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世界一周クルーズ (第55章)

2007年09月01日 | 世界一周クルーズ

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世界一周クルーズ (第55章) BY 芝原 稔

寄港地の楽しみ方 ツアーを含めて

今回のクルーズでの寄港地は、16ヵ国、24港に及ぶ。オーストラリアを除く4大陸を回り、同時点で国家の盛衰を比較し、歴史の移り変わりを、国の豊かさ、人々の豊かさ、文化を比較する、またとない機会である。回る国々は、すべて、良いにせよ、悪いにせよ、お互いに影響しながら、今日が在ることが痛感させられる。寄港地を貪欲に見たいとの思いで上陸した。もう少し夫々の歴史を勉強しておくべきだったと反省しながら。

今回のクルーズでは、オプショナルツアーは総数81コースあり、その内オーバーランドツS5503 アー(寄港地をまたがるツアー)は7コースある。ツアーの申し込みは、乗船のほぼ3ヶ月前まで。但し余裕があれば、オーバーランドツアー以外は、ツアー前日でも可能である。ツアー代金はコースにより、日本円、USドル、ユーロで、乗船中の費用と共に、月1回請求される。船内には「ツアーデスク」があり予約の変更・取り消し、寄港地の情報なども扱ってくれる。前日にはツアーの説明会が開催され、日程表なども配られる。

ツアーには現地ガイドとツアーデスクのスタッフが同行する。殆どの寄港地には、港からS5501 市街地まで無料のシャトルバス(写真・上と左)が運行される。個人で上陸を楽しむか、(個人ツアーもツアーデスクで相談出来る)、グループで出かけるか(例えば二家族でタクシーを頼む)、またはオプションツアー参加するか選択する必要がある。英語か現地語の会話が出来て、交通インフラが良くて、治安状態が良ければ、個人で動くほうがスケジュールも自由に調整出来て、費用的にも楽しむことが出来る。

今回のクルーズで参加人数が多いベスト5は (船内発表)

  1. インド・ムンバイ市内半日観光・・・207名
  2. イタリア・バーリ・アルベロベッロ・マテーラ1日観光・・・178名
  3. アメリカ・ジュノーメンデルホール氷河と市内観光・・・162名
  4. アラブ首長国連邦・ドバイ半日観光・・・142名
  5. 国境横断イグアスの滝とサンパウロ観光3泊4日・・・128名

S5502 1項のムンバイのコースはタージマハルホテル・インド門(写真・右)・洗濯場見学のコース、現地ガイドの日本語の意味が分からず、しかも3時間半で80USドル。タクシーを使って二人で廻れば三分の一ですむ。ホテルは如何に名門を誇る旧館とはいえ、狭い空間で汗を拭きながらのショッピングはいただけない。

2項(イタリア)と3項(ジュノー)は距離もあり、インフラも悪く、個人ではなかなか行けない場所を、ガイドつきで要領良く廻り、ツアーの価値大いに有り。

イグアスの滝には残念ながら参加できなかったが、参加者は良かったとの評判。あのアルゼンチンという国で、128名もの大集団でのツアー、フライトは2班に分かれ、早い組は朝5時前に出発、遅い組はトランジットで3時間待ち、晩飯なしと色々とハプニング付きのツアーだったそうだ。

コースが81もあれば、当たり外れがあるのはやむを得ないと思うが、現地の旅行会社が三流なのか、日本クルーズ客船の事前調査が不十分なのか、ムンバイのように考えられないようなお粗末なツアーもあった。私が参加したツアーでの「ベスト7」は次の通り、本編で詳しく述べているが、ツアー代金と概要を述べる。

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1.世界遺産アルベロベット&マテーラ一日観光 (134ユーロ) 

  イタリヤの統一国家の誕生は19世紀、それまで長い間、小国が独立し夫々独自の文化を育ててきた。円錐形の屋根と白い壁の町、アルベロベッロ(写真・上)。

石器時代から築き上げられ洞窟住居の、そして今では廃墟の街、マテーラ(写真・右)、本当に不思議な街である。

 

