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つばさ

平和な日々が楽しい

背景には、持続可能な未来を考えはじめた社会の流れがあった。

2013年09月24日 | Weblog
春秋
9/24付

 「まさか」「なんとガンコな」。1995年5月31日、青島幸男東京都知事が翌年開催予定の世界都市博覧会を中止すると宣言したとき、世の中はたいへんな驚きに包まれた。たしかに中止は知事選の公約だったが準備は着々と進み、もう撤退は無理とされていたのだ。

▼あれから18年。会場になるはずだった東京臨海部が久々に熱い。2020年五輪の施設が集中するからだ。1万7000人収容の選手村、バレーボールや水泳の競技場などが誕生し、五輪後は新しい街ができるという。マンション開発にも勢いがつきそうだから都市博のかたきを五輪で、とデベロッパーの意気も高かろう。

▼先週発表された基準地価をみると、東京の土地デフレは終息の気配だ。それに加えての湾岸開発熱なのだが、さて、ここはちょっと冷静になってもいい。五輪閉幕後はマンションとして売られる運びの巨大な選手村ひとつとっても、実際にそれだけの需要があるのかどうか危ぶむ声がある。人口減少は東京でも確実に進む。

▼そういう目で五輪計画を見わたせば、新しい施設がほんとうにこの規模で必要なのかどうか気になってくる。都は新設競技場などを五輪のあとも維持していくそうだ。それは将来世代が支えなければならない。あの都市博中止は「まさか」ではあったけれど、背景には、持続可能な未来を考えはじめた社会の流れがあった。



若者を40年の昔まで連れて行き、ほんとうの断食を

2013年09月23日 | Weblog
春秋
9/23付

 当時、アパートや下宿の部屋に電話を引いている学生など一人もいなかった――。小池真理子さんが小説「望みは何と訊かれたら」のなかで、ヒロインに回想させている。それでも大して不便は感じなかった。直接相手を訪ねて、不在ならメモを残せばこと足りた……。

▼そうだったそうだった。物語の設定は1972年。そのころの下宿生はそんなものだった。前触れなく友人と部屋を行き来することはよくあったし、案外うまく出会えたのだ。主人公が言うように、携帯電話などなくても「わたしたちは今と何ひとつ変わらずに連絡を取り合い、恋や友情を育んでいくことができたのだ」。

▼いまや老人から子どもまでメールを使い、ネットの交流サイト(SNS)も全盛だ。いつでも誰とでもつながりあえる時代ではある。けれど、だからといって恋や友情がうんと深まるようになったわけでもない。むしろスマホ片手に友だちとのつながりばかり意識して、その関係維持に神経をすり減らす若者が少なくない。

▼「ネット断食」なる試みがある。パソコンやスマホの使えない場所で集団生活をして依存を断ち切る取り組みだ。文部科学省も来年度から試行するそうだが、せいぜい1週間ほどの合宿というから効果のほどはどうだろう。タイムマシンがあれば若者を40年の昔まで連れて行き、ほんとうの断食を体験してもらえるのだが。

日々の朝食はただの手順ではないのだということだろう。

2013年09月22日 | Weblog
春秋
9/22付

 「蕎麦(そば)、饂飩(うどん)、麺麭(パン)」という短い文章のなかで、内田百間は言い放っている。「朝の御飯は憚(はばか)りに行く手順に過ぎない」。蛇足ながら、憚りとは昨今あまり聞かないがトイレである。ウーン、一理はある。しかし、これでは朝食が心太(ところてん)を突く棒のように思えて味気ない。

▼ロシア語通訳だった米原万里さんに「旅行者の朝食」と題するエッセーがある。旧ソ連時代の「生産を神聖視し、商業とくに販売促進努力を罪悪視する、禁欲的な社会主義的美意識を映し」た、ドッグフードのような缶詰の名を「旅行者の朝食」といった。持っていこうという旅行者が誰もいないような代物だったらしい。

