旧は天皇誕生日は天長節と皇后誕生日は地久節と名付けられて、地久節は国民の祝日ではないものの、公に奉祝の行事が行われていました。
戦後、天長節が天皇誕生日と名を変えて、地久節は皇后誕生日となり、皇后誕生日は皇室の私的行事となりました。
宮内庁が発表した御近影
宮内庁が発表したビデオ
【皇室】皇后雅子さま、60歳に 宮内庁が映像を公開
皇后・雅子さま 誕生日のお言葉「全文」
その10年前の少し前には、未曽有の被害をもたらした東日本大震災により、大変に多くの方々が犠牲になられ、また、被災されました。30年前に私が皇室に入りましてから時をあまり経ずして起きた阪神淡路大震災とともに、このことは大きな衝撃と深い悲しみを持って受け止めなくてはならない現実でした。
😐 東日本大震災、阪神淡路大震災、、その時雅子さまが何をなされたかを思へば、はらわたがカッと熱くなる。
「大きな衝撃を受けました」ではなく、「受け止めなくてはならない現実」とあるのは、お心が出来事から遠いところにあることがポロリと出たということでしょうか。
>昨年から私たちの地方への訪問が再開されました>被災地の皆さんが、
>6月には、天皇陛下とご一緒に、令和になって初めて国賓としてインドネシアを訪問いたしました。
😐 私たち、に、皆さん、ねぇ~
最近、秋篠宮殿下の言葉遣いがオカシイという記事が出ましたが、秋篠宮殿下の言葉使いはちっともオカシクないが雅子さまの言葉使いはオカシイ。
地方へは「私たち」で、インドネシアへは「天皇陛下とご一緒に」というのも違和感がある。
雅子さまの日本語がチットも成熟しないのは、帰国子女だったことを心の拠り所とされているから?
まさかね。
それにしても、恥かき旅行だったインドネシア行きが雅子さまには楽し思い出になっているとは。
9月には、全国豊かな海づくり大会のために北海道を、そして10月には、特別国民体育大会のために鹿児島県、国民文化祭及び全国障害者芸術・文化祭のために石川県を訪れ、それぞれの地域の特色に触れ、この国の自然・風土や歴史・文化の豊かさを改めて感じることができました。
😐 雅子さまが遅刻がちだったのは「強制的に参加させられた」意に染まぬ行事だったからでしょうか。
24回のお出ましの中には、繰り返されたご鑑賞公務、競馬のお楽しみも入っているのでしょうね。
嫌がる雅子さまになんとか形だけでもしてもらおうと、周囲が知恵を絞った結果、ご一家揃ってのレクリエーションにしてしまった皇后の養蚕も「した」中に入るの?
雅子さまの御言葉に戻りましょう。
この30年の間のことを思い起こしますと、上皇上皇后両陛下の温かいお導きの下で、天皇陛下に常に優しくお支えいただき、また、ほかにも多くの方々に助けられ、見守っていただきながら、今日の日を迎えることができましたことに心から感謝しております。今年は、記念の展覧会なども思いがけず開催していただき、多くの方にお祝いいただいたことはうれしく、有り難いことでした。
😊 終わりはそつのないお言葉。でまとめられて。。。そうね、ネットの「無料で利用できる挨拶例文」みたい。シチュエーションを加味して名前を変えれば、即、使えるといった類の。
この30年の月日の中で、2年前に愛子が無事に成年を迎えることができました時には安堵すると同時に、たくさんの方にお祝いいただいたことを心から有り難く思いました。
😀 雅子さまには、2年前の愛子さまの成年式は精根傾けて成功させた一大事業だったのでしょうね。私から見れば成年の行事は完了していませんが、雅子さまの中では愛子さまの成年の行事は既に完了しているのでしょう。
国民の皆様の幸せを祈りながら、できる限りの務めを果たすことができますよう努力してまいりたいと思います。
😐 「人権侵害」受けているかたのお言葉とも思えませんが…。
それとも、このお言葉も本心とは違うことを無理やり強制的に言わせられたのでしょうか。
雅子さまの御誕生日にはセットで出されてきた医師団の見解が今年も発表されました。