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2.スワード・レザレクション自然探訪クルーズ (US$110)

アラスカクルーズの最北の町、スワードからレザレクション湾にクルーズをし、アザラシ・くじら・ラッコや野生の鳥を見る三時間のクルーズ。素晴らしかったのひと言。唯、自然破壊からか、野生動物が少なくなっている。地球温暖化の影響か、氷河の後退を痛感させられた。

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3.ソイエールとバルデモサ一日観光 (177ユーロ)

地中海に浮かぶスペインの領土。レトロな観光列車でソイエールへ、其処からおもちゃの様な路面電車に乗り、港町ポルトデソイエールで昼食、ショパンがジョルジュサンドとの愛の逃避行で有名な美しい村・パルデモサ(写真・上右)を訪れる。其処には観光の顔と素晴らしい自然が残っている。

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4.世界遺産アマルフィ海岸とソレント一日観光 (148ユーロ)

ソレント(写真・左)からサレルまで40kmの海岸線が続く、美しい海岸線をドライブする。ギリシャ・ローマから20数世紀にわたり、海岸の岸壁に、独自の都市文化を築き上げてきた街々を、紺碧の海を背景に楽しめる素晴らしいドライブ(写真・右)。

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5.ブエノスアイレス一日観光 (US$179)

移住したヨーロッパの人々が、本国以上の街を建設せんとした街、古いもの、新しいもの、富めるもの、貧しいもの、全てが混然と存在し、植民地時代の歴史が凝縮した街を見る。

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6.アテネとスニオン岬一日観光 (140ユーロ)

パルテノン神殿、スニオン岬にあるポセイドン神殿跡を見る。一生に一度は訪れたいギリシャ文明発祥の歴史遺産を見る。今日本でも楽しまれている園芸植物の原種であろう野草が咲き乱れていた。

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7.「アドリア海の真珠」 ドブロブニク一日観光 (165ユーロ)

ユーゴ・スロバキアの一郭として、独裁者チトーの支配下に置かれ、その後は長きにわたり内戦に苦しんだ、中世の面影を残す、城壁の町、ドブロブニク、旅行会社がはやし立てる街、あまり観光化される前に一度は見ておきたい。

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今度はワースト4のツアーも紹介しておく。

S5520 1.ムンバイ市内半日観光 (US$80)

記述の通り、日本クルーズ客船の企画の貧困・調査の不足を露呈した最悪のツアー。いまどき超一流のホテルの一角で、売れ残り物?をショッピングするような企画のお粗末さ。話にならない。

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2.三大ピラミッドをスフィンクス一日観光 (US$155)

これも企画のお粗末さ、調査不足、現地旅行会社の選定ミスの重なったツアー。現地のインフラ能力を、遥かにオーバーする多量のツアー人数、「余りにもバスが多いので、予定のトイレ休憩が出来なかった」と我慢比べ、昼食も暑い中での定員オーバーで我慢比べ、全て我慢・我慢の一日だった。これも旅の思い出の一つか。

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3.世界遺産ロードス島半日観光 (60ユーロ)

イスラムからの最後の砦、キリスト騎士団が築き上げた城壁の街への訪問。残念ながら、ガイドは英語、時間は3時間、60ユーロと高すぎる。これなら個人で訪問すべきだったと後悔。

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4.世界遺産オリンダとレシフェ半日観光 (US$130)

S5523_2 歴史都市レシフェの面影や、世界遺産オリンダの街の美しさは、このツアーでは痛感出来ず。ツアー時間は2時間半、オリンダまでバスの往復、現地自由散策(写真・右)、英語ガイドとツアーの企画がお粗末ではないか。

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問題は、企画など色々あったが、24港の上陸は、印象も深く、今後、写真や資料でいろいろ詳しく調べてみたい。また再度このクルーズで実現したい所ばかりである。

 

 

 

 


世界一周クルーズ (第54章)

