~上原正稔vs琉球新報の戦い~ 8
ここで前泊の乙2文書に目を向けよう。 裁判が始まって(2011年5月)間もなく、被告弁護側から提出された乙2文書を見て、ぼくは思わず笑ってしまった。 この文書をそれまで見たことがなかったが、意味はすぐ判った。 前年2006年12月ぼくは編集長から琉球新報OBの市村彦二が連載を申し出ているが、紙面がないので君の欄を空けてくれないか、と頼まれ、「ぼくにも休みが必要だからね」と気軽に応じた。 市村の「沖縄の学力」というタイトルの連載は2007年1月下旬から5月下旬まで続いていたが、連載担当だった池間聡が四月一日付けで、社長室長に昇任したので、その後釜に編集長が任命したのが前泊博盛だった。 編集長は5月に入ってそのまま前泊を「パンドラの箱を開ける時」の連載担当に任命したのだ。 前泊が「沖縄の学力」には関心がなかったことはここで「沖縄の教育」と記していることでも判る。彼はどこか抜けたところがあることは前から知っていた。 彼は注意散漫で威張り屋というどうしようもない男だ。 彼は編集長からも前任の池間からもぼくの連載について聞いていたが、乙2文書が示しているのは慰霊の日(6月23日)に向けての「沖縄の学力」(全80回)程度のものと思い込んでいたのだ。 だから50~70回(15週)と記したのだ。 15週とは1週間に5回として5×15=75回でしかない。 ところが、全50回~全70回という部分にボールペンで”1”を書き加えて全150~全170回にしている。 15週という表記はそのままだ。 「頭隠して尻隠さず」の良い例だ。 シャーロック・ホームズならずともすぐ判る。 前泊は池宮城弁護士らから事情を聞かれて「慌てて細いボールペンで”1”という数字を書き入れて誤魔化そうとしたのだ。 さらに、150回~170回の連載なんてありえない。 150回なら150回だし、170回なら170回とするものだ。 200回という数字は彼に何回ぐらいの連載になりそうだと聞かれたから、とりあえず200回かな、と答えたものだ。 編集長に確認したらいいぞ、と告げると彼は「おかしいな」と首を傾げていた。 左上の”6回分”と右端の”200回”という文字の太さは同じだが、”1”という文字と”200”という文字の太さが違うことも指摘しておこう。 原資料を証拠として提出してもらえばはっきりする。 つまり別々の日にしるされたことを示している。これでシャーロック・ホームズの謎解きは終わる。
これが問題の文書だ!!
(※これは裁判所に提出された証拠文書です)
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