江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ ルシル・ボール 越路吹雪 雪村いづみ そして 江利チエミ

2010年09月27日 | 江利チエミ(続編)

雪村いづみさん関連のずいぶん前のものですが読売さんのコラム
 http://otona.yomiuri.co.jp/people/jazz/jazz090827.htm?from=yolsp

この中で越路さんの代役となって出演した「メイム」(1973年/昭和48年・日生劇場公演)...

ここに書ききれていない部分...

越路さんは骨折して急きょ...だったということ、
そしていづみさんの著書にもたまたま「3日前にこのミュージカル」を見ていたことは書かれていますがその詳細...

それは「メイム」初日...
江利チエミさんが都合でいけなくなりそのチケットを雪村いづみさんがもらってたまたま観に行っていた...  といった日本のミュージカルの歴史を作ったといってもいいこの三人の因縁めいた話です。
初日を観ていたことも急な代役を成功できた一因だったに違いありません。
              (twigさん 情報ありがとうございました。)

越路さんとのことは...
 http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/5d91cdc9a61051962a375a681ab7151d
   ↑
 動画/画像は落ちている部分ありますが、こちらをご覧ください。


さて、ルシル・ボール
 映画化された「メイム」は彼女が主演しましたが、彼女はあまり歌が...だったためか彼女のダンスシーンはふんだんにありましたが、歌唱シーンはなかった珍しいミュージカルでした... が、とってもゴージャスで笑わせて泣かせて...
 想い出深い映画であります。

わたしの年代までは彼女と言ったら「ルーシー・ショウ」!
 有名なアメリカの名コメディエンヌです。
 http://www.youtube.com/watch?v=aMBH8Fklk68
    ↑
 懐かしいです!!
 
 1989年4月26日 77歳で天国に召されました。 

彼女のことは...
 https://www.superdramatv.com/line/lucyshow/cast.html
    ↑
   こちらを!

1974年の映画メイム...
 goo映画さんより引用します。

>1930年代の古き良きアメリカを舞台に、最も典型的なアメリカ女性ともいうべき善意あふれるメイム叔母さんの珍行奇行を描くミュージカル映画。パトリック・デニスが自分の叔母さんの思い出を描いた小説が原作で、ブロードウェイで大ヒットとなり、ただちに映画化され、日本では59年に公開されているが、64年ニューヨークで4年間のロング・ランを記録し、今回の映画化となった。製作はロバート・フライア、ジェームス・クレッソン、監督は舞台の「メイム」を手がけた「おかしな二人」のジーン・サックス、脚色はポール・ジンデル、撮影はフィリップ・ラストップ、音楽はジェリー・ハーマン、衣裳デザインはセオドア・ヴァン・ランクル、ダンス振付けはオンナ・ホワイトが各々担当。出演はルシル・ボール、ロバート・プレストン、ベアトリス・アーサー、ジェーン・コンネル、カービー・ファーロング、ブルース・デイヴィソン、ジョージ・チャン、ルシル・ベンソンなど。

>父親に死別した9歳の少年パトリック・デニス(カーリー・ファーロング)が、ニューヨークに住むメイム叔母さん(ルシル・ボール)を訪ねてシカゴからやってきたのは1928年のことだった。叔母さんはチョット変わりだねだったが、自由に、大らかに人生を楽しんで生きている朗らかな人だった。風変わりなのは彼女だけでなく、パトリックのために家庭教師として雇われたアグネス・グーチ嬢(ジェーン・コンネル)も、日本人召使いのイトー(ジョージ・チャン)も、叔母さんに似てか、どこか常識はずれで朗らかだった。1929年、例の経済大恐慌の嵐がアメリカ全土に吹き荒れ、株にたよって生活していた叔母さんは無収入になってしまった。しかし、そんなことで、ヘコんでしまうメイム叔母さんではない。友人の女優、ベラ・チャールズ(ベアトリス・アーサー)に頼み込んで、インスタント女優としてデビューするが、生来のオッチョコチョイがたたって舞台は大混乱。それでもくじけず、今度は百貨店の売り子をやるが、これもうまくいかない。しかしいいことが1つだけあった。たまたま百貨店に買い物にきていた西部の大金持ち、ボーレ・ガード・バーンサイド(ロバート・プレストン)にひと目ぼれされ、結婚することになったのだ。豪華客船での世界一周、デラックス・ホテルの窓から眺めるエキゾチックな風景--旅行熱に取り付かれた叔母さんは新しい夫といっしょに、何年もの間、殆どを旅で暮らすようになったが、そんな旅の途中で思わぬ事故から、ボーレ・ガードが命を落とし、叔母さんは悲しみのうちにニューヨークへ帰ってきた。叔母さんを待っていたのは、ハンサムな青年に成長したパトリック(ブルース・デイヴィソン)とアグネスだった。だが、アグネスは自由恋愛を謳歌しすぎたあまり、父親のいない赤ん坊を体内に宿してしまっていた。それが叔母さんにひとつの決意をうながした。夫の遺してくれた莫大な財産で、未婚の母たちのための施設“ボーレガード・バーンサイド記念ホーム"を建設することにしたのである。その間、パトリックも結婚し、男の子も生まれた。そして1948年。パトリックが初めてニューヨークにきてからすでに20年。叔母さんも年をとったが、人生をエンジョイしようとする意欲はまだまだ若い連中なんぞに負けやしない。眼の中に入れても痛くないパトリックの子供、ピーターをお供にモスクワへ旅立っていく彼女の瞳は、まだ見ぬ国への好奇心と冒険欲にキラキラ輝いていた。

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チエミさんにも演じてほしかった演目のひとつ...でありました。



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1 コメント

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因縁・・? (twig)
2010-09-28 12:33:59
確かに、メイムでの三人のつながった因縁を感じます。

それにしても、たった3日で幕を開けたというのがすごいことで、もっと語られていい話しですね。
せりふだけでなく、歌やダンスもですから。
歌のほとんどがメイムのソロですから、大変だったと思います。

病室で、越路さんが「代役はトンコしかいない」と叫んだとか。
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