goo blog サービス終了のお知らせ 

つばさ

平和な日々が楽しい

野球好きなら人生の節目に重ねるに足る大事である。

2013年09月14日 | Weblog
春秋
9/14付

 競馬好きは人生の節目を名馬に重ねる。シンザンが3冠を取った年に結婚した、というように。その年、1964年(昭和39年)はスポーツの当たり年だった。もちろん東京オリンピックがあった。そして王貞治氏が55本のシーズン最多本塁打を記録した年でもあった。

▼それから49年、ヤクルトのバレンティン選手がその記録に並んでいる。残る試合は20。出場した2試合に1本の割合でホームランを打ってきたのだから、更新は間違いなかろう。楽天・田中将大投手の開幕21連勝も大したものだし、アメリカではイチロー選手の日米通算4000安打も。今年はプロ野球の当たり年である。

▼「55」は高い、いささか理不尽な壁だった。「ホームラン以外のフェア打球は、ヒットになろうとなるまいと運であって、投手に無関係なのではないか」。そんな仮説があるそうだが、裏返せば、ホームランだけはどう転んでも投手の責任ということになる。責任を逃れるため、55を守るための四球がいくつあったことか。

▼日本に来る外国人選手はいまだに「助っ人」と呼ばれる。戦いの主役でなく傭兵(ようへい)、という意識がのぞく。意識は「非実力障壁」となって、バース、ローズ、カブレラという長距離打者をはね返した。その壁をバレンティン選手が乗り越え、最高の勲章の一つを手にする。野球好きなら人生の節目に重ねるに足る大事である。

荒々しい気象を招いた地球温暖化は、秋の味覚にも影を落としている。

2013年09月13日 | Weblog
春秋
9/13付

 北原ミレイさんのヒット曲のひとつに「石狩挽歌」がある。海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると~~。明治から昭和にかけて北海道の経済を支え、ある時期から突如すたれたニシン漁の物語だ。あれからニシンはどこへ行ったやら……。魚群は消え、漁師たちも散った。

▼明治の最盛期に小樽、留萌などの水揚げは合わせて97万トンを超えていた。それが昭和30年代前半を境に春が来てもニシンの群れはほとんど来なくなる。海水温の上昇、乱獲、森林伐採や海岸線のコンクリート化で海への栄養が断たれたことなどが原因という。人間に痛めつけられた自然は、ときに激越な反応を見せるのだ。

▼この秋はサンマの不漁が続いている。原因のひとつはやはり海水温の上昇で、三陸あたりの沖合の温度がサンマの好む15度以下まで下がらないという。魚たちはずっと北の海にとどまっていて下りてこられないらしい。猛暑にゲリラ豪雨、竜巻と夏場に荒々しい気象を招いた地球温暖化は、秋の味覚にも影を落としている。

▼水揚げは徐々に増えてきたそうだが、それでも1匹300円などという高値が付いている。今年の不漁は極端だが、この大衆魚もじつは近年、漁獲が不安定なのだ。ウナギに手が届かなくなり、クロマグロも減り、サンマまで貴重品の仲間入りでは困る。海にひしめいたニシンの消滅からいろいろと学ばなければなるまい。

「わかり切った平凡なことを言うカッコ悪さに耐えろ」

2013年09月12日 | Weblog
春秋
9/12付

 最近心に残ったものがある。憲法学者樋口陽一さんの、ざっくりいってしまえば、物を書く人間が陥るおとし穴がどこにあるかを説いた文章である。おとし穴とは、当たり前だと思われていることに反対しなければならないという強迫観念にとらわれること、だという。

▼首をかしげた。当たり前の話を書いても価値はない、新奇な視点を示してこそ物書きではないか。そう思えたからである。しかし、「知とモラルそして知のモラル」と題する一文を読み進めると、趣旨は違っていた。それは、東京オリンピックをめぐるさまざまな動きを思い出しつつ、反芻(はんすう)したくなるような文章であった。

▼樋口さんは言う。一方に、当たり前のことを繰り返すだけで満足してはいけないというモラルはある。けれども、当たり前のことを誰も言わなくなったときにそのことを語り続けることもモラルの試金石だ――。そう言われれば、五輪招致の熱狂のなかで当たり前のことを語るのを忘れている。そんなことに気づかされる。

▼自重するのが当たり前だった皇族の招致活動への関与一つとっても、「結果よければ……」で済ましていいだろうか。安倍首相が啖呵(たんか)を切ろうが、国の喫緊の課題が原発事故への対応、震災からの復興であり続けるのも当たり前だろう。「わかり切った平凡なことを言うカッコ悪さに耐えろ」。一文にそんな叱り声を聞く。

