私の中学からの親友の留美子が亡くなりました。
昼間、彼女のお姉さんから電話があったけど自宅にいなかったのであとでかけ直したのですが・・・。
そもそもお姉さんから電話があるってことは留美子に何かあったのだろうと、嫌でも推測されます。
そしてその予感は的中しました。
ちょうど1週間前の8月3日に、彼女は逝ってしまったそうです。
40代に入って彼女はがんに罹りました。お姉さんの話ではここ2~3年は転移し入退院を繰り返していたようでした。
7月18日に50歳の誕生日を迎えたばかりでした。
思えば彼女の人生は波乱万丈で、大変なものだったと思います。
詳細は覚えていないのですが、20代前半ですでに両親は他界。留美子は24歳か25歳の頃にくも膜下出血で倒れました。
私の母が同じ病気で倒れたほんの数年後の話だったので衝撃だったことを覚えています。
その頃にはもう結婚していてご主人やお義母さんがとてもよくしてくれていたと聞いています。
けれどどうやらその頃から統合失調症も発症していたようで(これは後の精神科医の予想とのことですが)、言動・行動がおかしくなっていました。
どのようないきさつかはわかりませんが、結局留美子は離婚し実家のある北海道に戻りますが、精神疾患を疑われ入院。
退院後は障がい者の施設に入居し亡くなるまでそこで暮らしていました。
私が留美子と一緒にいたのは中学2年で同じクラスになってから、中学3年の夏に新潟へ転校するまでのほんの1年間4ヶ月のこと。
たった1年ほどの期間だったのに、36年もの間友達でいてくれました。転校してからも手紙で連絡をとり、留美子が高校を卒業して東京に来てからは、私が時々東京へ遊びに行って会って遊んでいました。
留美子に最後に会ったのは私がワーホリでNZに行った年なので28歳の時。その後留美子は北海道へ行ってしまった為会えずじまいでした。
施設に入居してからはケータイもスマホも持っていないので手紙だけが唯一のコミュニケーションでした。
その手紙もがっちゃんが生まれ、仕事を再開してからは多忙を理由にほとんど書かなくなり年賀状だけのような状況で。
時々来る留美子からの手紙も精神疾患のせいか理解不能な内容になっていたりして返事をかくのをためらう感じにもなったり。
でも今はそれを後悔しています。どうしてもっと連絡してあげなかったんだろうと。がっちゃんが生まれた頃からずっとがんと闘って大変だったのに。
私の近況を知らせることだけでも十分だったのに忙しいを理由にしてちっとも連絡してなかった。
留美子からの最後の手紙は今年の2月でした。がっちゃんの入学式の写真送ってね、って書いてあったのにそれもしなかった。
というか忘れてしまっていた。手紙の返事は書くつもりで机の上に留美子からの手紙をずっと置いておいたのだけど、置いただけになってしまっていた。
もう「たられば」しかなくて、なんか情けなくて申し訳なくて涙が止まりません。
もう一度会いたかったよ。一緒にロンドン行こうねって言ってたのに行けなくて残念だったよ。いつか新潟に行くねって言われていたけどそれもかなわなかったね。
もう一度中学生に戻って一緒に遊びたいよ。
お姉さんが言っていた「最後はとても安らかで苦しまなかったんだよ」の言葉にちょっと救われました。
友達になってくれてありがとう。どうぞやすらかにお眠りください。