昭和41年2月3日~28日、東京/宝塚劇場で、菊田一夫:製作・演出「キス・ミー・ケイト」が上演されました。主演は、江利チエミ・宝田明... 原作は、コール・ポーターです。
この作品はVTRも残っておらず(チエミさんの父君が撮影した8ミリはTVでオンエアーされたこともありましたが)、またLPにもなっていません。
So in love...など、数々の名唱も聴くすべがないようです。
ただ1曲だけ...30周年記念リサイタルLPにのみ収録されました。10枚組BOX/CDにも収録されています。
「男は嫌いよ」
♪だ---いっきら----いよ----(フン)
男など大嫌いよ---- 片時も我慢はしたくはない...
気の強い女主人公リリ:江利チエミ、女癖の良くない元旦那フレッド:宝田明...
ナイス・キャスティングだったと思います。
この舞台のこと...わかる範囲であらすじや背景を掲示します。
この物語の作者、コール・ポーターは「ビギン・ザ・ビギン」「エニシング・ゴーズ」「カンカン」などで世に知られた作曲家です。
※コール・ポーターとは?...
>アメリカ・インディアナ州生まれ。裕福な家庭に育ち、6歳からピアノとバイオリンを学び、10歳で初めて作曲をする。
その後ハーバード大学で法律を学ぶ。が、音楽の道を捨てがたく、NYの社交界の一員となり、ブロードウェイのショーを手がけるが失敗、1917年フランスへ。
そこでリンダと出会い、音楽の才能を開花させ栄光を手にすることとなる。
ミュージカルや映画音楽を担当し、洗練された作詞・作曲で次々とヒット作を生み出した。
音楽を担当した代表作は「Kiss Me Kate」「Anything Goes」(ミュージカル)、「上流社会」「昼も夜も」(映画)など。
約870曲にも及ぶ彼の作品は、現代のミュージシャンにも愛され、数多くのカバーやCM、TVで使用されている。
妻リンダが死去した後は、64年に生涯を終えるまで作曲をすることはなかった...
1951年、彼の伝記映画「夜も昼も」が公開されました。
そして、『五線譜のラブレター』... 2004年 アメリカ 映画・監督/アーウィン・ウィンクラー 出演/ヴィン・クライン 、アシュレイ・ジャッド...が去年の暮に日本でも公開されました。
※『五線譜のラブレター』あらすじ...
>コールは初期のミュージカルが酷評され、失意の余りパリへ逃避した。そこで評判の美しい未亡人リンダと知り合ったことで転機が訪れた。コールには同性愛の趣味があったが、彼女はそれを許したうえで「2人で夢を叶えましょう」と励ましてくれた。
ニューヨークへ戻ったコールはミュージカル「パリ」を始め次々にヒットを飛ばしてゆく。もともと社交的で遊び好きな伊達男である。慢心の余り妻も家庭も、かえりみなくなってしまった。リンダは、ずいぶん、つらかっただろうが、それでも彼女の愛は変わらなかった。
ひとりの芸術家が、ひとつの創作を完成させるまでの苦悩は想像を越えるものがある。ときに絶望し、ときに歓喜し感情は激しく起伏する。コールの場合も、まさにそれであり、私生活を犠牲にし過ぎたため、成功作「ジュビリー」の発表のころリンダは流産した。
やがて彼に映画音楽の誘いがあった。「踊るアメリカ艦隊」など通俗的な曲を気楽に提供しつつ、それはそれで自己嫌悪でありコールは逃げるようにして、また同性愛に溺れていった。現場の写真をネタに恐喝までされる。ついにリンダはパリへ去った。
その後コールは心乱れて落馬事故を起こし、両脚を激しく損傷した。すぐにリンダは駈けつけてくれた。脚を切断しようという医師に「それは彼の自尊心を切断するのと同じです」と強く拒否した。
献身的なリンダの介護に支えられてコールは、ついに傑作を書き上げた。「キスミー・ケイト」である。そのときすでにリンダは肺の癌に侵されていた。息絶えてゆく彼女の耳元でコールは囁(ささや)く。「ぼくの歌は、すべて君に捧げた心の歌だった」。いま、やっと愛の本質に目ざめたのである。
映画は淋しく1人で暮らしているコールのもとへ謎の演出家が現れてコールの人生の軌跡を再現ドラマにしてみせるという形式を取っている。コールは誇りと恥辱にうろたえながら、これをみる...といったストーリー。
コールは1954年、リンダと同じ病気で死去した。
※ミュージカル・キスミー・ケイトとは...
あらすじ...
>ボルチモアのとある劇場。
ここではシャイクスピア作「じゃじゃ馬ならし」のミュージカル版の試演が始まったばかり。主役のキャタリーナとペトルーチオを演じるのはリリとフレッド。
実はこの2人、一年前に離婚したばかりで、楽屋でも舞台上でもケンカばかり!
