同じ楽曲でも、違うテイストで歌う...という場面も短いリアルタイムファンの時期に何度か体感しました。
真室川音頭...ジャジーなアレンジでグイグイと伴奏を引っ張って行くような...というのが一番多くLPなどに収録されているバージョンですけど、同じアレンジ/伴奏でも民謡番組のメインパーソナリティをつとめた時では「民謡調の間の取りかた」で歌われてみたり...
表現力の非常に豊かな方だった...とシミジミ振り返ってそう思います。
あるときは 日本調(小唄/端唄)スタイル、あるときは 北方系の抑えた民謡の歌唱、またあるときは 南方系のとびっきり明るい歌唱...
河内音頭では浪花節テイストまで...
チエミ節...という歌唱には「様々な顔」があります。
ひばり節...は終始同じ一貫したモノが強く感じます。「恋人よ我に帰れ」にも「相馬盆歌」にも「真っ赤な太陽」にも「悲しい酒」にも...同じ「ひばり節」を感じます。これは勿論ひばりさんの魅力です。全て強烈に自分のモノにしてしまう凄さ。
チエミ節...というと、「コブシ」を連想されてしまいますが、さにあらず。
江利チエミという人の「個性的な声」の裏にはその曲、あの曲...その1つ1つに、違いがあるのです。
表現方法...明るい/暗い...というだけの差ではない「テイストの違い」が「いやらしくなくオーバーじゃないのですんなり」耳に入ってくる...といったらいいのか。
広い範囲に挑戦を続けたチエミさんは、これもまた反芻になりますが、それまでの固定概念/イメージを覆し続けた歩みだった...とも思います。
江利チエミって??...
サザエさん、テネシーワルツ、さのさ... イメージが固定されない...という言い方もできてしまいます。
1つに絞れない...という言い方もできます。
類まれなスターであった...
比べるもののない存在だったがゆえに生前「正当な評価をうけていない部分」も残念ながらあった...と思うのです。
小梅姐さん、鈴木正夫さんらの活躍で脚光を浴びた「民謡(新民謡)」が、様々な音楽の台頭で一旦下火になっていく...
--->そのジャンルが春日さん三橋さん三波さん達の「望郷もの歌謡」にとって変わられていった...
そこで「さのさ」のリリース...日本の伝統を受け継いでいる音楽に再び脚光があたる!
--->望郷もの歌謡はますます人気がでる。(島倉さん、ペギーさんの南国土佐...)
再び日本調歌謡が台頭する。(ひばりさんのさのさブルース/べらんめい芸者/車屋さん...からマヒナスターズのお座敷歌謡のヒット)
この昭和30年代の「歌謡曲」の流れの中で、「ふるさともの」「お座敷もの」の牽引役としての「チエミの民謡」の役割(「さのさ」のヒット)は非常に大きかった...ということを感じます。
真室川音頭...ジャジーなアレンジでグイグイと伴奏を引っ張って行くような...というのが一番多くLPなどに収録されているバージョンですけど、同じアレンジ/伴奏でも民謡番組のメインパーソナリティをつとめた時では「民謡調の間の取りかた」で歌われてみたり...
表現力の非常に豊かな方だった...とシミジミ振り返ってそう思います。
あるときは 日本調(小唄/端唄)スタイル、あるときは 北方系の抑えた民謡の歌唱、またあるときは 南方系のとびっきり明るい歌唱...
河内音頭では浪花節テイストまで...
チエミ節...という歌唱には「様々な顔」があります。
ひばり節...は終始同じ一貫したモノが強く感じます。「恋人よ我に帰れ」にも「相馬盆歌」にも「真っ赤な太陽」にも「悲しい酒」にも...同じ「ひばり節」を感じます。これは勿論ひばりさんの魅力です。全て強烈に自分のモノにしてしまう凄さ。
チエミ節...というと、「コブシ」を連想されてしまいますが、さにあらず。
江利チエミという人の「個性的な声」の裏にはその曲、あの曲...その1つ1つに、違いがあるのです。
表現方法...明るい/暗い...というだけの差ではない「テイストの違い」が「いやらしくなくオーバーじゃないのですんなり」耳に入ってくる...といったらいいのか。
広い範囲に挑戦を続けたチエミさんは、これもまた反芻になりますが、それまでの固定概念/イメージを覆し続けた歩みだった...とも思います。
江利チエミって??...
サザエさん、テネシーワルツ、さのさ... イメージが固定されない...という言い方もできてしまいます。
1つに絞れない...という言い方もできます。
類まれなスターであった...
比べるもののない存在だったがゆえに生前「正当な評価をうけていない部分」も残念ながらあった...と思うのです。
小梅姐さん、鈴木正夫さんらの活躍で脚光を浴びた「民謡(新民謡)」が、様々な音楽の台頭で一旦下火になっていく...
--->そのジャンルが春日さん三橋さん三波さん達の「望郷もの歌謡」にとって変わられていった...
そこで「さのさ」のリリース...日本の伝統を受け継いでいる音楽に再び脚光があたる!
--->望郷もの歌謡はますます人気がでる。(島倉さん、ペギーさんの南国土佐...)
再び日本調歌謡が台頭する。(ひばりさんのさのさブルース/べらんめい芸者/車屋さん...からマヒナスターズのお座敷歌謡のヒット)
この昭和30年代の「歌謡曲」の流れの中で、「ふるさともの」「お座敷もの」の牽引役としての「チエミの民謡」の役割(「さのさ」のヒット)は非常に大きかった...ということを感じます。
こんだけ体内に貯め込んでいれば、ダイエットもままなりますまい。
ところで本題ですが
> 「テイストの違い」が「いやらしくなくオーバーじゃないのですんなり」耳に入ってくる...といったらいいのか。
この一文にビビビッと思い当たりました。
たしかにチエミさんの七色の声は私の感性に扉を「すんなり開けて」
私の心の耳に入ってきてしまいました。
そしてチエミさんの声に色が見えたんでございます。
はじめて歌声というものに色を認識したのでございます。
たとえば「奇跡の人」のヘレン・ケラーが井戸水で「Water=水」を認識した場面を思い出してください。まさにあれです。
最近、先祖返りして、シルヴィ・バルタンも再び聞き込んでいるのですが
彼女にも色があることがわかりました。
チエミさんの声に出会う前と出会った後とでは、まるで聴き方が違ってきました。
チエミさんの七色の声は、「こういう風にも歌えるのよ」みたいな押し付けがましさがない故、ついつい自然に「すんなり」と受け入れてしまいがちです。
でも実は実は凄いことになっている。
私こういう人は初めてなんです。
好きなんです!とっても好きなんです!
あらぬ方向に行きそうなので、このへんで、ごきげんよう。(^^;)
もたれない ですよね。
なにがなんでも個性が最初にきてしまう...という「押付けがましさ」がない... という部分ですかね?!