りんご園の少女...という映画は今でもひばりさん特集などでその映像が流れることがあります。
♪りんご---の故郷は北国の果て...主題歌は「津軽のふるさと」です。
これは映画に先駆けて民放のラジオドラマで放送されていました。
その収録がなぜか文京区・音羽のキングレコードのスタジオで行われていたのです。
昭和27年のことです...
ここで ひばり・チエミ は初めて顔をあわせたそうです。そこである事件?が起るのです...
その事件?の言い分は2通りに別れます。
ひばり側...ひばりが収録休憩の時チエミがスタジオに入ってきた。馴染みの(当たり前ですよね!キングのスタジオなんですから)バンドマンとおしゃべりをして 挨拶もなしに立ち去った。
チエミさん...これは後年のインタビューで初めて出あったときのことを思いだしての会話です。
>はじめてあったのはキングのスタジオでひばりちゃんがラジオドラマの収録をしてたのね。その時は「はじめまして江利チエミです」って挨拶しただけだったのね。それから暫くは顔を逢わせたことはなかったですね... と。
う---ん。私にはどうしてもチエミさんが挨拶もしないで立ち去るタイプには思えない...
マスメディアも1枚噛んだ「デフォルメ」に思えるのです。
この直後、ひばりママは「テネシーワルツ1曲のヒットで先輩を馬鹿にした!」と発言したものが雑誌に掲載されます。
そして、大阪夏の陣事件が起こります。
千日前の大劇(大阪劇場)では美空ひばりら豪華キャストで寸劇もあり歌と踊りの「恒例の大歌謡ショウ」が開かれていた。
そこから目と鼻の先の常盤座では「江利チエミ・大阪初見参」として初主演した「猛獣使いの少女」の映画上映と生バンドでの「江利チエミショウ」のアトラクションが...バッチリぶつかったのです!
ひばり有利の下馬評だったものの、蓋を開けると江利チエミは凄い人気...とくに若者の動員数がめざましく、結果として観客動員総数でひばりさんに勝利を果たします。
この時、チエミさんは後輩として大劇のひばりさんの楽屋を訪問するのですが、これは「ひばりママが挨拶に来い!」との圧力をかけたから...云々とか... また、この挨拶=和解なので「これを機会に雑誌で対談を」という平凡の思惑も「喜美枝ママのNO!」で実現しなかった...とか。(またこの楽屋訪問も門前払いを喰った...という近年のテレビでの「3人娘特集」の構成もありました。チエミさんの発言...を門前払いを喰ったので「暫く逢わなかった」と取ればこれも信憑性がありますが、チエミさん一流の賢さで「ひばりさん側の事を云々ということに言及してしまうことには触れない」という含みで捉えると...これまた真実は??わからないですね?!)
まあ、挨拶を要求されたにせよ門前払いを喰ったにせよ、それをどうでこうでとはチエミさん側は言わなかったはずだけれど(チエミさんとお父上...苦労人の業界人のチエミさんの父君、芸人としての根性の坐ってる江利チエミがそんな素人のようなスタンスを取るはずがない!...と)、マスコミはまた面白可笑しく騒ぎたてていったのです。これは今もテレビ等で「チエミ側には遺恨が残った!」などと...
真実?...はどうもわからない部分があるように思えます。
その後ひばり親子が、一般客にまぎれてチエミショウを偵察にいく...等などもスクープされます。
あることないことマスコミは2人をあおりつづけたようです。
なにかにつけ同い年のひばり・チエミは対比されるようになったのです。
本人の意思・意向とは別に「犬猿の仲」に仕立て上げられたといってもいいと思います。
そしてフィクサーは...私にはびばりママ・加藤喜美枝さんの顔がちらつきます。
しかし、初対談の際に喜美枝ママは飾らないチエミさんの人柄に触れてチエミさんを受け入れたのだとか...
ゆえに 44)でも書き込んだ「平凡」での初対談に、そして「3人娘共演」までにはかなりの時間を要したのです。なにより映画での共演を渋ったのはチエミさんだったとか...
このくだりはまた後ほど...三人娘映画までの道のりを掲載します。
♪りんご---の故郷は北国の果て...主題歌は「津軽のふるさと」です。
これは映画に先駆けて民放のラジオドラマで放送されていました。
その収録がなぜか文京区・音羽のキングレコードのスタジオで行われていたのです。
昭和27年のことです...
ここで ひばり・チエミ は初めて顔をあわせたそうです。そこである事件?が起るのです...