▼その点、こんな朝食はいい。「朝活」という言葉などない昭和38年に生まれた異業種交流勉強会の草分け「丸の内朝飯会」が設立50周年を迎えた。今は毎週木曜の朝、都内のホテルに20人ほどがやってくる。朝食会でなく朝飯会(ちょうはんかい)と名づけたのは「湯気の立ったご飯の温かい雰囲気が伝わるから」という。

▼ケネディ元米大統領暗殺のニュースに衝撃を受けた20代前半の若者7人が、「何かしなければ」と早朝のすし屋に集まったのがきっかけだった。以来、会合は2320回。設立当時の会員も3人いる。結局のところ、日々の朝食はただの手順ではないのだということだろう。もちろん「旅行者の朝食」では話も弾むまいが。

遊びの数々が勝負師の勘を、青年社長としての苦労が慎重さを育んだのか。

2013年09月21日 | Weblog
春秋
9/21付

 「イチローは絶対に獲得しろ」。おととい亡くなった任天堂の前社長、山内溥さんは株主として米マリナーズに迫った。狙いは当たり、米国でのイチロー人気は沸騰。「ポケモンに続き、イチローというキャラクターのブームが起きた」。少し得意げな笑顔を思い出す。

▼「ソフト屋」であることを誇った。ゲーム作家も野球選手も棋士も、山内さんによればソフト屋。天才とそれ以外、紙一重の違いが天と地の差を生む。その面白さ。ヒットも勝利も運が左右し、勝ち続けることは難しい。「この辺、ハード屋さんには分からんでしょうなあ」。高機能を追うライバル社を冷ややかに眺めた。

▼幼いころから、祖父母のもとで「甘やかされて」育つ。早大進学で上京すると高級住宅街に一軒家を買い与えられ、終戦直後の東京でビリヤードなど遊びに熱中した。22歳で社長に就任し、30代からは幾多の新規事業を手がける。インスタント食品、複写機、電卓、光線銃。どれも鳴かず飛ばずか、良くて短命に終わった。

▼遊びの数々が勝負師の勘を、青年社長としての苦労が慎重さを育んだのか。その両輪をフルに生かし、世界企業を作り上げた。米国でニンテンドーといえばテレビゲームの代名詞。国境を越え子供らが愛するポケモン。そしてイチロー。遊びに人生を賭け、才能や魅力を見抜き、海外へと送り出した名伯楽が生涯を閉じた。

すでに10万人が亡くなり、難民は200万人を超えるという。

2013年09月20日 | Weblog
春秋
9/20付

 せっけんは安土桃山時代に、南蛮人によって日本にもたらされたという。「しゃぼん」と呼ばれ、その名前が登場する最も古い記録とされるのが石田三成の書状だ。博多の豪商、神谷宗湛(そうたん)にあてたもので、当時珍重されていたこの舶来品をもらったお礼をつづっている。

▼今では暮らしに浸透したせっけん、実は発祥の地はメソポタミア地方だ。紀元前2000年とも3000年ともいわれる昔、木の灰の成分と油からせっけんの原形が生まれ、布の漂白や洗浄などに使っていた。その後ヨーロッパに伝わって品質が良くなり、各地に広がった。中東の古代文明の遺産を私たちは享受している。

▼本場では伝統が生きているのだろう。メソポタミアと地中海を結ぶシリア北部の都市アレッポは、せっけんが名産だ。オリーブや月桂樹(げっけいじゅ)の油を原料にし、添加物は一切使わないものが多い。「アレッポせっけん」として親しまれている。清潔好きが多い日本人にとって、遠いシリアが身近な国にみえてきはしないだろうか。

▼シリアの化学兵器を国際管理下で廃棄する方向になったが、うまくいくかどうかはこれからだし、内戦はいまだに出口が見えない。すでに10万人が亡くなり、難民は200万人を超えるという。それらの人たちの支援や受け入れている周辺国への協力に、日本はもっと力を入れるべきだろう。つながりが浅からぬ国として。