意地を張ってるけれど、未練タラタラなのだ。
ある日、開演前にリリ宛の花束が届く。送り主はフレッド。
大喜びのリリは「お守りにする」と花束についてきたカードを持って舞台へ。
でも実はこのブーケ、フレッドが別の共演者、ロイスに宛てたもので、間違えてリリへ届けられたのだった・・・
上演中、リリがロイス宛のカードを読んでしまったからさあ大変!
リリは舞台上でまさしく「じゃじゃ馬」のごとく暴れ、ペトルーチオことフレッドを平手打ち!こうなりゃ、男もだまっちゃいない!キャタリーナことリリを抱き上げ、お尻ペンペン!?
フレッドを許せないリリは新しい恋人である将軍と劇場を去ってしまう・・・
この2人、そして「じゃじゃ馬ならし」の公演は無事ハッピーエンドを迎えることが出来るのか?...
現実と舞台(じゃじゃ馬ならし)の進行が重なったり離れたりしながら、最終的によりを戻してハッピーエンド...となる筋立てです。
※そして、その劇中劇「じゃじゃ馬ならし」とは...
>ある美しい姉妹がいて、妹の方はおしとやかで多くの求婚者がいるのに対して、姉の方はおそろしく気性が激しく、誰も求婚しようとしない。これに困った姉妹の父親が姉と結婚する者がいたら自分の莫大な財産を譲ろうと公言し、それに応じた一人の紳士が、ここは一つこの気性の激しい姉と結婚して、まるで正反対の従順な妻にできないものかといろいろと手を尽くす話です。
その従順にするやり方というのが結構強烈で、要は妻よりももっと激しい気性を見せ付けて妻を圧倒しようというものなのです。
もう奇行蛮行のオンパレードで、結婚式にはボロボロの服装で出るわ、家では料理人が作った料理を「こんなものを妻に食わせられるか!」と床に投げつけて妻に食事をさせず、終いには、太陽を指差して「あれは月だ」と言い切り、気性の激しかった妻に「太陽だろうが月だろうがあなたのおっしゃる通りです」と言わせるまでになります。
やってることがとにかく極端なので非常にコメディー色が強く、シェークスピアの喜劇というと、最後にハッピーエンドになるだけで途中までは不幸なストーリーが多い中で、最初から最後まで心おきなく笑って見ていられるタイプのストーリーです。
※画像は「拾いもの」...キスミー・ケイトのパンフです。
この作品はVTRも残っておらず(チエミさんの父君が撮影した8ミリはTVでオンエアーされたこともありましたが)、またLPにもなっていません。
So in love...など、数々の名唱も聴くすべがないようです。
ただ1曲だけ...30周年記念リサイタルLPにのみ収録されました。10枚組BOX/CDにも収録されています。
「男は嫌いよ」
♪だ---いっきら----いよ----(フン)
男など大嫌いよ---- 片時も我慢はしたくはない...
気の強い女主人公リリ:江利チエミ、女癖の良くない元旦那フレッド:宝田明...
ナイス・キャスティングだったと思います。
この舞台のこと...わかる範囲であらすじや背景を掲示します。
この物語の作者、コール・ポーターは「ビギン・ザ・ビギン」「エニシング・ゴーズ」「カンカン」などで世に知られた作曲家です。
※コール・ポーターとは?...
>アメリカ・インディアナ州生まれ。裕福な家庭に育ち、6歳からピアノとバイオリンを学び、10歳で初めて作曲をする。
その後ハーバード大学で法律を学ぶ。が、音楽の道を捨てがたく、NYの社交界の一員となり、ブロードウェイのショーを手がけるが失敗、1917年フランスへ。
そこでリンダと出会い、音楽の才能を開花させ栄光を手にすることとなる。
ミュージカルや映画音楽を担当し、洗練された作詞・作曲で次々とヒット作を生み出した。
音楽を担当した代表作は「Kiss Me Kate」「Anything Goes」(ミュージカル)、「上流社会」「昼も夜も」(映画)など。
約870曲にも及ぶ彼の作品は、現代のミュージシャンにも愛され、数多くのカバーやCM、TVで使用されている。
妻リンダが死去した後は、64年に生涯を終えるまで作曲をすることはなかった...
1951年、彼の伝記映画「夜も昼も」が公開されました。
そして、『五線譜のラブレター』... 2004年 アメリカ 映画・監督/アーウィン・ウィンクラー 出演/ヴィン・クライン 、アシュレイ・ジャッド...が去年の暮に日本でも公開されました。
※『五線譜のラブレター』あらすじ...
