前々回 「子宮全摘手術のこと。その1。」
前 回 「子宮全摘手術のこと。その2。」 の続きです。
今回やっと手術の話です。
まずは手術前夜。おへその掃除をされます。オイル垂らして綿棒くりくり。
通常の飲食は21時まで。下剤の錠剤を服用。21時から翌朝6時までの間に経口補水液500mlを2本ちびちび飲みます。
寝るまでに1本以上は飲まないと間に合わない。
翌朝。日頃から快食快便なのでちゃんと出るもんが出ました。さらに浣腸。苦手(泣)。すぐ出しちゃう。
シャワーを浴びて術着に着替え、脚には弾性ストッキングを履きます。血栓予防ですね。
結婚指輪もメガネも入れ歯もはずします。私の耳ピアスは面倒なボディピアスなので家ではずして行きました。
さて出陣です。看護師さんと歩いてエレベーターに乗り手術室階へ行きます。
術着は背中が開いてるのでバスタオルを肩に掛けられています。試合前の格闘家ですか?w
大病院なので手術室がたくさんあるらしい。メガネ無いのでよく見えませんでした。
朝一番の開始だったので同時にあちこちから患者が連れられてきて大賑わいです。徒歩あり、車椅子あり、ストレッチャーあり。
手術室前のホールで病棟担当から手術室担当に引き渡されます。う~~ん、なんか奴隷市場みたいな?w
私が入ったのは13番室だったような気がします。幅の狭い台に上って横になります。麻酔医が登場。
背骨の間に硬膜外麻酔用の針が入ります。「背中を海老のように丸めてください。」
ああ、すみませんすみません。皮下脂肪が邪魔で背骨がよくわからないようです。
「16番の〇〇先生呼んできて!!」という声が聞こえます。やがて無事に入ったようです。
私「今何時ですか?」 誰か「9時すぎですね。」という会話が術前最後の記憶です。
深い睡眠に入った後で人工呼吸器の挿管や尿道カテーテル挿入、剃毛が行われます。まな板の上の鯉ですな。
私は自分である程度脱毛していったので剃毛はなかったでしょう。(剃ると後でチクチクするから嫌)
手術が終わって目が覚める前に呼吸器は抜かれます。
やがて意識が戻って、私「今何時ですか?」 誰か「11時すぎです。」 約2時間でした。
後で聞いた話ですが出血量は少なく、輸血や特定生物(豚)由来製剤の使用はありませんでした。
ガラガラとストレッチャーで病室へ戻ります。「せーーの!!」4人がかりでベッドへ。
この間に夫は摘出された臓器を見ています。私の要望どおり写真を撮っておいてくれました。
開始時刻が早かったので夫は術前には間に合わず(田舎なので自宅からの公共交通機関は1時間に1本)、
術後もコロナ対策に慎重な人なので会わずに帰宅しました。
ま、無事に留守番して猫共の世話をしてくれれば、それでいいので(笑)。
手術当日のその後は痛み止めがよく効いていてあまり記憶がありません。
両すねには血栓予防のためのフットポンプが装着されていて時々自動で圧迫されました。
腕にも自動で動く血圧計がついていました。時々どこかでピピピピと音がします。
背中から入る硬膜外麻酔用エピのボタンを握らされます。
「痛みが我慢できなかったらこれを押してください。麻酔液がはいります。」
↓ これです。一度押すと次は30分過ぎないと押しても薬は出ないそうです。
スマホでこんな写真と自撮りをして、さらに加工してSNSで生還報告までしてるんですから
まあ、大丈夫だったんでしょう(笑)。
やたら喉と口内が渇いて、看護師さんが持ってきてくれた吸い飲みを手が届く所に置いて
水を時々ちびちび飲んでいたのは覚えています。
手術翌朝。体温・血圧・血中酸素濃度測定のあと、フットポンプがはずされてベッドから降りました。
簡単に言ったけど、まず起き上がるのも大変です。どっち向いてどこを支点にすれば激痛ではなく動けるのか?