じつは自治体にとって駅の建設費負担も軽くはない。

2013年09月19日 | Weblog
春秋
9/19付

 全国に鉄道が延びていく明治の昔、線路敷設や駅の設置を拒んだ町が多かったという話をよく聞く。汽車が走ると宿場がさびれる。若者が都会に出て堕落する。煤煙(ばいえん)で桑が枯れる。などと訴えて鉄道を通さなかったからいまだに駅が繁華街から遠い……。そんな指摘だ。

▼ところが青木栄一著「鉄道忌避伝説の謎」によれば、その大半は根拠がない。なぜわが町には鉄道が来なかったのか、理由を模索したあげく、こうした「伝説」が誕生したという。鉄道誘致を逃したのを頑固なご先祖のせいにしたわけだ。リニア中央新幹線をめぐっても、将来さまざまな言い伝えが生まれるかもしれない。

▼東京・品川から名古屋まで最短40分。JR東海はきのう、2027年開業をめざすリニアの詳細なルートや駅の位置を公表した。新たなターミナルに発展しそうなところもあれば、在来線の主要駅とはやや離れた場所にできる中間駅もあって地元の思いは複雑なようだ。じつは自治体にとって駅の建設費負担も軽くはない。

▼時速500キロの速さを生かすために余計な回り道はいっさい避けたルートであり、駅の位置である。思えばとことんドライな「運送」手段なのだ。逃した地域にしてみれば、カネもかかるし、なあに、あんなものとやせ我慢しておきたくもなろう。夢を膨らませ、嫉妬も少しまとって、めくるめく心地の超特急が走りだす。

「自分の人生がどんなものだったかは考えないことにしている」

2013年09月18日 | Weblog
春秋
9/18付

 「車のネーミングは自分の子供に名前をつけるようなものだ」。きのう亡くなったトヨタ自動車の最高顧問、豊田英二さんが29年前、本紙の連載「私の履歴書」の中で語っている。語感や意味を考え、なかなか決まらない。すんなり決まった例外が「カローラ」だった。

▼もとはラテン語の植物用語で花の冠を指す。開発を指揮していた副社長の英二さんが、自分で探した言葉だそうだ。モータリゼーションの波に乗って成功した、との見方に対し「カローラでモータリゼーションを起こそうと思い、実際に起こした」とやんわり反論している。ものづくりに生涯をささげた者の自負がにじむ。

▼生家は工場の一角。「工場の中で生まれたようなもの」だと振り返る。小学校から高校まで工場が遊び場であり、勉強場でもあった。大人に交じり機械掃除や事務の仕事も手伝ったという。大学卒業後、入社してすぐ新たな研究所の立ち上げに携わる。背広がないので学生服のまま通い、四輪駆動車の研究などに没頭した。

▼自分は満足な人生を送った。そう思うようになったら、その時が終わり。だから「自分の人生がどんなものだったかは考えないことにしている」と連載の結びに書いている。「人間も企業も前を向いて歩けなくなったときが終わりである」。すべての企業人、とりわけものづくりを仕事とする人たちへの激励にも聞こえる。

「はず」の合わぬまま、いつまで矢を射つづけるのだろう。

2013年09月17日 | Weblog
春秋
9/17付

 こんなはずじゃなかった……。と悔やむことが人の世にはあまたある。きっとこうなるはずだったのに。うまくいくはずだったのに。思えば「はず」が外れてばかりなのだが、もともとこの言葉は弓術から来ている。矢の末端にあって弦をしっかり受ける部分のことだ。

▼これがきちんと合うから矢が勢いよく飛ぶ。そこで「はず」といえば物事の道理の意味になり、○○のはず、などと言うようになったらしい。さて前置きはともかく、近年まれに見るひどさの「こんなはずじゃなかった」は司法試験改革だろう。法科大学院を修了して司法試験に受かった人は今年も4人に1人にすぎない。