日本人の美意識の特徴として「暗示または余情」「いびつさ、ないし不規則性」を

2013年09月10日 | Weblog
春秋
9/10付

 外国人が日本について語るとき、わたしたちには意外な面をほめることがある。米国人の旅行客が「包む・並べる」という文化に感心していた。小箱に収まった京都の和菓子。芸術的な百貨店の包装。すしが同じ大きさで揃(そろ)っているのも、言われてみれば確かに美しい。

▼7年後の東京五輪で、日本はどんな素顔を世界に伝えられるだろう。国際的な祭典にありがちな「テクノロジー自慢」も結構だが、時代の最先端が、常に鋭くとがっている必要はない。高度な巨大技術の象徴だった原子力で、日本はしくじった。何かもっと細やかで、丸みを帯びた優しい価値観で、世界の人々を迎えたい。

▼新国立競技場は、イラク出身の女性建築家ザハ・ハディドさんが設計を手がける。巨大な生き物が天から舞い降りたような姿に、思わず息をのむ。「脱構築主義」という新しい建築の流れだそうだ。直線を組み合わせて、力と技で人間の空間を築くのではなく、ひねり、ずらし、曲げて、建物が自然環境に張りついている。

▼その包み込むような容器にも似合う日本の本質を、これからの7年間で見つめ直したい。日本学者のドナルド・キーンさんは、日本人の美意識の特徴として「暗示または余情」「いびつさ、ないし不規則性」を挙げている。いま人類が科学文明の曲がり角にいるとすれば、柔らかい和の精神が輝く好機が2020年に来る。

五輪。五つの色の五つの輪。トキヨウ一色に染まっても、成功とは言えません。

2013年09月09日 | Weblog
夕歩道

2013年9月9日


 「トキヨウ」。IOC会長の少し甲高い声が届いたとき、興奮を覚えたのは確かです。おめでとう、東京。でも一方で、福島漁民の「どこか違う世界のことのよう」という感想も頭を離れません。
 首相は言った。福島原発の汚染水は「完全に、コントロールされている」と。だが本当か。「あまちゃん」の場面でも見たような、東北の線路は予算不足でちぎれたまま。都心だけが便利になる。
 復興支援。開催の大義名分。「復興にもスポーツの力は役立つ」と都知事は言った。その言葉を世界は忘れません。五輪。五つの色の五つの輪。トキヨウ一色に染まっても、成功とは言えません。

世代を超(こ)えて見る。女性の夢物語であり、男の夢でもある

2013年09月08日 | Weblog
「時鐘」 2013年9月8日

漫画(まんが)「サザエさん」が、ほのぼのとしているのは、サザエさんが「嫁(よめ)」ではなく「娘(むすめ)」だからとの説がある
磯野家(いそのけ)のサザエさんは結婚後も両親と同居(どうきょ)。年の離(はな)れた弟と妹がいる。母のような姉であり、主婦(しゅふ)のような長女である。その役割(やくわり)を自由気ままに振(ふ)るまえるのは、実の母親がそばにいるからだ。つまり「嫁姑(よめしゅうとめ)の緊張(きんちょう)」がない

1969(昭和44)年にスタートした「サザエさん」がアニメ放送の世界最長記録(せかいさいちょうきろく)になるという。漫画の開始は昭和21年、日本の家族制度(かぞくせいど)は戦前のままのころである。そこに嫁姑の緊張がないのどかな暮(く)らしを描いた。戦後の解放感(かいほうかん)から生まれた夢物語(ゆめものがたり)だったと思う

姑と小姑(こじゅうと)は女性をバカにしたような漢字である。しかし、どんな家も家族構成(こうせい)は年とともに変わり、子どもは成長して家を出る。寂(さび)しくもあり、めでたくもある。その家族の変遷(へんせん)と成長(せいちょう)を「女が古く」なる「姑」という字から読み取ることはできまいか

サザエさんの磯野家は変わらない。一番幸せな時がそのままだ。こんな幸せが続くといいねと、世代を超(こ)えて見る。女性の夢物語であり、男の夢でもある。

五輪の歴史の重い一コマ

2013年09月08日 | Weblog
春秋
9/8付

 その作品を「空前絶後の出来だと思う」と評したのは映画監督の篠田正浩さんである。1936年のベルリン五輪の記録映画「オリンピア」は、30代だったドイツ人女性レニ・リーフェンシュタールが監督してつくられた。彼女が101歳で死に、きょうで10年になる。

▼なによりヒトラーのための宣伝映画だった。日本選手が銀、銅を取った棒高跳びは、夜の撮影に失敗して後日撮り直したことが知られる。ごまかしや細工はまだある。にもかかわらず、選手や観客の表情のとてつもないアップあり、水中撮影あり、スローモーションあり。斬新な映像とリズムにはいまも古めかしさがない。