雅子さまの体調「快復の途上、依然として波」 医師団見解・全文毎日新聞皇后雅子さまは9日、60歳の誕生日を迎えられた。誕生日に合わせて、医師団が公表した見解は次の通り。◇皇后陛下におかれましては、これまでも医師団が説明いたしております基本的な考え方を踏まえながら、引き続きご治療を継続していただいております。本年は、都内行幸啓につきましては、お一方でお出ましになった5月の全国赤十字大会や7月のフローレンス・ナイチンゲール記章授与式、両陛下でお出ましになった5月及び11月の園遊会、8月の全国戦没者追悼式などをあわせ、24回に及ぶお出ましをなさいました。地方行幸啓につきましては、岩手県、北海道、鹿児島県並びに石川県にお出ましになった他、近隣の神奈川県(2回)やオンラインで福島県にお出ましになりました。さらに、6月には、ご負担を勘案して一部宿舎に滞在されることとするなどご日程を工夫しつつ、念入りにご準備をなさり、インドネシアを国賓としてご訪問になり、温かい歓迎をお受けになりました。皇居では、宮殿などでの行事に臨まれたほか、感染防止に十分配慮されつつ、今年もご養蚕に取り組まれるなど、ご活動を続けられました。皇后陛下には、天皇陛下をお支えになりながら、国民が直面しているさまざまな困難を心から気遣われ、できる限り国民との触れ合いの機会を大切にされようと努めていらっしゃいます。また、大学での日々の授業や課題、ご卒業に向けた卒業論文の執筆などに取り組んでいらっしゃる愛子内親王殿下を母親として温かく見守っておられます。今年は幸い、ご静養のため、お三方で4月に栃木県の御料牧場、8月から9月にかけて同じく栃木県の那須御用邸にお出ましになることがおできになりました。このように皇后陛下は工夫を重ねられ、ご体調を整えられながら、努力してご活動を続けていらっしゃいます。一方で、皇后陛下には、ご快復の途上にあり、依然としてご体調には波がおありです。そのため、大きい行事の後や行事が続かれた場合には、お疲れがしばらく残られることもあります。本年は都内行幸啓に加えて、地方や海外など、さまざまなお出ましをなさるとともに、御所や宮殿での行事も増えていらっしゃいます。そのような中でお疲れが残らないよう、ご散策などのご運動や気分転換のためのお時間を含め、十分なご休息をおとりいただきたいと、医師団としては考えております。また、かねてから皆さまにお伝えしているところではありますが、公的なものに加え、私的な部分でもご活動の幅を広げていっていただくことが大切だと考えております。皇后陛下には、これまで同様、周囲の方々の理解と支援をお受けになりながらご治療を続けていただくことが大切ですので、引き続き温かくお見守りいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
もぉ、雅子さま~。笑わせないでください。
わはは。
文春にこんな記事が出た後に、そんな医師団発表出されたら、もう笑うしかない。😁
より、抜粋
それでも雅子さまは、自分の意思で拒否するわけには到底いきません。そんなことをすれば『税金泥棒!』と批判が殺到するでしょう。ですが医師たちの判断であれば、いわばお墨付きを得る形で、何とか欠席できるわけです。『東宮職医師団見解』の文書作成にも、実はすべて雅子さまご自身が関わっています。誕生日に発表されたご感想の文書を、今度は医師の立場で考えたらどうなるかという視点でご覧になるのです。文章の最後に必ず書かれている『温かい目で見守っていただきたく』という文言は、雅子さまの“内なる叫び”なのです。大野医師や東宮職医師団とのこうした緊密な体制は、雅子さまが皇室内で生き延びていくために必要なものだったと言えます」(同前)
何なのでしょう。
結局、雅子さまは、皇室の中でご自分が足の向くまま気の向くままに生きるために医師団を利用されてきた、ということでしょうか。
>誕生日に発表されたご感想の文書を、今度は医師の立場で考えたらどうなるかという視点でご覧になるのです。
どおりで、誕生日のお言葉の内容と医師団見解がシンクロして、言葉遣いもどこやら雅子さまの御言葉風です。
繰り人形は雅子さまではなく、医師団のようですね。
あなたは、お母様の言うとおりにしてれば良いのよ、、?
私は、皇后なのよ!汝ら臣民私にもっと気を使いなさい?
人権侵害どころか、周囲がどんなに雅子さまの意に従い、国民は「ご病気だから」とあたたかく見て来たことか。
この先、雅子さまが国民のあたたかさにどう応えてくださるのか、期待しないで待ってますね。
皇后の務めを果たすのも果たさないのも、雅子さまご自身の問題です。