江利チエミという人は、思えば「こういくだろう!」というファンの期待をある意味「裏切り続けた」芸能生活だったのかもしれません。
ジャズ(ポップス・ラテン・カントリー)---->民謡---->ミュージカル---->POP系歌謡---->ニューポップス---->民謡---->演歌系歌謡曲---->ジャズ...
おおまかに云えばこれだけのジャンルに力を入れて歌った時期があります。
女優の側面でもそれは顕著でした。
マンネリ...ということ。それを彼女は一番嫌ったのかもしれません。
前掲の「ちいさこべ」「この首一万石」のころ...
コマ劇場で歌手としてはじめての座長公演を江利チエミは成功させます。
「咲子さんちょっと」でも歌手としてはじめてロングクールの本格的連続ドラマに主演します。
「マイフェアレディ」に主演...
昭和35年...色々あって芸能界に本格的に復帰した江利チエミさんは、助演という形でこんな映画にも出演しました。
白夜館HPより 引用します。
http://2.csx.jp/users/sinkan/index.html
> ふんどし医者
1960年、東宝、中野実原作、菊島隆三脚本、稲垣浩監督作品。
>特急こだまが走る現在(製作当時)の大井川鉄橋から、川人足が人を運んでいた文久3年(1863)の大井川に画面は移る。
大井川を挟む東海道島田の宿では、旅籠の娘、お咲(江利チエミ)が、好いたらしい伊豆伊東出身の遊び人、半五郎(夏木陽介)を探している。
遊び過ぎて宿代も払えなくなっていたその半五郎は、性懲りもなく博打の最中だったが、鳴海組の賭場で面白い事が起こっているとの噂を聞き付け駆け付けてみる。
そこで起こっていたのは、美しい女性が一人で大勝負をしている事。
そのかたわらには、付き添いで楽しそうに女房の勝負を見て楽しんでいる亭主らしき男が一人。
どうやら、イカサマ博打に気づかず、亭主は身ぐるみ剥がされている様子。
それとなく、その亭主にイカサマである事を注意する半五郎であったが、亭主は笑って取り合わない。
結局、褌一つの情けない姿で帰る事になったその亭主と女房は、この辺りで、金持ち、貧乏人の区別なく診ることで有名な医者の小山慶斎(森繁久彌)といく(原節子)であった。
その後、インチキを告げ口した事への見せしめから、鳴海組の源太(中谷一郎)に襲われ、瀕死の重傷を負った半五郎を、慶斎は一世一代の大手術で救うことになる。
何とか一命は助かったものの、回復後もヤクザ気質は変わらず、何かとお咲を心配させていた半五郎だったが、ある夏、江戸から来た御典医の池田明海(山村聡)が当地を訪れ、彼の古くから親友である慶斎が、日本でも屈指の名医になる素質を持ちながらも、この地元に身を埋める決意をした貴い考えの持主だと知り、心を入れ換え、自分も医者になるために慶斎の弟子にしてくれ頼み込むのだが…。
黒澤明の「赤ひげ」(1964)に先立つ医者物の感動作。
「赤ひげ」にくらべると、かなり庶民的なドラマ仕立てになっているのだが、かといって俗な感じはない。
豪放磊落な秀才の奔放な生きざま…と最初は思わせながら、かつての盟友で、今はエリートコースをひた走る池田と、ヤクザの半五郎の成長を対比させる事によって、慶斎の生き方そのものへの疑問、理想と現実のギャップの厳しさを痛感させられるような構成になっている。
特に後半、庶民というものの根本的な残酷さをえぐり出す所が凄い。
単なる人情医者と庶民の触れ合い感動ものではないのだ。
老いてなお、報われる事がないばかりか、時代に取り残されてしまった自分に気づいた慶斎が、ある種、達観の境地に到達するラストが胸を打つ。
博打をする原節子という絵も強烈な印象があるし、脇に徹する江利チエミも素晴らしい。
共に、陰で男を支える女という点で共通する役柄であるが、二人ともサバサバとした性格に描いているので嫌みがない。
夏木陽介の月代姿のヤクザというのも珍しく、見た目、若干違和感を感じないでもないが、物語の前後でがらりとイメージが変わる難しい役所だけに、若くして良く健闘していると見るべきだろう。
しかし、何といっても、森繁の存在感には敬服させられる。
彼の本質的な人柄の明るさ、憎めなさが、後半の悲劇性をより強調している。
重いテーマ性を、さらりと娯楽に仕立て上げてみせた菊島隆三の脚本と稲垣監督の演出を賞賛すべきだろう。
埋もれた名作の一本ではないだろうか。
---------------------------------------------------------------------------
これ以前の作品にも、シリアスものはあります...