まあなんとかゆっくりジタバタして起き上がり脚をなんとか床に降ろし・・・
部屋の入り口まで歩ければ尿道カテーテルが抜けます。
左腕に点滴、背中には麻酔がつながっていますがこれでトイレに行けます。
ただし排尿しようと腹圧をかけるとハラが痛い。そっとそっと・・・
術後数日は便がゆるかったのでマシでしたが、その後半月以上は排便には勇気が必要でした。
腹圧かけた時にグワァァッと痛く、モノが出た後もジイイイイーンと痛い。ああ、便秘体質じゃなくて良かった。
術後50日以上たった今でも排泄時の痛みは少しありますな。勇気は必要なくなったけどね。
点滴はこの日のうちにはずされました。どのタイミングだったかは忘却。朝食後でしょうか。
背中への麻酔が抜かれたのはそのまた翌日だったかな。もうカラになっていました。
麻酔薬を使いきっちゃうくらいだから、すっごい痛かった。個室なので遠慮なくうめいていました。
前回に書きましたが、この私が食欲ないくらい痛かった。2日前の夜以来、何も食べてないのに。
うんがぁーーーーー!!!!!! ぴぃーーーーー!! へとーーーーーーー って感じかな。
さらにお仕着せの術着?が上腿にすれて痒い。痒い。
常用の処方薬とともにリンデロンVG軟膏も持ち込んでいたので、看護師さんの許可を得て塗り塗り。
天然繊維じゃなきゃダメとかではないですが、皮膚炎をおこしやすい体質です。自分で自分にかぶれる。
硬膜外麻酔がはずされてやっと全身自由になったタイミングで私服(化繊です)に着替えました。
・・・・・・あれ?術後のT字帯から自前のショーツに履き替えたのっていつだったんでしょ??(^^A;
そういえば、術後から腹帯というものをお腹に巻いていました。サラシでできた腰ベルトみたいなやつです。
縫合場所が広がらないように抑え込むためだそうです。
これがね、筋肉質のお腹ならビシッと固定されるんでしょうけど、ぽよんぽよんのお腹だと、ずれる・・・
縦に切られた切開部分だって平らなお腹だったらもっと小さく済んだろうな、とお腹の肉を持ち上げてみる・・・
溶ける縫合糸を使っているので抜糸はありませんでした。縫合部を覆った半透明の保護テープには、かぶれました(お約束)
自然にはがれるまで放置という指示に従っていて、退院後はがれてみたら四角く真っ赤(笑)。
それはリンデロン軟膏ですぐ治ったものの、いまだに縫合部周囲のお腹全体がときどき猛烈に痒い。
チクチク痛いのはまだ溶けきってない縫合糸のせいではないかと思っているのですが、術後1カ月の診察の時に尋ね忘れました。
先生は病理で発見されたガンの告知をするので少し緊張してるようでしたが、それは想定内のことでしたので当方は平気で(笑)。
次の受診は術後3カ月の7月です。
ああ、話の時系列が飛んでしまいました。
そんなこんなで痛みにうめく数日が過ぎたあとは、なんとか我慢できる程度の痛みにおさまり、
食事も完食しながらだらだらと過ごしました。詳しくは前回の「その2」に書きました。
経過良好ということで「火曜日退院予定でしたけど月曜日でも大丈夫ですよ?どうしますか?」と聞かれました。
1日早ければ14,300円+食事代が浮きます。私の入院保険の一日分では赤字ですもん。即決です。
さっそく、車で迎えに来てくれる約束をしていた知人に連絡。夫にも連絡。
入院9日間、術後1週間で娑婆に戻りました。
退院当日、手続き・会計やら保険用の書類申請やら院内ベーカリーに行ったりで広い病院内を動き回ったのと
しばらくは自転車にも乗っちゃダメなので帰宅途中でスーパーで買い物したりしたので、ヘロッヘロになりましたけどね。
退院時に処方された内服薬は痛み止めカロナールと胃粘膜保護のレバミピド。
痛み止めは入院中から私の胃と相性が悪いロキソニンを拒否。小児でも飲めるカロナールだってそこそこは効くんです。
しばらくは500mgを1回2錠1日3回も飲んでましたが、退院後じきに服用をやめました。
ある程度なら痛みは慣れるんです。慣れているうちに軽くなれば忘れてしまいます。
九州博多の婦人科女医さんのブログによれば(以下、引用)
『患者さんたちが一番気になるのは術後いつになったら元気になるのでしょうか、という点だと思うのですが、
3ヶ月もすれば周囲の人間はあなたが手術をしたことを忘れます。その事実は忘れなくても、たぶん日付は忘れます。
主治医の名前なんてあっという間に忘れますし、平成何年だったかもあやふやで、
子宮を取ったか卵巣を取ったかの記憶も定かでなくなります。オットなんて特にそういう生き物。
でも、おそらくご本人は2年くらい主治医と日付を忘れてないという印象を受けるので、
真の意味で「元気になる」には2年くらいかかるんじゃないかと思います。』(引用ここまで)
婦人科部長闘病記
ま、私は既に元気です。腹圧かけると腹はまだ少し痛いけれど。腹を下にうつ伏せになれるようになったのは最近だけど。
主治医の名前もちゃんと憶えてますが一番最初に漢字を読み間違えたので「あれ?読みはどっちだっけ。」(^^A;。
卵巣がなくなると更年期障害が出るはずですが、私は既に閉経していたようです。
不正出血でなにがなんだかでしたが、もう還暦すぎてますからねえ。いくらなんでもねえ。
術前までの間、ごくたまにホットフラッシュを経験した以外に更年期障害らしき症状はありませんでした。
術後はホットフラッシュも出てません。老化現象のほうがイタイです。
お? 子宮筋腫がなくなったという事は、いざとなったら女性ホルモン補充療法も使えるようになった!!という事!!