その事件?の言い分は2通りに別れます。
ひばり側...ひばりが収録休憩の時チエミがスタジオに入ってきた。馴染みの(当たり前ですよね!キングのスタジオなんですから)バンドマンとおしゃべりをして 挨拶もなしに立ち去った。
チエミさん...これは後年のインタビューで初めて出あったときのことを思いだしての会話です。
>はじめてあったのはキングのスタジオでひばりちゃんがラジオドラマの収録をしてたのね。その時は「はじめまして江利チエミです」って挨拶しただけだったのね。それから暫くは顔を逢わせたことはなかったですね... と。
う---ん。私にはどうしてもチエミさんが挨拶もしないで立ち去るタイプには思えない...
マスメディアも1枚噛んだ「デフォルメ」に思えるのです。
この直後、ひばりママは「テネシーワルツ1曲のヒットで先輩を馬鹿にした!」と発言したものが雑誌に掲載されます。
そして、大阪夏の陣事件が起こります。
千日前の大劇(大阪劇場)では美空ひばりら豪華キャストで寸劇もあり歌と踊りの「恒例の大歌謡ショウ」が開かれていた。
そこから目と鼻の先の常盤座では「江利チエミ・大阪初見参」として初主演した「猛獣使いの少女」の映画上映と生バンドでの「江利チエミショウ」のアトラクションが...バッチリぶつかったのです!
ひばり有利の下馬評だったものの、蓋を開けると江利チエミは凄い人気...とくに若者の動員数がめざましく、結果として観客動員総数でひばりさんに勝利を果たします。
この時、チエミさんは後輩として大劇のひばりさんの楽屋を訪問するのですが、これは「ひばりママが挨拶に来い!」との圧力をかけたから...云々とか... また、この挨拶=和解なので「これを機会に雑誌で対談を」という平凡の思惑も「喜美枝ママのNO!」で実現しなかった...とか。(またこの楽屋訪問も門前払いを喰った...という近年のテレビでの「3人娘特集」の構成もありました。チエミさんの発言...を門前払いを喰ったので「暫く逢わなかった」と取ればこれも信憑性がありますが、チエミさん一流の賢さで「ひばりさん側の事を云々ということに言及してしまうことには触れない」という含みで捉えると...これまた真実は??わからないですね?!)
まあ、挨拶を要求されたにせよ門前払いを喰ったにせよ、それをどうでこうでとはチエミさん側は言わなかったはずだけれど(チエミさんとお父上...苦労人の業界人のチエミさんの父君、芸人としての根性の坐ってる江利チエミがそんな素人のようなスタンスを取るはずがない!...と)、マスコミはまた面白可笑しく騒ぎたてていったのです。これは今もテレビ等で「チエミ側には遺恨が残った!」などと...
真実?...はどうもわからない部分があるように思えます。
その後ひばり親子が、一般客にまぎれてチエミショウを偵察にいく...等などもスクープされます。
あることないことマスコミは2人をあおりつづけたようです。
なにかにつけ同い年のひばり・チエミは対比されるようになったのです。
本人の意思・意向とは別に「犬猿の仲」に仕立て上げられたといってもいいと思います。
そしてフィクサーは...私にはびばりママ・加藤喜美枝さんの顔がちらつきます。
しかし、初対談の際に喜美枝ママは飾らないチエミさんの人柄に触れてチエミさんを受け入れたのだとか...
ゆえに 44)でも書き込んだ「平凡」での初対談に、そして「3人娘共演」までにはかなりの時間を要したのです。なにより映画での共演を渋ったのはチエミさんだったとか...
このくだりはまた後ほど...三人娘映画までの道のりを掲載します。
逆によく似た二人の歌手同士でも「歳」が違ったら「ライバル視」と「友情」との兼ね合いって言うことも なかったかもしれませんね。「聖子」と「明菜」とか、「ルミ子」と「真理」みたいに・・。
その時、何度火をつけてもお線香に火がつかなくて仕方ないので火のつかなかいお線香をそのまま供えたのだそうです。
このことをひばりさんは後で、思えば嫌な知らせだったのかも知れない...と語っていました。
東京で再入院をしていたときは夢枕にチエミさんが現れて、こっちにきちゃいけない...って言ってるみたいだった...とも。
ママの通夜に集まったマスコミにチエミさんは...
>わたしみたいなものにひばりちゃんは「なんとか救いたいと思って一生懸命できる限りの手をつくしたのに駄目だった」って何度も何度も話をして...と泪ながらにインタビューに答えていた姿が印象に残っています。
色々なことがあった。でも、ひばりさんとチエミさんは、戦友...だったのですね。
全編「チエミ版で」、しかもあの時のひばりさんは立ってるのもやっとだったのに...
歌う前に確か...
>なんだか英語の歌唄ってたら、あの子のこと思い出しちゃった...日野さん!テネシーワルツやろう!...っていって泣きながら歌ったように記憶しています。