1952(昭27)年
猛獣使いの少女 母子鶴 は、デビュー当時のアイドル路線でお泪頂戴もの。
1957(昭32)年
森繁の僕は美容師 ...ここでは森繁さんの娘を演じます(助演です。)この作品は、おそらく三人娘映画以降、演技開眼した江利チエミの「女優として可能性」を見出しての起用ではなかったかと思われます。白黒の地味な映画ですが、好演しています。
そして35年... チエミさんは本腰を入れて「芸能界でやっていくんだ!」「女優としても恥ずかしくない演技をするんだ!」という意志を固めたのではないでしょうか?
女優として...これは戦争と病に伏して「その志半ば」で早世した母/谷崎歳子さんへの思いもあってのことではないかとも想像します。
この時期、テレビ・舞台では「主役・大看板」を張る。本編の文芸作品では一女優として「助演」での出演をする...という活躍をしています。
これは第一線の当時のスターとして「珍しいこと」です。
1ファンとしては、もっとふんぞり返って偉そうにしてくれていても良かったのに、と思えるほどに...
この他流試合...
江利チエミさんは晩年にもその「挑戦」を止めることはありませんでした。
昭和53年7月、これまでのホームグラウンド「東宝」を離れて、松竹系の京都南座で座長公演を行ないます...「二十四の瞳」(壺井 栄:原作 青井陽治:脚色 増見利清:演出 山本直純:音楽監督)です。
54年10月には東京宝塚劇場/東宝歌舞伎・錦秋十月特別公演で長谷川一夫と共演します。(長谷川伸:作、衣笠貞之助:脚本・演出、楠田清:脚本「沓掛時次郎」 西川鯉三郎:構成・演出「舞踊春夏秋冬」)
...この他流試合への挑戦の意気込みはテレビ「素晴らしい仲間」(共演/立川澄人、坂上二郎)で熱く語っていました。「既存のものに捕われて、狭くなってしまいたくない」と...
55年10月、東宝歌舞伎50回記念特別公演(春夏秋冬・再春雪顔見勢)にゲスト出演。
56年7月、梅田コマ劇場/中村扇雀主演・コマ歌舞伎公演に客演で出演。(北條秀司作・演出「祇園囃子」 山本紫朗:構成、松島平:演出「舞踊 雪・月・花」)
そしてこの56年、久々に本編への主演を果たします。
翼プロ=長野プロ「巣立ちのとき 教育は死なず」 11月にロードショウ公開されました。
問題児を受け入れる長野「篠ノ井旭高校」の名物体育教師・ダンプ先生を「スッピンのノーメイク」で体当たりで演じました。
また、差別問題に取り組んだ教育映画にも主演します。
東映教育映画部 「命の輝き」です。
ここでチエミさんはバイクにまたがり差別なんぞクソ食らえ!...の元気いっぱい、愛情溢れたお母さん役を熱演します。コーラスではガラガラ声で音痴気味...という「思い切った設定」でした。
マンネリになるまい!
今の私に何が新しく出来るのか... この問いかけの人生だったように思えます。
後年のこの一連の「他流試合」「新しい挑戦」は、明日の江利チエミ...春香伝の再演、テレビドラマ「エプロンおばさん」、ミュージカル「ベル・イズ・リンギング」等、様々な新しい企画への準備でもあったと思えるのです。
ゆえに45歳で早世してしまったことが...悔やまれてなりません。
※画像はドラマ「咲子さんちょっと」のレギュラーと一緒に週刊誌の表紙になった時のもの。
ジャズ(ポップス・ラテン・カントリー)---->民謡---->ミュージカル---->POP系歌謡---->ニューポップス---->民謡---->演歌系歌謡曲---->ジャズ...
