江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ チエミさんの実母:谷崎歳子さんのこと

2020年11月27日 | 江利チエミ(続編)

ご存じの方も多いとおもわれますが、こちらのブログに詳しく... こちら

以下は過去のこのブログの記事です。

宝塚歌劇歴史年表1917(大正6)年の年表のなかに発見!
  江利チエミさんの母君「谷崎歳子」さんは、東京少女歌劇の出身です。

>7月 宝塚少女歌劇第14回公演。
歌劇「桃色鸚鵡」。篠原・雲井・由良。
歌劇「大江山」
歌劇「女曽我」作久松。雲井・由良・大江。
歌劇「リサール博士」高峰・高砂・篠原。
歌劇「夜の巷」「私は歌劇が大の大の大好きよ」の歌がある作品。

7月 楳茂都陸平入団。関西に大きな勢力を持つ日舞流派の後継者であり、まだ若いが宝塚の舞踊劇を確立していく。
7月 ローヤル館オペラ「古城の鐘」。
8月 東京少女歌劇団旗揚げ(三友館)。西本朝春などもこの指導をする。谷崎歳子というスターがいて、青柳有美も谷崎は評価している

★レコードの吹き込みの記録もあります。

>歌劇「おもちゃと太郎」(鈴木康義作)
東京少女歌劇団(管弦楽伴奏)
白川澄子 谷崎歳子
貴島田鶴子 千種百代
外十数名
オリエントレコード 1934/35
録音:1921(大正10)年頃?
アコースティック録音

>歌劇「籐六と人形」(鈴木康義作)
東京少女歌劇団(管弦楽伴奏)
白川澄子 谷崎歳子
貴島田鶴子 千種百代
外十数名
オリエントレコード 1936/37
録音:1921(大正10)年頃?
アコースティック録音

補足)浅草オペラで1ジャンルを確立していた「少女歌劇」について...

>舞踏家西本朝春と、後の東京少女歌劇団主宰鈴木康義は大正6年3月、少女歌劇「日本歌劇協会」を創立します。これは、大正2年に設立され、大正3年4月に第一回公演を行った宝塚少女歌劇団の活動に刺激を受けたものと思います。日本歌劇協会は、大正6年10月には「ビューチー一座」と改名しますが、同年末には一時解散、翌大正7年2月に「エンパイヤ歌劇団」として復活、4月からは「アサヒ歌劇団」として、当時浅草オペラの常設館であった日本館で活動を展開します。
>アサヒ歌劇団は一条久子、明石須磨子、貴島田鶴子、梅村千代子らをスターとした、若い女優だけを使った少女歌劇や、男優も加わった史劇やお伽歌劇を主に演じていたようです。ちなみに、後に藤原歌劇団を結成・運営し、日本のグランド・オペラの発展に多大な功績を残した藤原義江が、新国劇から浅草オペラの道に入ったのは、大正7年4~5月のことでしたが、最初に入ったのが、このアサヒ歌劇団でした。その後アサヒ歌劇団は、大正8年9月下旬に日本館から駒形劇場に移り単独公演を行いますが、収支バランスが釣り合わず、翌大正9年2月に鈴木康義は一座を率いて名古屋を本拠地に移し「東京少女歌劇団」として活動するようになります。

★映画出演の記録で検索すると以下の1件がヒットします。

>金語楼の親爺三重奏
製作=東宝映画(東京撮影所) 
1939.12.13 日本劇場
7巻 1,824m 67分 白黒

製作 ................  氷室徹平
演出 ................  小国英雄
製作主任 ................  加戸野五郎
脚本 ................  山崎謙太
撮影 ................  立花幹也
音楽 ................  谷口又士
装置 ................  吉松英海
録音 ................  俣野八男
照明 ................  丸川武郎
編集 ................  畑房雄
 
配役    
柳家金兵衛 ................  柳家金語楼
春江 ................  若原春江
辻野辻吉 ................  大辻司郎
その妻おたね ................  英百合子
柳屋のばあや ................  清川虹子
金貸金田 ................  昔々亭桃太郎
高山先生 ................  高勢実乗
その息子勝彦 ................  立松晃
その母つね子 ................  谷崎歳子
澄子 ................  戸川弓子
女師匠 ................  渋谷正代
澄子の母 ................  川田京子
馬子 ................  榊田敬治
朝鮮人 ................  寺島勇作
 〃  ................  伊奈龍男
物売り娘 ................  大町桂子

東宝の小林一三翁をして「西に天津乙女あり、東に谷崎歳子あり」と云わしめた母君...
体調を崩してしまったこと、そして戦争がなかったら...大女優として名を残せた人物だったようです。
     なかなかの「大輪」だったことが偲ばれます。

※東京少女歌劇団旗揚げ(三友館)...
  この三友館は、後の紳士の娯楽の殿堂・フランス座...のルーツだそうです。

母さんにさわってみたい 1964年10月発売のEPです。

江利チエミにしては珍しい...というか「この1曲だけ」ではないでしょうか?
自己陶酔的歌唱を残しています。

♪どうしてだか わたしのとこにいない 母さん...
亡き母「谷崎歳子さん」と「江利チエミさん」のことをあきらかに歌っている曲です。
公私混同的なことの嫌いなチエミさんだったと思います。
ゆえに..珍しい楽曲です。
同じタイプの曲を例えれば...美空ひばり「悲しい酒」、雪村いづみ「オー・マイ・パパ」「約束」...自己の世界に浸って歌うという「ドラマティック」な唱法で歌われているのです。

想像するに「感極まってしまった」のかも知れません。情感を込めて歌う...という枠には収まらなかったように感じます。
江利チエミが...!ってこの曲を聴いた時に驚きを感じました。

チエミさんには「この唱法」もあったんだな...と思いましたが、この「自己陶酔型」な歌唱はチエミさんは他では使わなかったと思います。

この1曲だけに聴くことが出来る...江利チエミの泣き節であります。
 

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