ウメコの毎日

新潟市に住むウメコの平凡な日常、そして日々想うことを綴っています。

中野邸記念館 泉恵園

2021-11-21 | お出かけしました

中野邸記念館には泉恵園というお庭もあります。もっとも庭なんてものではなく山でしたが(^^;)

高さもありとても79歳の母親には上ることができそうにないので、ちょっとだけ見てきました。

 

 

 

自由に使っていい杖が用意されています。

 

 

紅葉はまだ始まったばかりの感がありましたが、とても良い雰囲気でした。

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中野邸記念館

2021-11-20 | お出かけしました

ちょっと前のことですが・・・。

天気が良かった平日の休みに母を連れて中野邸記念館に行きました。行ったことがなく予備知識もなく。紅葉が目的だっただけです。

けれど行ってみて感動しました!

紅葉はまだちょっと早い感じでしたが、建物の趣がとてもすてきなところで来て良かったな~~と。古い建物大好きなんですよね。

 

 

逆光でイマイチな写真ですが・・・、中野氏の邸宅です。

 

 

 

 

 

自分ちにこんな部屋あったら1日中庭を眺めていたい(*‘∀‘)

 

お屋敷は広く、入り組んでいてちょっと迷路な感じでした。

規模は全然違うけど福井のおばあちゃんちの雰囲気がありました。懐かしい日本の家、って感じの。

 

四季ごとにいろんな雰囲気を味わえそうなのでぜひまた訪れたいと思いました。

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父 アルツハイマー型認知症になる

2021-11-19 | 日々のできごと

ここ一ヶ月ほどブログの更新をしていませんでした。というかできませんでした。物理的にも心理的にも。

父のことはあまりブログに書かないようにしていました。

けれど今月2日に施設へ入居し2週間経って少し気持ちも落ち着いてきました。

誰にお知らせということもないけれど自分の記録としてブログに残していこうかなと思います。

 

発端は3年前の直腸がんに罹った時から。手術の直後から「ん?」と思う言動行動あり。

「術後せん妄」(詳しくはこちらで)かなと思っていたけど1ヶ月経っても治らず。それにせん妄によくある興奮などは見られなかったので、なんか変だな~と思いながら退院しました。

退院後は過去の記憶がないこと、新しいことが覚えられないことくらいで日常生活は特に支障はなかったのだけれど、少しづつ変化。一時期無気力で寝てばかりになったり、今まで興味を持っていたことに関心がなくなったり。今思うと認知症初期症状がかなりあったにも関わらず、何も対応しませんでした。

術後1年半頃から不安傾向が強くなり、人工肛門の管理も自分では難しくなってきて。術後2年頃物盗られ妄想が出現。デイサービスに行くと妄想が出て本人も行きたくないというのでデイサービスを辞めて。

そして今年の春ごろには妄想・暴言・興奮が強くなり、特に母への当たりが強くケンカが絶えなくなりました。そして興奮すると外へ出ても家に帰れなくなり警察に保護されることも数回。

それまで訪問看護しかサービスを使っていなかったので看護小規模多機能に変更しデイやショートを利用したけれど、ショートで脱走しまたまた警察に保護され。看護小規模多機能から「認知症の治療をしてください」と。そうでなければ利用は難しいという雰囲気を出されたので(そうは言ってはいませんが)そこも辞めました。

とにかく母が精神的に参ってきたのと、父から目が離せなくなってきたので私がほとんど朝昼晩と仕事以外の時間は実家にいるようにし、並行して施設探しを始め、11月にやっと入居できました。

ただ暴言・暴力の恐れがあったので施設でちゃんと過ごせるか不安なままで私も落ち着けず。案の定入居5日目にして施設から向精神薬を出してもらわないと対応できないと。入居前から言われていたのでやっぱりなと思う気持ちと、まだ1週間も経ってないのに?と思う気持ちがあり複雑な心境でした。

かかっている認知症治療の病院にお願いして急遽向精神薬を出されることになりました。

私も介護職をやっているので、働く身としては薬で何とかしてもらわないと仕事にならないという気持ちはよくわかります。でも薬を飲んだ人が最悪な状態になるケースも見ているので、それが自分の父に起こるのがとても不安で悲しい気持ちにもなり。でも施設におまかせしている以上仕方ないとわりきるしかありません。

薬を飲んで一週間、時々不穏はみられるけど、今のところ興奮が落ち着いているようです。電話でも私のことはまだわかるようだし。薬が効きすぎず、不穏にならずある程度しっかりした状態で暮らしていけるのが理想です。

 

父に関しては後悔しかありません。たらればがいくつも出てきます。

もっと早く認知症治療を始めればこんなに本人も周りも苦しまずに済んだかもしれない。

直腸がんに罹った時すぐに人工肛門造設手術の選択をしないで放射線治療を試してもよかったのにとか。(放射線でがんがなくなる可能性もあった)手術が引き金でアルツハイマーを発症したのかもしれないと考えて。

ガンに罹るまで父がストレスをためていたのではないか(母の世話や家のことすべて一人でやっていて)、もっとフォローしてあげればよかったのに、とか。

もちろん因果関係はわかりません。がんになる前からアルツハイマーにはなっていて、それがたまたま手術がきっかけで急に症状が出たのかもしれないし。

とにかく直腸ガンの手術をしてから急に人が変わってしまった父。なので私も最初はアルツハイマーだとは思いもしなかった。でも明らかにおかしいし認知症状がでているのにそれを放置したままにしたことがとにかく悔やまれます。もちろんただ放置ではなくて何とかしなくてはという思いはあったけれど、言い訳になるけど仕事の休みがとりにくいとか、脳外科の主治医に認知症をみてくれる病院の紹介状をもらう必要があったんだけど、主治医が苦手であまり関わりたくないという思いも働いてしまって。

家で父が過ごしていて困ることはあまりなかったので、なあなあにしていたらどんどん不穏がみられるようになってそうなると坂道を転がり落ちるようにいろんな問題行動が表れてにっちもさっちもいかなくなりました。

介護職なのに何もできていないことに落ち込み・・・。わかっているようでちっともわかっていなかったんだとここでまた後悔。

 

母も父が家にいる時は「もう嫌だ、早く施設に行け」とかさんざん言っていたけどいなくなるとやはり寂しいようで。今母のフォローも必要です。私も同居していたわけではないのにやはり家に父がいないことにまだ慣れない。寂しさが強くなる一方です。

今は家に帰りたい想い(帰宅欲求)しかない父。施設に慣れる日が来るかな。良いスタッフに恵まれるといいな。施設暮らしが楽しいと思える時間があることを切に願っています。

そして私も仕事で、ご入居者やご家族がそういう思いを持っているであろうと思いながら仕事をしていきたいと、今まで以上に思うようになりました。

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