おおまかに云えばこれだけのジャンルに力を入れて歌った時期があります。
女優の側面でもそれは顕著でした。
マンネリ...ということ。それを彼女は一番嫌ったのかもしれません。
前掲の「ちいさこべ」「この首一万石」のころ...
コマ劇場で歌手としてはじめての座長公演を江利チエミは成功させます。
「咲子さんちょっと」でも歌手としてはじめてロングクールの本格的連続ドラマに主演します。
「マイフェアレディ」に主演...
昭和35年...色々あって芸能界に本格的に復帰した江利チエミさんは、助演という形でこんな映画にも出演しました。
白夜館HPより 引用します。
http://2.csx.jp/users/sinkan/index.html
> ふんどし医者
1960年、東宝、中野実原作、菊島隆三脚本、稲垣浩監督作品。
>特急こだまが走る現在(製作当時)の大井川鉄橋から、川人足が人を運んでいた文久3年(1863)の大井川に画面は移る。
大井川を挟む東海道島田の宿では、旅籠の娘、お咲(江利チエミ)が、好いたらしい伊豆伊東出身の遊び人、半五郎(夏木陽介)を探している。
遊び過ぎて宿代も払えなくなっていたその半五郎は、性懲りもなく博打の最中だったが、鳴海組の賭場で面白い事が起こっているとの噂を聞き付け駆け付けてみる。
そこで起こっていたのは、美しい女性が一人で大勝負をしている事。
そのかたわらには、付き添いで楽しそうに女房の勝負を見て楽しんでいる亭主らしき男が一人。
どうやら、イカサマ博打に気づかず、亭主は身ぐるみ剥がされている様子。
それとなく、その亭主にイカサマである事を注意する半五郎であったが、亭主は笑って取り合わない。
結局、褌一つの情けない姿で帰る事になったその亭主と女房は、この辺りで、金持ち、貧乏人の区別なく診ることで有名な医者の小山慶斎(森繁久彌)といく(原節子)であった。
その後、インチキを告げ口した事への見せしめから、鳴海組の源太(中谷一郎)に襲われ、瀕死の重傷を負った半五郎を、慶斎は一世一代の大手術で救うことになる。
何とか一命は助かったものの、回復後もヤクザ気質は変わらず、何かとお咲を心配させていた半五郎だったが、ある夏、江戸から来た御典医の池田明海(山村聡)が当地を訪れ、彼の古くから親友である慶斎が、日本でも屈指の名医になる素質を持ちながらも、この地元に身を埋める決意をした貴い考えの持主だと知り、心を入れ換え、自分も医者になるために慶斎の弟子にしてくれ頼み込むのだが…。
黒澤明の「赤ひげ」(1964)に先立つ医者物の感動作。
「赤ひげ」にくらべると、かなり庶民的なドラマ仕立てになっているのだが、かといって俗な感じはない。
豪放磊落な秀才の奔放な生きざま…と最初は思わせながら、かつての盟友で、今はエリートコースをひた走る池田と、ヤクザの半五郎の成長を対比させる事によって、慶斎の生き方そのものへの疑問、理想と現実のギャップの厳しさを痛感させられるような構成になっている。
特に後半、庶民というものの根本的な残酷さをえぐり出す所が凄い。
単なる人情医者と庶民の触れ合い感動ものではないのだ。
老いてなお、報われる事がないばかりか、時代に取り残されてしまった自分に気づいた慶斎が、ある種、達観の境地に到達するラストが胸を打つ。
博打をする原節子という絵も強烈な印象があるし、脇に徹する江利チエミも素晴らしい。
共に、陰で男を支える女という点で共通する役柄であるが、二人ともサバサバとした性格に描いているので嫌みがない。
夏木陽介の月代姿のヤクザというのも珍しく、見た目、若干違和感を感じないでもないが、物語の前後でがらりとイメージが変わる難しい役所だけに、若くして良く健闘していると見るべきだろう。
しかし、何といっても、森繁の存在感には敬服させられる。
彼の本質的な人柄の明るさ、憎めなさが、後半の悲劇性をより強調している。
重いテーマ性を、さらりと娯楽に仕立て上げてみせた菊島隆三の脚本と稲垣監督の演出を賞賛すべきだろう。
埋もれた名作の一本ではないだろうか。
---------------------------------------------------------------------------
これ以前の作品にも、シリアスものはあります...