2007年08月25日 | 世界一周クルーズ

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世界一周クルーズ (第54章) BY 芝原 稔

エンターテイメント

オペラから落語・講談まで毎日のようにショーが開催される。船の発表によれば、各寄港S5402sugawara_1 地から乗り込み下船したエンターテイナーの数はスタッフを含め190人になる。内外の一 流を含めたアーティストによるショーが毎日のように身近に開催されるのは、クルーズならではの圧巻である。残念ながら、ショーではフラッシュでの撮影は禁止で、撮影は極めて難しい。またこのページで内容を紹介し、論評する能力など持ち合わせていないので、心に残ったショーの一端を紹介したい。

心に残るショーとは、技術だけではない。プロの演奏家として、観客へのサービス・熱意・S54031演奏を通じてにじみ出る人柄である。クルーズの客は、クラシックから文楽、ダンスまで幅広く楽しみたいという幅広い素人集団である。目の前の観客が何を希望しているか、敏感に感じ取り、プロとして対応するアーティストには、惜しみなく拍手が与えられる。

乗船3日目、先ずは横浜から乗船の菅原洋一(写真・右上)である。紅白歌合戦に22回S5403_1 連続出場の大ベテラン。1967年のヒット客「知りたくないの」をはじめ、軽妙な、あの顔のトークで観客を魅了させるのはさすが、満席。

ジャン・シャオチン姜小青)(写真・左上) 東大寺大仏開眼1250年記念コンサートで奉納演奏した中国人の古筝コンサート。(写真・右)

 

デュアリスDualis)のクラシックコンサート(ピアノ・パーカッション・ヴァイオリン):写真・上左 オリエンタル・コラソン東洋の心)のコンサート:写真・上中 ネオ・ハーモニー・カルテットの弦楽四重奏によるクラシック・コンサート:写真・上右

 

ケチカ・ブラスカKecske Broasca)のコンサート。アメリカ人のアコーディオン奏者と日本人ヴァイオリン奏者によるジプシー風の音楽、サービス満点、演奏の詳細は論評出来ないが、プロちゅうのプロ。写真:上

S5407 邦楽コンサート 中井智弥(二十五弦奏演奏家)と岩田卓也(尺S5408_1 八演奏家)、二人とも芸大卒の若手演奏家で今後の邦楽を担う期 待の星。サイン入りのCDを買い求めた。写真・右

 

三遊亭歌彦の落語 円歌の弟子で1999年に二ッ目に昇進。写真・左 

カウンター・テナーの弥勒忠史とピアノの多田聡子によるクラシックコンサート

文楽の解説と実演 人形遣いの吉田玉女・吉田玉桂・吉田玉翔の三人形遣いの人形浄瑠璃文楽「三番叟」、「伊達娘恋緋鹿子~火の見櫓の段」、あまり興味は無かったが、目の前での上演と解説には感動させられた。

S5409_1ルーテシア  第一ヴァイオリン・海和伸子、第二ヴァイオリン・吉岡麻貴子、ヴィオラ・深沢美奈、チェロ・斉藤静による弦楽四重奏、映画音楽からポピュラーまで幅広い演奏で楽しませてくれた。トップの写真

S5410_2 バリトンの大島幾雄、ソプラノの腰越満美によるオペラコンサート、さすが日本を代表する実力派、観客を魅了、拍手鳴り止まず。

ユーゴ&クローデット ギターとハープのコンサート:写真・右上 

橘ノ円満の落語 2006年念願の二つ目に昇進:写真・左上

ロス・タクナウ・トリオ アルゼンチンの誇るデュオ、ロス・インディオス・タクナウを父に持つタクナウのギターによるアルゼンチン音楽:写真・下左 レベッカ&セバスチャンのタンゴショー:写真・下中 夕星(ユウズッ)による邦楽コンサート 筝(堺悦子)・唄(佐々木理恵)・唄と鳴り物(田辺三歌)・三味線(今宮知佐衣)による民謡・わらべ歌で楽しく聞かせてくれた。翌日は民謡の指導も:写真・下右