ラッキー♪♪(笑)
脳みそが女なら、子宮や卵巣がなくなっても女です。
私の脳みそが女脳なのかどうか若干の疑問はありますが、それがどうした、私は私だ。文句あるか。
≪番外≫
麻酔の事で思い出した事件があります。
2月の内膜全面掻把術の麻酔は、眠っているだけの軽い麻酔です。
(開腹摘出手術の場合は呼吸も出来なくなるくらい深い睡眠)
意識をなくす直前に手術室の天井を見て「攻殻機動隊にこんな図柄があったな・・・」と思ったのが運のつき。
術後に麻酔がさめかけた私が口走っていたのは・・・
「タチコマどこ?」「記憶が上書きされない!保存されない!」
わかる人にはバレてしまう、還暦過ぎの婆としては赤面もののうわ言です。
とりあえず、ただの『老オタク』であって『貴腐人』じゃなかったのは幸いかな・・・・・・・
おしまい。
★8月31日追記
続き書きました。「子宮全摘手術のこと。その4。」
前 回 「子宮全摘手術のこと。その2。」 の続きです。
今回やっと手術の話です。
まずは手術前夜。おへその掃除をされます。オイル垂らして綿棒くりくり。
通常の飲食は21時まで。下剤の錠剤を服用。21時から翌朝6時までの間に経口補水液500mlを2本ちびちび飲みます。
寝るまでに1本以上は飲まないと間に合わない。
翌朝。日頃から快食快便なのでちゃんと出るもんが出ました。さらに浣腸。苦手(泣)。すぐ出しちゃう。
シャワーを浴びて術着に着替え、脚には弾性ストッキングを履きます。血栓予防ですね。
結婚指輪もメガネも入れ歯もはずします。私の耳ピアスは面倒なボディピアスなので家ではずして行きました。
さて出陣です。看護師さんと歩いてエレベーターに乗り手術室階へ行きます。
術着は背中が開いてるのでバスタオルを肩に掛けられています。試合前の格闘家ですか?w
大病院なので手術室がたくさんあるらしい。メガネ無いのでよく見えませんでした。
朝一番の開始だったので同時にあちこちから患者が連れられてきて大賑わいです。徒歩あり、車椅子あり、ストレッチャーあり。
手術室前のホールで病棟担当から手術室担当に引き渡されます。う~~ん、なんか奴隷市場みたいな?w
私が入ったのは13番室だったような気がします。幅の狭い台に上って横になります。麻酔医が登場。
背骨の間に硬膜外麻酔用の針が入ります。「背中を海老のように丸めてください。」
ああ、すみませんすみません。皮下脂肪が邪魔で背骨がよくわからないようです。
「16番の〇〇先生呼んできて!!」という声が聞こえます。やがて無事に入ったようです。
私「今何時ですか?」 誰か「9時すぎですね。」という会話が術前最後の記憶です。
深い睡眠に入った後で人工呼吸器の挿管や尿道カテーテル挿入、剃毛が行われます。まな板の上の鯉ですな。
私は自分である程度脱毛していったので剃毛はなかったでしょう。(剃ると後でチクチクするから嫌)
手術が終わって目が覚める前に呼吸器は抜かれます。
やがて意識が戻って、私「今何時ですか?」 誰か「11時すぎです。」 約2時間でした。
後で聞いた話ですが出血量は少なく、輸血や特定生物(豚)由来製剤の使用はありませんでした。
ガラガラとストレッチャーで病室へ戻ります。「せーーの!!」4人がかりでベッドへ。
この間に夫は摘出された臓器を見ています。私の要望どおり写真を撮っておいてくれました。
開始時刻が早かったので夫は術前には間に合わず(田舎なので自宅からの公共交通機関は1時間に1本)、
術後もコロナ対策に慎重な人なので会わずに帰宅しました。
ま、無事に留守番して猫共の世話をしてくれれば、それでいいので(笑)。
手術当日のその後は痛み止めがよく効いていてあまり記憶がありません。
