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土の上にも三年

農への道

ボタンを掛け直すとき

2011-04-28 03:05:34 | 考えるフリ日記(哲学系)
慣行農業(いわゆる化成肥料や農薬を使用する農業)から有機農業や無農薬農業に切り替えるとき、

最初は害虫や不作に苦しむことが多いそうです。

土も虫も人間も、以前のやり方に慣れてしまい、バランスが崩壊するようです。

今まで虫を殺してきた農薬を使わないことで、虫世界の多様性や共生を一から構築しなければならず、

自然界にある「天敵の天敵が味方」になる関係が出来ていないからです。

土も化成肥料で痩せ、植物も化成肥料に慣れ、それを失ったことで雑草と植物と虫と人間とが、関係の再構築をしなければならなくなるようです。

数年間、まったく何も採れないこともあるみたいです。

でもそれに負けじと根気よく理念を貫くと、不思議なことに、大変素晴らしい環境ができると言われています。


何事も同じと捉えています。

いきなり方向転換すれば、必ず短期的にはツケが回ってきます。

個人は言わずも、コミュニティが小さければ小さいほど、大きな障害を前にしてもまとまりやすいと思います。

ですが、集合体が大きくなればなるほど、いきなり転換することは危険性を伴います。

極端な例として、世界中全ての農業が慣行農業を営んでいて、ある日突然「みんなで無農薬農業にしよう」となった場合、

数年間作物が不作であることは許されません。

また、無農薬農業が実は農業としては間違っていた場合、農薬や化成肥料の生成技術を失っていたら困ります。

こうした問題は世の中にたくさんあります。


「必要悪」という表現は好きではありません。(つまり「悪」は「悪」であって、存在すべきではないと、多少思っているんです)

でもそれは方向性だけに留めるべき「好きではない」であって、ある時突然世界中から「悪」とされるものを排除しようと思えば、殺戮以外に道は無くなります。

これが、人類の血塗られた歴史の原因の一つではないかと考えます。

いろいろな人がいて然るべきだと思いますから、「悪とされる人」も「悪とされる人を排除する人」もいて当然です。

でもそれは全体のバランスの中で消化・昇華させるべきことで、全体の歩んだ道には従わなければならないんです。

理解しろとは思いません。

でも、そうした流れを感じないと、日々の営みが虚しくなります。

世の中のここが悪い、と思っている方もいらっしゃると思いますが、

逆にそこが良いと思っている方もいらっしゃります。

そうした流れを全体が受け大きな流れを作り、全体の意志が決定していくわけです。

個と全の関係は蜜月です。

でも最終的には全が勝ちます。

多勢に無勢というやつです。

ただし、全が絶対的な正しさを持っているかは分かりません。

マイノリティが間違いかマジョリティが間違いかは未来を迎えなければ判らず、

仮に多勢に無勢だけが弱肉強食のように作用する世界になると、例えば原発に反対する方々は葬り去られていたはずです。

まぁある意味社会的には陽の目を浴びれなかったとも言えますし、酷い話し(抹殺みたいな)もありましたが、根絶やしにはされなかったはずです。


ゆっくり確かめながらボタンを外していき、ゆっくり確かめながらボタンを掛けてゆく。

これを忘れて経済成長ばかりに目を向けたから、世界はおかしくなりました。

そこに気付いて尚、是正するにはゆっくり確かめながらボタンを外さないといけません。

未来は誰にも予測できません。

戦争を全て無くして技術も捨て、その先にもしかしたら宇宙から侵略者がきて宇宙船を爆弾で破壊しなければならないかもしれません。

何がいつどう役立つか分からないのです。


今回の震災で、暴力団や暴走族が社会貢献ボランティアに汗を流す場面もあるようです。

3月11日に、帰宅難民者がホームレスから段ボールをもらい暖を取ったという話しもありました。

その人たちが社会的に「悪」だと言っているのではありません。

この世に要らないものはありません。

みんながみんなに影響を及ぼし合って、それが「みんな」なんです。

いきなり転換したり排除したりは、そうした「みんな」で作る社会を否定しかねません。

ボクはそう思って生きています。

難しいけどね。

原発いらないって思うけどね。

いきなり原発消えて無くなれ、とは思わないようにしています。

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