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その他マジックショー・アンデスの歌・メキシコ音楽・講談と色々楽しいショーを満喫したが、音楽の楽しさ、ショーの楽しさは文章ではお伝えできない。又唯一の記録である写真を約4000枚の中から選び出すのは大変な労力を要する。割愛した中にはもっと優れたショーもあった事を記して終わりたい。

 


世界一周クルーズ (第53章)

2007年08月23日 | 世界一周クルーズ

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世界一周クルーズ (第53章) BY 芝原 稔

船内生活 食事

赤道の長さは約40,000Km、クルーズは約65,000Kmと地球の円周を1周半、時速30Kmそこそこで航海したことになる。太平洋を南へ、そしてインド洋を横断、地中海を西へ、大西洋を南へ、ブラジルからアラスカへ北上、そして太平洋を横断して日本へ。即ち、Shibahara5302 地球を横、縦に横断と言う、今回のクルーズは、今思えば、長い長い航海であった。そして104日間と長い日々を、狭い空間で、どのような生活で楽しく過ごすか。先ずは食事である。先ず食事を取り上げるのは、と言う人も居るとは思うが、104日間、美味しく、栄養のバランスがあり、変化のある食事を、楽しく取れるかどうかはクルーズで最も大事な事である。クルーズの一日の食事は

  • 和定食かフードバーの朝食
  • 和・洋のメニューの昼食、写真(右上)はある日の和食
  • フルコースディナー(写真下)のほか、和・洋のメニューの夕食

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昼食・夕食には軽めの和食メニューもあり、クルーズの後半には案外軽食を頼む人も多いようだ。早起きの人には、マーフィンやパンケーキなどのアーリーモーニングも用意されているが、残念ながら私は一回も利用なし。休み前のひと時、麺類・おかゆ・おにぎり・サンドイッチ・果物などのミッドナイトビュッフェがある。ダンスの後などで、利用する人も案外多いが、私は3回だけ。今思うともっと食べておけばと後悔しきり。

Shibahara5305 すべてメインダイニングルーム(トップの写真)で、テーブルは6~10名の合い席。飲み物はアルコールなどを除き無料。ロイヤルの乗客はグランドサロン、負け惜しみではないが、如何に格調高く、洗練された静かな雰囲気でも、104日は耐えShibahara5306 られるか?一度試された結果を教えていただきたい。その他オープンバー、ピアノサロンではティータイム以外でもコーヒー・ジュースなど無料で美女のサービスつき。上陸した時、コーヒーなどや外食を控え、オープンバーでということになる。金持ちにしては案外チャッカリしている。 

毎日3食、乗客約360名、クルー210名、ヨーロッパ系クルー10名の3種類のメニューを考えるのは藤原料理長、料理人は日本人13名、外国人26名、合計39名(写真・右下)で賄っている。(写真・右) 食材は日本で積み込んだもの以外、生鮮食品はシンガポール・ドバイ・ピレウス・ナポリ・リスボン・ブエノスアイレス・バンクーバーなど8寄港地で積み込む。積みShibahara5307 込む様子は、7階オープンバーよりよく見える。無責任な暇人は、パイナップルだ、トマトだ、と見ている。例えばブエノスアイレスでは4トントラック2台、2トン2台。4階より積み込むのは料理人35名で4時間の重労働だ。細かい話だが、この日はパイナップル650個、バナナ200キロ、メロン600個、卵4500個だそうだ。毎日4階の倉庫より5名が必要な材料を調理場に運ぶ。握りずしは勿論手作業、キャベツの刻みは手作業、大根おろし以外は全て手作業だそうだ。そこいらのファミリーレストランとは違うようだ。しかもお客の平均年齢を考慮して、総カロリーは1,800~2,000に押さえ、塩分は控えめ、油はひまわり油など植物性のみ。因みに104日でお米はコシヒカリ10トン、卵5万個、とうふ4300パックなどなど。 