両すねには血栓予防のためのフットポンプが装着されていて時々自動で圧迫されました。
腕にも自動で動く血圧計がついていました。時々どこかでピピピピと音がします。
背中から入る硬膜外麻酔用エピのボタンを握らされます。
「痛みが我慢できなかったらこれを押してください。麻酔液がはいります。」
↓ これです。一度押すと次は30分過ぎないと押しても薬は出ないそうです。
スマホでこんな写真と自撮りをして、さらに加工してSNSで生還報告までしてるんですから
まあ、大丈夫だったんでしょう(笑)。
やたら喉と口内が渇いて、看護師さんが持ってきてくれた吸い飲みを手が届く所に置いて
水を時々ちびちび飲んでいたのは覚えています。
手術翌朝。体温・血圧・血中酸素濃度測定のあと、フットポンプがはずされてベッドから降りました。
簡単に言ったけど、まず起き上がるのも大変です。どっち向いてどこを支点にすれば激痛ではなく動けるのか?
まあなんとかゆっくりジタバタして起き上がり脚をなんとか床に降ろし・・・
部屋の入り口まで歩ければ尿道カテーテルが抜けます。
左腕に点滴、背中には麻酔がつながっていますがこれでトイレに行けます。
ただし排尿しようと腹圧をかけるとハラが痛い。そっとそっと・・・
術後数日は便がゆるかったのでマシでしたが、その後半月以上は排便には勇気が必要でした。
腹圧かけた時にグワァァッと痛く、モノが出た後もジイイイイーンと痛い。ああ、便秘体質じゃなくて良かった。
術後50日以上たった今でも排泄時の痛みは少しありますな。勇気は必要なくなったけどね。
点滴はこの日のうちにはずされました。どのタイミングだったかは忘却。朝食後でしょうか。
背中への麻酔が抜かれたのはそのまた翌日だったかな。もうカラになっていました。
麻酔薬を使いきっちゃうくらいだから、すっごい痛かった。個室なので遠慮なくうめいていました。
前回に書きましたが、この私が食欲ないくらい痛かった。2日前の夜以来、何も食べてないのに。
うんがぁーーーーー!!!!!! ぴぃーーーーー!! へとーーーーーーー って感じかな。
さらにお仕着せの術着?が上腿にすれて痒い。痒い。
常用の処方薬とともにリンデロンVG軟膏も持ち込んでいたので、看護師さんの許可を得て塗り塗り。
天然繊維じゃなきゃダメとかではないですが、皮膚炎をおこしやすい体質です。自分で自分にかぶれる。
硬膜外麻酔がはずされてやっと全身自由になったタイミングで私服(化繊です)に着替えました。
・・・・・・あれ?術後のT字帯から自前のショーツに履き替えたのっていつだったんでしょ??(^^A;
そういえば、術後から腹帯というものをお腹に巻いていました。サラシでできた腰ベルトみたいなやつです。
縫合場所が広がらないように抑え込むためだそうです。
これがね、筋肉質のお腹ならビシッと固定されるんでしょうけど、ぽよんぽよんのお腹だと、ずれる・・・
縦に切られた切開部分だって平らなお腹だったらもっと小さく済んだろうな、とお腹の肉を持ち上げてみる・・・
溶ける縫合糸を使っているので抜糸はありませんでした。縫合部を覆った半透明の保護テープには、かぶれました(お約束)
自然にはがれるまで放置という指示に従っていて、退院後はがれてみたら四角く真っ赤(笑)。
それはリンデロン軟膏ですぐ治ったものの、いまだに縫合部周囲のお腹全体がときどき猛烈に痒い。
チクチク痛いのはまだ溶けきってない縫合糸のせいではないかと思っているのですが、術後1カ月の診察の時に尋ね忘れました。
先生は病理で発見されたガンの告知をするので少し緊張してるようでしたが、それは想定内のことでしたので当方は平気で(笑)。
次の受診は術後3カ月の7月です。
