江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 待てばいいのよ マイフェアレディより

2020年12月20日 | 江利チエミ(続編)

待てばいいのよ

江利チエミの良さがふんだんに生かされたマイフェアレディのなかの楽曲です。

昭和36年・37年の東西コマ劇場で、当時としては画期的な公演が行われました。
江利チエミ特別公演「スター誕生」...今では誰もが座長公演をしますが、この舞台公演で歌手が座長を勤めるのは当時としては画期的なこと...です。
近年美空ひばりがパイオニアだったという間違った歴史が語られています。しかし美空ひばり新宿コマ「女の花道」公演は39年です。(川口松太郎先生にひばりママがジカダンパンをして本を依頼。ひばり離婚のタイミングにあわせ、離婚記者会見もコマで行いました。女一人芸に生きる...という内容のお芝居。ここにも「ひばり流の公私混同的な売り方=ママのアイディア」がいかんなく発揮されています。)
それ以前にも「浅草国際」など、ロング公演はありましたがこれは寸劇と歌謡ショウの構成。
第1部 お芝居 第2部 ショウ(一部二部の順序は入れ替わる場合も)という構成でむしろ芝居に重きを置く(時間を含め)1月のロングラン公演というのはこの江利チエミ特別公演がルーツです。
この座長公演の成功は次のステップへとチエミさんが進むきっかけを作ります。

東宝の大プロデューサーで首領といわれた菊田一夫。彼は日本にミュージカルを根付かせたいという構想から、ジュディー・アンドリュース主演でブロードウェイのロングラン記録も更新していたヒット作「マイフェアレデイ」の上演権を獲得します。
当初、東宝の舞台でのミュージカルはチエミには和モノ、雪村いづみには「赤毛もの」で...といった構想を持っていたようにも推察できます。
当初イライザ役は、雪村いづみにオファーが...
しかしその時いづみさんは最初の夫/ジャック・セラーの故国アメリカで、赤ちゃんだった長女マリアさんを胸に抱き...女性としての幸せを噛み締めていたとき。
彼女は丁重に菊田先生に辞退を申し入れます。
そして...「イライザには親友江利チエミを紹介します。イライザを演じられるのは江利チエミをおいて他にありません!」と手紙を菊田あてにしたためます。

昭和38年東京宝塚劇場、主演/江利チエミ 本邦初演ブロードウェイミュージカル
 「マイ・フェア・レディ」が幕を開けることになります。

当初はチエミさんも悩んで悩んでこの役を受けた...と思います。
また、世間の前評判も...
ハスキーなアルトのチエミがソプラノのジュディー・アンドリュースの当たり役をするのはミスキャスト...とか、興行第一主義の安易なキャスティングなどとたたかれます。

しかし、実際の舞台が幕を開けると...
初めてのミュージカルにお客さんのほうにむしろ照れが見受けられるも、初日には数度もアンコールの拍手がなりやまず、出演者はみな感激の涙で前が見えないほどの大成功を収めます。
チエミさんはハスキーでアルトな声ということを、むしろ武器にかえ「待てばいいのよ」などダイナミックな歌唱でお客のハートをつかみます。
この芝居は、最初から江利チエミの為に書かれた物語じゃないのか?...と錯覚させるほどに。

この時の様子を次の本から読み取ることができます。
「戦後」~美空ひばりとその時代 著/本田靖春 講談社 より...
>・・・チエミは絶頂期へと向かう。62(昭和37)年には新宿コマの「スター誕生」で芸術祭奨励賞を、
日劇の「チエミ大いに歌う」では第8回テアトロン賞を受賞し、東京宝塚劇場の「マイフェアレディ」でゴールデンアロー賞に輝いた。
このマイフェアレディを演出した菊田一夫は、初日の幕が下りたときに、手放しで泣いたといわれている。
それが菊田の自己陶酔ではなかったのは、たまたま来日中のロバート・ヘルプマンがチエミを激賞したことで証明された。
ヘルプマンといえば、英国「ロイヤル・バレイ団」の出身で、映画「赤い靴」「ホフマン物語」などの振り付けを担当した、世界でも有数のミュージカル・デレクターである。
別の目的で来日したのだが、チエミに国際級の折り紙をつけたのである。
「私はロンドン、ニューヨークをはじめ、あらゆる『マイフェアレディ』を観てきた。東京のももちろん。江利チエミは、どこの国のイライザにもひけをとらない。素晴らしいミュージカル女優だ」
江利チエミ株はこれで急騰した。・・・

この当時、日本テレビの「テレポール委員会」が実施した世論調査の推計も引用しておきます。
ファン数の対比
 ひばり:163万人 チエミ:135万人

女王ひばりとの差は肉薄します。

活動範囲は レコード歌手 芝居公演の舞台 歌のステージ 映画...
そしてすでに、高視聴率のTBSドラマ「咲子さんちょっと」でもお茶の間の人気者になっていました。
歌手が連続ホームドラマの主演をする...これもパイオニアです。
そして、昭和38年大晦日・紅白歌合戦でも「歌手としてはじめての司会・キャプテン」も勤めます。

歌手としても素晴らしい仕事をしています。
デルタリズムボーイズとのジョイントコンサート...カウントベイシー・オーケストラ日本公演で「日本歌手の代表として」の共演...チエミの民謡集LPの続編のリリース...カールジョーンズ氏との「ジャズLP」のリリース...

まさに絶頂期を迎えた...といえます。

※写真は昭和39年日劇「チエミ大いに歌う」を報じる週刊誌の記事です。
ブルーのドレス姿のチエミさんはお琴の楽団をバックにマイフェアレディ・メドレーを披露しました。

 


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1 コメント

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Unknown (twig)
2021-01-11 22:21:52
生前チエミさんは
もう一度マイフェアレディをやってみせると言ってました。
様々な舞台や映画、テレビドラマなどで経験をつんだチエミさんのイライザは再演されていたら見事に違いないと、そのとき思いました。
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