昼食・洋食の和洋の利用割合は、洋食が45回、和食が143回、多国籍食が17回、案外和食党だ。和洋が選べる朝食でも圧倒的に和食が多かった。年齢もあるのかな? また売れ筋アルコールのランキングは、1位キリン一番絞り、2位アサヒスーパードライだそうだ。テーブルはウエイターの案内、我々は朝食で空いていれば、右舷の窓際、夕食は左舷の窓際、昼食は適当に選んでいた。思えば一回も同席しなかった人が相当いる。

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Shibahara5314 航海中には写真のようなトロピカルデッキディナー・地中海デッキディナー・赤道祭でのデッキディナーがある。またスエズやパナマの運河では、運河を見て、適当な時間にバイキング形式で食事が出来る。夕食時、3日に1回程度か、誕生日・結婚記念日のお祝Shibahara5315 いがある。(写真・右) 夕食時窓から見える落日の夕焼けは、言葉では言い尽くせないほど美しい。また寄港地が近づいた時、これから上陸する国に思いを馳せながら、アジア・ヨーロッパ・南米・北米などそれぞれ異なった山々・街並みを見ての食事(写真・左)は船旅でこそ味わえる醍醐味の一つである。時々、鯨だ、ドルフィンだとの声で、食事中窓際に集まり、遅かったと残念がったのも懐かしい。Shibahara5316 それにも増して、朝食のフルーツ、りんご・スイカ・メロン・グレープフルーツ・イチジク・いちご・マンゴー・パパイア・ライチ・マンゴスチンなどのトロピカルフルーツを選んで食べられるのは至福の時である。帰国すればせいぜい2種類程度の果物。あー、もう一回クルーズと思うのは、私が特に卑しいからだろうか。

 


世界一周クルーズ (第52章)

2007年07月24日 | 世界一周クルーズ

 

世界一周クルーズ (第52章) BY 芝原 稔

横浜上陸の前後

7月12日 デッキのモーニングウォークもあと2回となった。朝6時デッキに出る。濃霧で海上は何も見えない。台風など何処に来ているのかと、訝るほど波は静か。気温8度。千島列5211 島ウルップ島の南東らしい。正午には択捉島の南東を南下する。問題の島を見たいが、この距離と濃霧ではとても見られない。横浜まで1,685Km、かってロシアはラッコの毛皮を求めて、この北太平洋をアラスカまで進出、ラッコが獲りつくされるや、アラスカをアメリカに売却。その後は樺太とアムール沿岸の領有を求めて、日本・中国と交渉するなど極東の支配を目論む。一方、アメリカは灯油需要の急増に対処するため、鯨を求めて北太平洋の支配を企む。そのため水・食糧の供給基地として、ペルー提督が下田に開港を求めたのは万人が知るところだが。時代が変わると、日本が石油を求めて太平洋戦争を起こすなど、ラッコ・鯨・石油と対象は変わったが、太平洋の価値は変わらない。次の情報化時代では太平洋の価値はどのように変わるのか。

9時15分より神戸下船の人々へ、台風4号のため横浜止まりになる公算大と説明会があった。午前中はヨガの教室とトレーニングアドバイザーの指導でトレーニングに励む。

5212 今晩のドレスコードは最後のフォーマル。午後4時40分より「2007年世界一周クルーズフェアウェルパーティー」があり出席。船長はじめクルー全員とのお別れ会があった。特に約300回以上お世話になったウェイター達や、毎日キャビンの掃除などで世話になったメイド達が現れると万雷の拍手でお礼と別れを惜しんだ。夕食は最後のフォーマルディナーでフルコースの洋食だった。

夜、庄野真代のコンサートを聴く。テレビでは沖縄沖の台風4号は強い勢力で北東に進みつつあり、我々にも相当の影響がありそうだ。

5213 7月13日 波は静か、最後のデッキでのウォーキングを楽しむ。午前6時岩手県釜石の東、ただし陸地は何も見えない。気温16度、横浜まで785km。台風4号のため、船は神5214 後の荷物を整理。乗船時は7箱だったダンボールは10箱になった。プラス3箱が買い物の成果になるのか。夜クルーズ最後のイベント、クルーショーがメインホールで開催。時間前に行ったが盛況満席。歌・バンド演奏・踊りと隠れた才能を持ったクルー達の舞台は、時に笑いあり、感動あり、本職の芸人達よりも充実した内容のものもあった。彼らは仕事の合間、時には深夜の練習もあった由、心からの声援が続いた。

