上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

沖縄をダメにした百人 29

2013-03-11 09:30:05 | 沖縄をダメにした百人

~1フィート運動騒動記~ 14

 その日、悪魔の手先がぼくの事務所にズケズケと入り込んできた。 30歳そこそこのこの男がネクタイをし、横柄に話しかけてきた。 言葉のアクセントと顔つきで沖縄出身でないことは確かだ。

 「私は生協沖縄の事務局長の上仮屋貞美という者だが・・・ あなたの沖縄戦フィルム収集運動に協力したい。 生協には8000人のメンバーがおり、生協が協力すれば、いくらでもお金が集められる

 ぼくはヤンワリと言った。 「この運動は1人100円で始めるんです。 個人個人の力を合わせて、フィルムを購入することに意味があるんですよ。 ところで、カミカリヤさん、あなたの出身地はどこですか?」 彼は鹿児島出身だ、と言った。 ぼくは尋いた。 「ほう、薩摩ですか。 沖縄に何しに来たんですか?」 彼は憤然として答えた。 「大学生協などを拡大するために来たんだ。」 ぼくは世間知らずかも知れないが、生協が共産党系列だということくらいは知っていた。 「あなたは生協の拡大に打ち込んだらいいでしょう。 ともかく、団体の協力はお断りします」とぼくは毅然として、彼に告げた。 彼は顔を真っ赤にして、出て行った。 この男が二週間後の1フィート運動結成の発表の日にトンデモナイ行動にでることになる。 ぼくはその後、彼に「カミガカリヤ」とニックネームを付けることになった。

 ほかにもいやなことがあった。 ぼくら無名の実行委員会の若者たちが6か月間の準備活動の資金がなく、手弁当で頑張っているので、ぼくが選んだ功成り遂げて、ぼくらを応援してくれるはずの運営委員らを集めて、1人2万円ほど出資してくれないかと、お願いしたら、彼らはこの運動が成功するかどうかも分からないのに、そんな金は出せないと言ったのだ。 わずか、2万円も出せないとはケチな奴らだと思った。 ぼくはこの時、このおエラ方は本当に協力するつもりがなく、ただ、新聞に名を出すことだけに関心があるのだと気付くべきだった。 

 この運動に関心を持ってくれた者には那覇市役所の宮里千里我謝幸男がいた。 二人はぼくが1フィート運動を乗っ取られるまでは全面、ぼくを応援してくれた。 千里は覚えやすいが、我謝は「ミック・ガジャー」とニックネームを付けた。 ガジャー君はロック愛好家でもあったからだ。 ぼくは「ニックネーム」を付ける達人でもあるんだ。 (ン?自慢にならんか) 他にもこの運動に協力してくれた大切な人として、画家の小橋川肇の名を挙げなければならない。 彼は看板を造り、印鑑を作ってくれた。全て無料奉仕だ。 それらは今も事務局が使っているのだ!

 ぼくはこの運動を「沖縄戦記録フィルム1フィート運動」と名付け、いよいよ、12月8日(太平洋戦争勃発日)に八汐荘で発起会を催すことになった。


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