1952(昭27)年
猛獣使いの少女 母子鶴 は、デビュー当時のアイドル路線でお泪頂戴もの。
1957(昭32)年
森繁の僕は美容師 ...ここでは森繁さんの娘を演じます(助演です。)この作品は、おそらく三人娘映画以降、演技開眼した江利チエミの「女優として可能性」を見出しての起用ではなかったかと思われます。白黒の地味な映画ですが、好演しています。
そして35年... チエミさんは本腰を入れて「芸能界でやっていくんだ!」「女優としても恥ずかしくない演技をするんだ!」という意志を固めたのではないでしょうか?
女優として...これは戦争と病に伏して「その志半ば」で早世した母/谷崎歳子さんへの思いもあってのことではないかとも想像します。
この時期、テレビ・舞台では「主役・大看板」を張る。本編の文芸作品では一女優として「助演」での出演をする...という活躍をしています。
これは第一線の当時のスターとして「珍しいこと」です。
1ファンとしては、もっとふんぞり返って偉そうにしてくれていても良かったのに、と思えるほどに...
この他流試合...
江利チエミさんは晩年にもその「挑戦」を止めることはありませんでした。
昭和53年7月、これまでのホームグラウンド「東宝」を離れて、松竹系の京都南座で座長公演を行ないます...「二十四の瞳」(壺井 栄:原作 青井陽治:脚色 増見利清:演出 山本直純:音楽監督)です。
54年10月には東京宝塚劇場/東宝歌舞伎・錦秋十月特別公演で長谷川一夫と共演します。(長谷川伸:作、衣笠貞之助:脚本・演出、楠田清:脚本「沓掛時次郎」 西川鯉三郎:構成・演出「舞踊春夏秋冬」)
...この他流試合への挑戦の意気込みはテレビ「素晴らしい仲間」(共演/立川澄人、坂上二郎)で熱く語っていました。「既存のものに捕われて、狭くなってしまいたくない」と...
55年10月、東宝歌舞伎50回記念特別公演(春夏秋冬・再春雪顔見勢)にゲスト出演。
56年7月、梅田コマ劇場/中村扇雀主演・コマ歌舞伎公演に客演で出演。(北條秀司作・演出「祇園囃子」 山本紫朗:構成、松島平:演出「舞踊 雪・月・花」)
そしてこの56年、久々に本編への主演を果たします。
翼プロ=長野プロ「巣立ちのとき 教育は死なず」 11月にロードショウ公開されました。
問題児を受け入れる長野「篠ノ井旭高校」の名物体育教師・ダンプ先生を「スッピンのノーメイク」で体当たりで演じました。
また、差別問題に取り組んだ教育映画にも主演します。
東映教育映画部 「命の輝き」です。
ここでチエミさんはバイクにまたがり差別なんぞクソ食らえ!...の元気いっぱい、愛情溢れたお母さん役を熱演します。コーラスではガラガラ声で音痴気味...という「思い切った設定」でした。
マンネリになるまい!
今の私に何が新しく出来るのか... この問いかけの人生だったように思えます。
後年のこの一連の「他流試合」「新しい挑戦」は、明日の江利チエミ...春香伝の再演、テレビドラマ「エプロンおばさん」、ミュージカル「ベル・イズ・リンギング」等、様々な新しい企画への準備でもあったと思えるのです。
ゆえに45歳で早世してしまったことが...悔やまれてなりません。
※画像はドラマ「咲子さんちょっと」のレギュラーと一緒に週刊誌の表紙になった時のもの。