▼身近で使いやすい司法を、法曹の増員を、そのために法科大学院を――。理念は正しくとも設計を大きく誤ったのだ。70~80%の司法試験合格率をうたったのは夢物語だった。合格率低迷にあえぎ、魅力がないからまた優秀な学生が来なくなる悪循環である。企業や役所が法律家を広く受け入れる環境もなかなか整わない。

▼法科大学院を経ずに司法試験に挑める「予備試験」組は合格率が70%を超えた。あくまで例外ルートなのに、本道がデコボコだから優秀な志願者が流れているわけだ。こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃ……。悔やんでいるばかりで改革策には迫力がない。「はず」の合わぬまま、いつまで矢を射つづけるのだろう。

時を刻むものを作るだけあって、世の中の流れを鋭く読んだ。

2013年09月16日 | Weblog
春秋
9/16付

 丸穴車、角穴車、二番車、三番車、四番車……。何のことかというと、手巻き式の腕時計に使われている歯車の名だ。ちょうど100年前の大正2年に現在のセイコーホールディングスが発売した国産初の腕時計も、これら数ミリの部品の数々がぎっしり詰まっていた。

▼東京・墨田区のセイコーミュージアムで開かれている記念の展覧会で、分解された微小な歯車を目にすることができる。歯と歯がぴったりかみ合うように、寸分の狂いなく仕上げた職人の技は驚きだ。当時普及していた懐中時計をもとに、部品をぐんと小さくしなければならなかった。日本の時計史に残る技術革新だった。

▼「世間より一歩先に進む」を時計王といわれる創業者の服部金太郎はモットーにしていた。時計といえば柱時計を思い浮かべる時代に懐中時計の製造を始め、「家の時計」から「個人の時計」へ市場を広げた。個人がより身につけやすいようにしたのが腕時計。時を刻むものを作るだけあって、世の中の流れを鋭く読んだ。

▼いま時計産業に新たな波が押し寄せている。韓国サムスン電子は通話やメール表示ができ、時間ももちろんわかる腕時計型の携帯端末を発表した。米アップルも腕時計型の端末を開発中という。時計業界はどう立ち向かうだろう。こちらも製品のイノベーションを重ねてきた歴史がある。押されるままであってはなるまい。

醜いことはずばり「ミタクナイ」と言うそうだ。

2013年09月15日 | Weblog
春秋
9/15付

 今年の流行語大賞は「じぇじぇ」で決まり? などと小欄では4月末に早々とこの言葉を紹介させてもらった。とはいえ、それがこんなにはやるとはまさにじぇじぇ、というほかない。NHKドラマ「あまちゃん」の主人公らが驚いたときに口にする、岩手県の方言だ。

▼北三陸の、限られた地域での言葉だというがこの語感はたしかに耳に残る。もっとも方言の豊かさ、奥深さはなにも「じぇじぇ」だけではない。河北新報連載のコラムをまとめた「とうほく方言の泉」を読んでその感を深くした。震災から2年半、いまも苦闘のつづく被災地で風土に根ざした言葉が人々の心を支えている。

▼たとえば「イタマシイ」が東北では惜しい、もったいないの意味も持つ。心の痛みを人だけでなく物にも向けるのだ。「サスケネ」というのは大丈夫だよ、の意である。「サシツカエナイ」が転じたらしく、東北の発音の特徴が詰まっているという。「サスケネ」「サスケネ」と励まし合って歩む、復興への長い道がある。

▼ユーモラスな言い回しも多い。運良く食べ物にありつくさまは「クチバシナガイ」、逆にもらい損ねるのは「クチバシミジカイ」だというから要領のいい人、わるい人のイメージが浮かぶ。容赦のない表現もあって、醜いことはずばり「ミタクナイ」と言うそうだ。原発の汚染水対策をめぐる迷走など、本当にミタクナイ。