江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 続/アーサー・キット

2008年09月16日 | 江利チエミ(続編)

過去のアーサー・キット関連の記述は...
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/s/%A5%A2%A1%BC%A5%B5%A1%BC%A1%A6%A5%AD%A5%C3%A5%C8
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 ここにまとめてみました。

アーサー・キット/オフィシャルHPは http://www.earthakitt.com/ ここです。

>アーサ・キットは国際的なスターです。 彼女は映画、劇場、音楽とテレビそして上のキャバレーでその才能をいかんなく発揮しました。
キットはトニー賞(3回)、(二度)グラミー賞、およびエミー賞(二度)に選ばれた、たぐいまれないパフォーマーのひとりです。

キットの特徴のある声は新しい世代を魅了しました。

アーサ・メイ・キットは幼少期に多民族の混血であるのためにさまざまな差別にあいまた。
8歳のときに、、彼女は生まれ故郷のサウスカロライナの北部の綿花農場から追い出され、ニューヨーク・ハーレムのおばさんのもとに預けられます。
ニューヨークのショービジネスの世界で彼女のたぐいまれな個性と能力が発揮されました、
10代の時に友達のいわばつきそいで行った有名なKATHERINE DUNHAM DANCE TROUPEのオーディションに受多くのライバル出し抜いて合格しました。
※この1948年がデビューと言えると思います。しかし、不遇な時代は続きトルコ~フランスまで出稼ぎをしている時期があります。

パリでの修行時代、キットは、ナイトクラブのオーナーによって見いださられて、専属歌手の職を得ました。
彼女のユニークなキャラクターによって、すぐに彼女は人気を得ました、
オーソン・ウェルズ(彼女を「世界一おもしろい女性」と呼んだ)も早い時期から彼女の才能にほれ込んでファンになったひとりです。

ニューヨークに戻ったキットは、ブロードウェイのプロデューサーによって見いだされました。 彼女が出演した舞台「NEW FACES」の成功は、全米ツアーと20世紀フォックス映画での出演化につながりました。(NEW FACESは1年間上演しました)。

ブロードウェイからスターダムにのし上がった彼女はラヴ・フォー・セールなど数々のヒットを飛ばしました。

テレビシリーズ/バットマン:BATMANでは1967年に、悪名高いキャットウーマンを演じ話題になりました。

10ケ国語にもわたる言語で歌って、100以上の国で仕事をした彼女は名声を得ました。
※カモンナ・マイハウスを江利チエミスタイルでの日本語でレコーディングしたり、次章で掲示する「SHOJYOJI」なども吹き込んでいます。

1968年に接待されたホワイトハウス昼食会で、ベトナム戦争に対してはっきりとした反戦思想からの発言をして、キットは窮地に追い込まれました。
その後しばらく、キットは、米国内でブラックリストに載せられて、やむおえず活動の場を海外に求めた時期も長くつづきました。
(In 1968, however, Kitt encountered substantial professional setback after she made anti-war statements during a White House luncheon. It was reported that she made First Lady Lady Bird Johnson cry. The public reaction to Kitt's statements were much more extreme, both for and against her statements. Professionally exiled from the U.S., she devoted her energies to overseas performances)

(2006年12月にようやく彼女は公に復権します。大統領ジョージ W. ブッシュ夫人と並んでワシントンの公邸のクリスマスツリーに点灯しました。)

1974年に成功を収めたカーネギー・ホールコンサートをきっかけにアメリカに帰国、1978年にミュージカル、ティンブクトゥの彼女の主役により2回目のトニー賞候補にもなりました。・・・自伝も発刊されました。・・・

ライブ/実演こそが命...はキットの信条です。・・・(中略)

2007年1月17日に、80歳のお祝いのコンサートがカーネギー・ホールで開かれました。

彼女はコネチカットで彼女の娘キット・シャピロと4人の孫の家のすぐそばの自宅で暮らしています。

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動画 http://jp.youtube.com/watch?v=b5WVkl_f7_E
 セ・シ・ボン

動画 http://jp.youtube.com/watch?v=frJBvPC99i8
 ウスクダラ/アメリカで名声をつかんだ舞台「NEW FACE」の映画化されたものの1シーンだと思います。ウスクダラはこのミュージカルで歌われたもの。アーサーはイスタンブールで歌手の仕事をしていた時期があり、この曲は彼女によって持ち込まれた楽曲といわれています。

動画 http://jp.youtube.com/watch?v=0sGy3BSSEmQ
 TV「ナット・キング・コール・ショー」で

動画 http://jp.youtube.com/watch?v=3yhLrole8CY
 なんと出だしはキャット・ウーマンの1場面付きのセントルイスブルース

動画 http://jp.youtube.com/watch?v=cGvkZ6AIVtQ
 日曜日はダメよ!

動画 http://jp.youtube.com/watch?v=ZXAwAvUHa-E
 ウェディングベルが盗まれた

動画 http://jp.youtube.com/watch?v=XOMw3oO27kM
  そして、もう1本「ウスクダラ(トルコ譚)」

波乱万丈の人生だったアーサーでしたが、
  現役でステージを成功させ、81歳の今も幸せに暮らしているのですね...

先に彼女のホームページに掲載されていたバイオグラフィーを下手な訳文で掲載しましたが、大事な彼女の生い立ちをここにもう少し付け加えます。

アーサー・キットは1927年にBlack Cherokee(北米の黒人チェロキーインディアン)の母と白人の農夫との間に生まれました。
子供の頃には他の黒人と比べて肌がミルクコーヒー色だったことからイジメを受けて育ちました。 
そして大人になって芸能界に入ってからは肌が黒いということで役を貰えず苦労したそうです。
黒人を差別していたアメリカでは黒人と白人との混血は、黒人よりもいっそう蔑まされた存在だったのです。 
とくに外見は白人に見えて実は黒人の血が混じっている・・・というのは最もさげすまれ、うとまれた存在だったのです。
それゆえアーサーの母は、彼女を自分の姉妹に託すよりほかなかったのかも知れません。


そして最後は...
 動画 http://jp.youtube.com/watch?v=J9f1Tzn5gOM
  昭和29年/紅白歌合戦のライブ録音です。江利チエミ17歳の大晦日の貴重な音源です。

ウスクダラ ギデーリーケン オードダビリヤンムール...
原語の部分の意味は、訳詩とまったく違います。
チエミ盤の訳詩は日本人が中近東にイメージするところの...アラビアンナイト...ハーレム...男がもててもててウハウハ...的な部分が見え隠れします。
    しかし、実際は下記がトルコ語の詩の意味なのです。

>ウスクダラに行った時は雨だった
  キャーティップの着物の裾は長く、跳ね上がっていた。
   キャーティップは起きたばかりなのか、目がぼんやりしていた。
    キャーティップは私のもの 
     私はキャーティップのもの
       腕を組めるのは...私だけ!!

女性からのラブソング...がもともとの歌詞なのだそうです。


注)キャーティップ:アラビア語で「書記」...転じて「下級役人」「彼氏」「亭主」...の意。


さて、トルコ語には日本語ととても近い表現が多くあります。
          チョーキー... 超いい!という意味なのだそうです。



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