~1フィート運動騒動記~ 20-9
1フィート運動は破滅すべくして破滅した。 「未来への墓標」を読むとほんとにそう実感する。 寒々とする。 そこには自画自賛の虚しい嘘八百が並び、罪の意識も反省もない。
その1フィート運動を受け継ぐのが、チュチェ思想の申し子である石川元平と反省しない悪党ども(名前はこれから明らかになる)だ。
NPO1フィート運動の会を解散するには県知事に届け出ねばならず、1フィート運動という名前を残すにしても新たな理事と組織を県知事に届けねばならないのだ。 ぼくは近々、県庁に問い合わせに行くつもりだ。
「未来への墓標」の編集委員である琉球新報OBの山根安昇と沖縄タイムスOBの大山哲は虚偽の報告書を編集したことで断罪されねばならない。
編集事務局長の大山哲は「上原正稔が1フィート運動を創設し、奪われたこと」には一切触れず、自分が編集した「未来への墓標」の中に、「牧港篤三さんの想像力」「アジアの目線に向き合う」、「右傾化の潮流に警鐘」と三つの自作の論説を入れている。 三つとも1フィートの中身には全く触れず、集団自決(強制集団死)を巡って沖縄タイムスが歴史修正グループに対抗して論陣を張ったとか、「挑まれる沖縄戦」を展開したとか自慢している。 沖縄タイムスのキャンペーンは2007年の教科書検定意見の撤回を求める県民大会に11万3千人(実数は1万5千だ)が集まる原動力となったと自慢している始末だ。 このような愚かな新聞記者は赤松嘉次さんや梅澤裕さんという二人の人間が戦後「集団自決を命じた悪徳軍人」との汚名を着せられて苦しんだことを考えようともしないのだ。
こうした「自分は正しい」と信じている新聞記者が全てというのが沖縄のメディアの現状だ。 「自分は正義」であることを証明するためには「上原正稔」という「変人」を犠牲にしても痛くもかゆくもないのだ。 赤松さんや梅澤さんら「軍人は悪人」だから、なおさら痛くもかゆくもないのだ。
大山哲は1992年9月大田昌秀がハーバービュー・ホテルで上原に対して酒乱狼藉を働いた時、牧野浩隆と共に目と鼻の先で一大事件を目撃していた。 その夜、上原と大山、牧野の三人は桜坂の酒場に行き、大田の悪口を並べ合ったものだが、大山は新聞記事にもしなかった。 それどころか、その年ぼくが沖縄タイムスで連載していた「続沖縄戦トップシークレット」に大田昌秀知事の意を受けた知事公室長の高山朝光が大山に電話し、「上原の連載を終わらせろ」との一言でトップシークレットが中断した。 新聞記者が権力に屈した瞬間だった。
─つづく
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