7月14日 横浜入港が午前8時に繰り上がった。荷物の搬出・下船・入国税関審査まで4時間を予定し、14時頃の迎えを頼んでいたが、入港が2時間繰り上がり相当早くなりそうな感じ。だが約4,000個の荷物を1箇所の出口から、港に運び出すのは大変な作業、税関の審査もどの程度かかるのか、“産むは案ずるより易し”の結果だった。

朝から雨、未だ台風の前触れの風は無く波も静か。6時起床、デッキに出ると房総半島の5215 山々が霞んで見える。荷物の整理・食事の合間に、時々デッキに出る。右手の灯台は州崎か、切り立った房総の山は鋸山か、間もなく左手に観音崎の灯台?か見える。忙しくて確認する術もない。浦賀水道を過ぎると、右手に千葉の工業地帯の煙突が見え、停泊する船の数が急に増えだした。さすが日本と感激していると、今日は台風で多くの船が避難・停泊しているのかなと思う。

5216_2 間もなく近づく横浜桟橋、横浜のランドマークをはじめとするビル群は雨の中に霞み、美しい近代都市を感じさせる。出港のときは、やや貧弱にも見えたこの街が、世界一周でかくも評価が変わるのか、思わず苦笑させられる。桟橋には娘夫婦が出迎えていた。入港が早まる知らせはJTBからあった由。雨の桟橋で傘さす娘夫婦を見たときは本当に嬉しかった。

5217 船では11階よりウェイター・ハウスキーパー達全員で、手作業での搬出作業、感激しつつもやることが無いので、プロムナードでコーヒーを頂きながら雑談。12時頃に6階の下船の連絡、荷物も無く、手ぶらで入国審査。これは簡単さすが日本だと、5218 また感激。階数とキャビンの番号順に区分けされている荷物を判別し、カートに載せる作業、これもウェイター達が積まれた荷物と多数の人々が渦巻く中でよくやってくれた。本当に感謝。最後はハウスキーパーの人々との別れの挨拶。クルーズで感激したことは数々あるが、一番感謝したいのはフィリッピン人の仕事ぶり、彼らの挨拶・笑顔・気の使いようである。日本人の若者たちも見習って欲しい。税関審査もほとんど書類と2、3の質問のみで無事通過。

かくして、104日間の世界一周クルーズは無事に終わった。家に辿り着くまでの道路の渋滞、陸揺れのもやもやは当分続くらしい。荷物の整理などいろいろある。帰り着けば、皆元気で生活、家は無事、株価は相当に上がっている。しばらくして落ち着けば、このクルーズの総括をしたいと思っている。

 


世界一周クルーズ (第51章)

2007年07月13日 | 世界一周クルーズ

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世界一周クルーズ (第51章) BY 芝原 稔

いよいよ帰国

5111 7月6日~7日 ベーリング海、その印象は霧と荒れ狂う海だった。しかし天気こそ快晴とは言いがたいが、気温は朝で10度、日中13度、波の高さは1m程度、船は穏やかに進む。アリューシャン列島の残雪のある山々がくっきりと見える。ときどき“鯨だ!”、“イルカだ”と楽しむ。

7日の七夕には笹に短冊が飾られていた。短冊はなかなか味がある願い事が多いが、とり5112 わけ傑作は「宝くじが当選して、再びびーなす・クルーズに乗れますように」という庶民派、「食べて寝て、動く豪華船。お父さん世界一周旅行、ありがとう」熟年夫婦愛がにじみ出ている傑作、「もう、どうでもいい。早く帰りたい」一体何があったのか、大金を払って帰りたいとは。といっても100日を超える長丁場、気持ちは分からないでもない。船はウムナック島からベーリング海に入ったようだ。セグロカモメの大群が数千羽、輪を描きながら波に漂っている。そろそろ帰国の準備、ダンボール4箱の荷造り完了、あと5箱は必要、狭い部屋がいよいよ狭くなる。