▼作家の沢木耕太郎さんが「外国映画の中で最も日本人を美しく撮った作品かもしれない」と書いている。その通りで、日本人は選手も観客も、真顔も笑顔もいい。それに大勢出てくる。だが、トルコ人が登場するのは気づいた限り1度。もんどり打って落馬する馬術選手しかいない。スペインは五輪に参加すらしなかった。

▼バルセロナがベルリンと36年の開催を争って敗れ、ナチスドイツの人種差別政策に抗議する左派政権が独自に国際スポーツ大会を開こうとしていたからだ。その大会も、開幕直前に内戦が始まり中止へと追いこまれてしまう。「オリンピア」にスペイン人選手の姿はない。そのこと自体、五輪の歴史の重い一コマでもある。

「復興五輪」の意義を素晴らしいプレゼンで。

2013年09月07日 | Weblog
夕歩道

2013年9月7日


 オリンピックは五輪ともいわれる。新聞社の記者が、新聞見出しの字数制限から発案したという。五大陸を意味する五色の輪のオリンピックマークや、宮本武蔵の「五輪書」にヒントを得たとも。
 北京五輪を開いた中国では「奥林匹克(アオリンピイカ)運動会」と書く。字面では分からぬが、発音を聞けば何となく分かるかな。略称は五輪ではなく奥運会。さて、アルゼンチンでの五輪の招致レースも大詰め。
 日中戦争などで幻となった一九四〇年の東京五輪。柔道創始者の嘉納治五郎が「アジア初」と意義を訴えた。汚染水対策で守勢に回る日本。ぜひとも「復興五輪」の意義を素晴らしいプレゼンで。

クロマグロは近年、太平洋でずっと減り続けている。ウナギみたいにならないうちに

2013年09月07日 | Weblog
春秋
9/7付

 マグロなんて下手物(げてもの)だ――。美食家で知られた北大路魯山人が昭和初期の随筆で言い放っている。「もとより一流の食通を満足させる体のものではない」「高(たか)の知れた美味にすぎない」。魯山人らしい毒舌だが、当時は世間にもそんな感覚が残っていたのかもしれない。

▼たしかにマグロは江戸時代にはあまりよい扱いは受けず、とりわけ脂身は嫌われた。しかし一度覚えればヤミツキになる美味だ。握りずしの発達と相まって日本人の好物となっていく。魯山人だって「三陸の宮古ものがいい」「分厚いトロを焼いて醤油(しょうゆ)をかけて食えば飯が飛んで入る」などと結局は大した礼賛ぶりである。

▼そういうマグロのなかでも最高級のクロマグロは近年、太平洋でずっと減り続けている。この貴重な資源を守る国際機関の小委員会が、3歳以下の未成魚の漁獲量を来年は15%以上減らすことで合意した。すぐには食卓に影響は出ないというが、ウナギみたいにならないうちに消費者もすこし食べ過ぎを反省するとしよう。

▼クロマグロは高級魚ではあるが、昨今は意外に身近だ。未成魚が関東でメジ、関西ではヨコワと呼ばれて安く取引され、スーパーでもよくお目にかかる。数年待てば大物に育って産卵もするのに、もったいない話なのだ。そういえば魯山人もマグロ随筆に、メジはカツオの味に近いから「話柄(わへい)から除く」などと書いている。

自然はいつも人に優しいわけではない。

2013年09月06日 | Weblog
春秋
9/6付

 東京から名古屋に転勤した男が、初対面の人を相手に、地元の人間になりきれるか試した。言葉は完璧。しかしすぐにばれてしまう。地下街があるのに地上を歩いたからだ。「東京の人は地下街が嫌いだで」。清水義範氏のユーモア小説「蕎麦ときしめん」の一こまだ。

▼名古屋の中心には巨大な地下街が広がる。夏も涼しく、傘も不要で、地下鉄駅もあり、店も並ぶ。それを自慢に思う気持ちを表現したわけだ。小説の発表から30年近く、今や大阪や東京も地下街が充実する。雨の日の通勤や買い物には特に助かる。急な雨に降られたらとりあえず地下街に難を避ける、という人も多かろう。

▼そんな人は習慣を見直す必要があるかもしれない。日本気象協会のサイトが、ここ数日の短時間・集中型豪雨の予報に合わせ、こう呼びかけている。水が一気に流れ込む可能性があるので「急に雨が強まったからといって、地下などに逃げるのはなるべく避けましょう」。おとといの豪雨では名古屋の地下街にも浸水した。

▼雨宿り一つにも正しい知識が必要ということだ。大きな被害をもたらした竜巻にも、先のサイトは「窓から離れ、なるべく低い姿勢を保ちましょう」と注意を促す。こうした情報を気に留めておくことが、いざというとき命を救う。自然はいつも人に優しいわけではない。だからこそ知識という備えが普段から大切になる。