>コールは初期のミュージカルが酷評され、失意の余りパリへ逃避した。そこで評判の美しい未亡人リンダと知り合ったことで転機が訪れた。コールには同性愛の趣味があったが、彼女はそれを許したうえで「2人で夢を叶えましょう」と励ましてくれた。
ニューヨークへ戻ったコールはミュージカル「パリ」を始め次々にヒットを飛ばしてゆく。もともと社交的で遊び好きな伊達男である。慢心の余り妻も家庭も、かえりみなくなってしまった。リンダは、ずいぶん、つらかっただろうが、それでも彼女の愛は変わらなかった。
ひとりの芸術家が、ひとつの創作を完成させるまでの苦悩は想像を越えるものがある。ときに絶望し、ときに歓喜し感情は激しく起伏する。コールの場合も、まさにそれであり、私生活を犠牲にし過ぎたため、成功作「ジュビリー」の発表のころリンダは流産した。
やがて彼に映画音楽の誘いがあった。「踊るアメリカ艦隊」など通俗的な曲を気楽に提供しつつ、それはそれで自己嫌悪でありコールは逃げるようにして、また同性愛に溺れていった。現場の写真をネタに恐喝までされる。ついにリンダはパリへ去った。
その後コールは心乱れて落馬事故を起こし、両脚を激しく損傷した。すぐにリンダは駈けつけてくれた。脚を切断しようという医師に「それは彼の自尊心を切断するのと同じです」と強く拒否した。
献身的なリンダの介護に支えられてコールは、ついに傑作を書き上げた。「キスミー・ケイト」である。そのときすでにリンダは肺の癌に侵されていた。息絶えてゆく彼女の耳元でコールは囁(ささや)く。「ぼくの歌は、すべて君に捧げた心の歌だった」。いま、やっと愛の本質に目ざめたのである。
映画は淋しく1人で暮らしているコールのもとへ謎の演出家が現れてコールの人生の軌跡を再現ドラマにしてみせるという形式を取っている。コールは誇りと恥辱にうろたえながら、これをみる...といったストーリー。
コールは1954年、リンダと同じ病気で死去した。
※ミュージカル・キスミー・ケイトとは...
あらすじ...
>ボルチモアのとある劇場。
ここではシャイクスピア作「じゃじゃ馬ならし」のミュージカル版の試演が始まったばかり。主役のキャタリーナとペトルーチオを演じるのはリリとフレッド。
実はこの2人、一年前に離婚したばかりで、楽屋でも舞台上でもケンカばかり!
意地を張ってるけれど、未練タラタラなのだ。
ある日、開演前にリリ宛の花束が届く。送り主はフレッド。
大喜びのリリは「お守りにする」と花束についてきたカードを持って舞台へ。
でも実はこのブーケ、フレッドが別の共演者、ロイスに宛てたもので、間違えてリリへ届けられたのだった・・・
上演中、リリがロイス宛のカードを読んでしまったからさあ大変!
リリは舞台上でまさしく「じゃじゃ馬」のごとく暴れ、ペトルーチオことフレッドを平手打ち!こうなりゃ、男もだまっちゃいない!キャタリーナことリリを抱き上げ、お尻ペンペン!?
フレッドを許せないリリは新しい恋人である将軍と劇場を去ってしまう・・・
この2人、そして「じゃじゃ馬ならし」の公演は無事ハッピーエンドを迎えることが出来るのか?...
現実と舞台(じゃじゃ馬ならし)の進行が重なったり離れたりしながら、最終的によりを戻してハッピーエンド...となる筋立てです。
※そして、その劇中劇「じゃじゃ馬ならし」とは...
>ある美しい姉妹がいて、妹の方はおしとやかで多くの求婚者がいるのに対して、姉の方はおそろしく気性が激しく、誰も求婚しようとしない。これに困った姉妹の父親が姉と結婚する者がいたら自分の莫大な財産を譲ろうと公言し、それに応じた一人の紳士が、ここは一つこの気性の激しい姉と結婚して、まるで正反対の従順な妻にできないものかといろいろと手を尽くす話です。
その従順にするやり方というのが結構強烈で、要は妻よりももっと激しい気性を見せ付けて妻を圧倒しようというものなのです。
もう奇行蛮行のオンパレードで、結婚式にはボロボロの服装で出るわ、家では料理人が作った料理を「こんなものを妻に食わせられるか!」と床に投げつけて妻に食事をさせず、終いには、太陽を指差して「あれは月だ」と言い切り、気性の激しかった妻に「太陽だろうが月だろうがあなたのおっしゃる通りです」と言わせるまでになります。
やってることがとにかく極端なので非常にコメディー色が強く、シェークスピアの喜劇というと、最後にハッピーエンドになるだけで途中までは不幸なストーリーが多い中で、最初から最後まで心おきなく笑って見ていられるタイプのストーリーです。
※画像は「拾いもの」...キスミー・ケイトのパンフです。