ああ、話の時系列が飛んでしまいました。
そんなこんなで痛みにうめく数日が過ぎたあとは、なんとか我慢できる程度の痛みにおさまり、
食事も完食しながらだらだらと過ごしました。詳しくは前回の「その2」に書きました。
経過良好ということで「火曜日退院予定でしたけど月曜日でも大丈夫ですよ?どうしますか?」と聞かれました。
1日早ければ14,300円+食事代が浮きます。私の入院保険の一日分では赤字ですもん。即決です。
さっそく、車で迎えに来てくれる約束をしていた知人に連絡。夫にも連絡。
入院9日間、術後1週間で娑婆に戻りました。
退院当日、手続き・会計やら保険用の書類申請やら院内ベーカリーに行ったりで広い病院内を動き回ったのと
しばらくは自転車にも乗っちゃダメなので帰宅途中でスーパーで買い物したりしたので、ヘロッヘロになりましたけどね。
退院時に処方された内服薬は痛み止めカロナールと胃粘膜保護のレバミピド。
痛み止めは入院中から私の胃と相性が悪いロキソニンを拒否。小児でも飲めるカロナールだってそこそこは効くんです。
しばらくは500mgを1回2錠1日3回も飲んでましたが、退院後じきに服用をやめました。
ある程度なら痛みは慣れるんです。慣れているうちに軽くなれば忘れてしまいます。
九州博多の婦人科女医さんのブログによれば(以下、引用)
『患者さんたちが一番気になるのは術後いつになったら元気になるのでしょうか、という点だと思うのですが、
3ヶ月もすれば周囲の人間はあなたが手術をしたことを忘れます。その事実は忘れなくても、たぶん日付は忘れます。
主治医の名前なんてあっという間に忘れますし、平成何年だったかもあやふやで、
子宮を取ったか卵巣を取ったかの記憶も定かでなくなります。オットなんて特にそういう生き物。
でも、おそらくご本人は2年くらい主治医と日付を忘れてないという印象を受けるので、
真の意味で「元気になる」には2年くらいかかるんじゃないかと思います。』(引用ここまで)
婦人科部長闘病記
ま、私は既に元気です。腹圧かけると腹はまだ少し痛いけれど。腹を下にうつ伏せになれるようになったのは最近だけど。
主治医の名前もちゃんと憶えてますが一番最初に漢字を読み間違えたので「あれ?読みはどっちだっけ。」(^^A;。
卵巣がなくなると更年期障害が出るはずですが、私は既に閉経していたようです。
不正出血でなにがなんだかでしたが、もう還暦すぎてますからねえ。いくらなんでもねえ。
術前までの間、ごくたまにホットフラッシュを経験した以外に更年期障害らしき症状はありませんでした。
術後はホットフラッシュも出てません。老化現象のほうがイタイです。
お? 子宮筋腫がなくなったという事は、いざとなったら女性ホルモン補充療法も使えるようになった!!という事!!
ラッキー♪♪(笑)
脳みそが女なら、子宮や卵巣がなくなっても女です。
私の脳みそが女脳なのかどうか若干の疑問はありますが、それがどうした、私は私だ。文句あるか。
≪番外≫
麻酔の事で思い出した事件があります。
2月の内膜全面掻把術の麻酔は、眠っているだけの軽い麻酔です。
(開腹摘出手術の場合は呼吸も出来なくなるくらい深い睡眠)
意識をなくす直前に手術室の天井を見て「攻殻機動隊にこんな図柄があったな・・・」と思ったのが運のつき。
術後に麻酔がさめかけた私が口走っていたのは・・・
「タチコマどこ?」「記憶が上書きされない!保存されない!」
わかる人にはバレてしまう、還暦過ぎの婆としては赤面もののうわ言です。
とりあえず、ただの『老オタク』であって『貴腐人』じゃなかったのは幸いかな・・・・・・・
おしまい。
★8月31日追記
続き書きました。「子宮全摘手術のこと。その4。」