味深かった。エレキ・ギターが一人で、後はみな打楽器である。ギターは、タイの民族楽器なのであろうか、3弦のダブル・ネックになっていて、単純なリフのメロディーを弾く。それに打楽器がリズムを刻む。

Amonkonsan_08jpg 8時30分、新郎を新婦の家に迎え入れる。二人とも、タイの正装である。居間には、親戚・縁者が数十人集まり、町の長老らしき人物の司会で、式が始まる。お坊さんを呼んでやるのが一般的のようであるが、二人は簡易式にしたようだ。中に入れない人のため、司会者はマイAmonkonsan_09jpg クを使って、外に居る人に、式の進行状況がわかるようにしてある。HARRYは、カメラを持って中に入る。タイ語が、まったくわからないHARRYは、動作からしか意味を解するしかないが、長老が長々と祝の言葉を述べた後、①指輪の交換 ②新郎から新婦への貢物として、現金20万BAHTAmonkonsan_10jpg (≒60万円)と、金のブローチ(25万BAHT)が差し出され、参列者に公開される ③長老が、聖水を二人に注ぎ、白い糸を二人の前腕に巻いて、祝福する ④参列者も、順番に、二人の腕に白い糸を巻いて、二人を祝う ⑤二人から、参列者に、引き出物(膝当て)が渡される ⑥会計係から、集まったお祝い金の集計結果が報告 ⑦参列者との記念写真・・・といった内容で、午前10時過ぎに、無事に式が終わる。

HARRYは、三年前シーラチャに居る時、タイ人の結婚披露宴に出席したことがあるが、それは、一般的な中華料理の会食パーティで、特段珍しいものではなかった。今回は、初めてタイ式の結婚式に参列でき、貴重な異文化経験をすることができた。

 


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