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土の上にも三年

農への道

戯言

2011-06-16 23:10:50 | 考えるフリ日記(哲学系)
本質だなんだといろいろ書いてますが、「物事の本質」は「自分の性質」の多大な影響を受けていますので、

【どんな物事の本質も多面性を持っている】という前提の上に成り立った「一側面」を、「=物事の本質」と書いていることは言うまでもありません。

つまり、同じ物事であっても違う角度から見ることが可能である・物事は多様な面を持っていて「本質」も多様な面を持っている、ということです。

かといって「物事の見方の全て」が「本質的な見方」とは言えません。

「真理」というものが関わってくるのです。


【本質と真理の関係】

真理とは、物事と真理を同方向に捉えた時に、物事の真裏方向彼方で光を発する【光源】です。

【真理】は強烈な光源ですから直視は出来ません。

本質と真理を同時に捉えようとすれば、物事で真理を遮って見るしかありません。

すると、ちょうど皆既日食(Wikipedia)のように【真理の光の片鱗】が見え、物事(ここでの【月】)は黒く塗り潰されます。

普段ボクらはこうやって「物事」を捉え、真理の放つ光の片鱗を見たことで真理本体を知ったような気分になっています。

そして黒く塗り潰された物事のシルエットこそが本質であると錯覚しています。

ですが黒く塗り潰されたシルエットは、物事を見ていることには違いありませんが、物事の本質ではありません。

また、真理本体を見ることは強烈な光源を直視することですから、真理本体を見ることは不可能です。

そしてもう一つ大事なことは、自分が何者であるか、真理と本質を前にしてどんな人間であるのか知らなければ意味がないでしょう。


さてここで謎解きです。

1、真理は光源で直視することは不可能
2、物事は多面体である
3、物事の本質と真理と自分を同時に捉えられる可能性を探る

どうすれば良いでしょうか。

答えは、

・真理を背にして真理の光で物事の本質をしっかりと照らし捉え、

・物事に映り込んだ自分の影から「自分が何者か」を読み取り、

・背面から降り注ぐ光を真理だと意識し、真理を見ずして真理を感じる、

ことです。

つまり月と太陽を同方向に見るのではなく、月と太陽の間に自分が入り、月に自分の影を投影するということです。

答えになってませんか?(笑)


自分を何かに投影しなければ、鏡があるわけではない精神宇宙では自分を知る手掛かりはありません。

本質と真理を同方向に捉えようとするあまりに真理は物事で遮られ、

(真理は直視できないから物事で遮らないとならない)

本質は真理の影になり、結果、本質も真理も視界方向にあるのに見えていないことになります。

「様々な角度から物事を見ていたら自分を見失ってた(ミスチル・イノセントワールド)」

って歌詞がありますが、様々な角度から眺めて、ようやく真理と本質を同方向に捉えられる場所を見つけたと思ったら、自分の影は映らず自分が何者か分からなくなった、

(この状態では真理も本質も見えていないでしょう)

ということです。

真理と本質を捉えたのに自分を見失って意味ないじゃん、しかも真理と本質を勘違いしてるじゃん、ってことです。


実は、真理と本質を同方向に捉えることではなく、物事に映り込む自分の影こそが物事の本質と真理を知る手掛かりなんです。

だから人によって本質は多様なんです。

何しろ本質を見るには自分の影の形や大きさや距離や位置を変えなければならず、自分の影で見えない部分が必ず出てきます。

すると当然見える部分は多様ですから、本質は多様なんです。

真理は光源ですから一様ですが、見ることは絶対に出来ません、見れないから真理を知る手掛かりは自分の影で、自分の影が手掛かりですから真理も多様に見えてしまう。

ですが真理は一様です。

どうすれば真理は一様だと知ることが出来るでしょうか。

とにかくいろんな物事に自分の影を投影することです。

どうせ真理は絶対に見れませんから、見ようとしないことです。

真理を見ようとするから物事の本質と自分が見えなくなるんです。

物事の本質と自分を知ることが、唯一真理を知る手掛かりになります。


たぶん、そうだと思います。

穴抜けだらけな気もしますが、まぁ戯言だと思ってサラッと読み流してください(笑)

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