5113 今日は8日、林家久蔵師匠の落語四方山話を聞きに行く。早稲田理工科数学出身の異色落語家、今日は45分間立て続けに落語の裏話を聞く。筋の決まった落語と違い、記憶力・話術・頭脳明晰でないと勤まらないと痛感する。明日(9日)は日付変更線で、一日飛ばし、10日にスリップする。何か一日損したような気分だ。終日航海がまだまだ続く。台風4号発生とのテレビ放送、詳細は分からないがひたすら西へそれることを願う。

7月10日 帰国まであと4日。やれやれと喜ぶ人、残念がる人、まちまちである。私は兎も角、一度帰りたいが本音。今朝6時、アッツ島沖北6kmのベーリング海を通過、1942年玉砕があった島、汽笛を鳴らし哀悼を捧げた由、申し訳ないことにぐっすりと寝込んでいた。デッキに出ると極寒ではないが、日本から遥か離れた北太平洋の離島、霧にかすみその小さな島は見えないが、故国を偲び玉砕した人々の無念さは如何と思った。

5114 原 宗芳さん(写真左)の茶席があり、皆さんは荷造りに忙しいのか、今回のお客は2名、先生にスワードで買い求められた茶碗6客を見せていただく。この作品が日本の茶席で使われるとアラスカの作者は夢想だにしなかった由、一つは天目茶碗として、一つは井戸茶碗としてなど、抹茶茶碗としてそれぞれ趣のある作品5115 である。棗は季節の花火、紐で花火模様が描かれた香合、お花はスワードの野生種、これもお茶席にぴったり。お茶碗を褒めたら、お茶は弐服となった。時間は予定より超過、正座で脚がしびれる。夜は縁日・盆踊り大会の催し。屋台で懐かしいラムネや綿菓子をいただき、盆踊りは炭坑節・阿波踊り・いか踊りで盛り上がった。

5116 7月11日 終日航海、ダンボール7個荷造り完成。ホッとしたところでシアター「ハチ公物語」で感激。デッキなど久しぶりに散歩、ジムナジウムでトレーニングアドバイザーの指導で身体を動かす。もっと早く取り組むべきだったと後悔しながらも後の祭り。せめてあと2日はやってみようと決心。ロシア領カムチャッカ半島の南を一路日本へ。

夜、船より台風4号の影響について緊急の連絡あり。沖縄の南東海上で大型の台風が発生、20時現在本邦へ速力を上げながら移動している。次第に波とうねりが高くなる模様で、横浜以降の航海スケジュールに影響が出る見込み。台風が予定通り北上した場合、神戸入港は厳しく、横浜で下船、陸路帰宅して頂きたいとのことである。詳細は明朝説明、最終判断は13日午前中。神戸で帰国の人たちにとっては大変なことになった。荷物を持って神戸方面に陸路も大変だ。中には脚の悪い人もいる。横浜・神戸ともども予定通り航海できることを祈るのみ。

本当のことを言うと、狭い船内での100日間の生活はストレスもたまり、文章を纏めるのも、後半は疲れて良いアイデアも生まれない。税関への申告書の作成、最終的な荷物の整理などもあり、このクルーズの報告は今回で一応終了としたい。3月乗船の前から続けた、この拙い報告を見て頂いた方々には心からお礼申し上げる。船からのメールは海事通信衛星を5117 使用するため、いろいろな制約がある。また船内には資料も無く調査も困難だ。帰国後はメール送信のため高圧縮した写真の取替え、追加、内容の大幅な訂正もしたい。身近な問題として神戸への帰路の結末も報告の必要がある。紹介が中途半端だった船内生活や世界一周クルーズの総括、今後クルーズの計画のある人々へのアドバイスも申し上げたい。帰国後早々にこの報告を纏めるつもりである。その際是非ご覧頂きご批評も頂きたい。

7月12日現在時間13:45、国後島の南東、北緯43度12分、東経149度52分にて