土の上にも三年

農への道

流石にキモいぞフェイスブック(笑)

2011-12-13 21:55:56 | どうでも日記(雑記系)
高校の先輩から友達リクエストは良く分かる。ん、良くは分からないけどかろうじて分かる、が正しいかな?

会社の同僚が「あなたの友達ですか?」っていう欄に出てくるのって意味不明・・・いやネットから漏れる情報ではあり得ないって意味でね。

しかし、よし、それすらもかろうじて理解しようじゃないか。

一度も会ったことのないオンラインで友達になった人が出てくる・・・ん、怪しくなってきた?いやもう既に怪しいんだけど!きっと携帯のデータも漏れているんだろう。

更に、これまた一度も会ったことのない、約10年前の新聞配達時代の友達の、そのまた大学の友達からパソコンを間接的に頂いて、それ以来なんの連絡も取り合ってない人が「友達ですか?」って出てくるってどうなのよ(笑)既に携帯の登録には載っていない。可能性があるとしたら相手の携帯に登録が残っているってことだろうか。ていうか良く思い出したな俺(笑)


これはアレだね、「友達ですか?」に出てくる「誰これ?」っていう人も、どこかで繋がりがあった人だろうね。例えば一昨年救助したおじいさんの孫、とかおよそ無関係だけどどこかでつながった人が出てくるんだと思う。

要するに、一言で言えば「フェイスブックキモイ」であります。まぁ特別止める理由も無いので登録を消そうとは思わないけど。むしろ怖いもの見たさというか「うっひょーこんな人が出てきたよ!」っていう、ミステリー映画でも観ているような感覚で楽しもうかと思っている。自分が主人公で、どんどん情報が漏れていく中で、何を感じどうなっていくか、みたいな(笑)

中にはおかしいと感じながらも、出来上がってしまったフェイスブックの中の関係を断つことが出来ずに(フェイスブックに登録したのに登録を解除する=登録抹消される犯罪者・不正者とかやましい事がある人という思い込み、尚且つ自身の情報を一度開示してしまっているという弱み→完全にフェイスブックに紐で縛られますたありがとうございました状態。)どうにもならなくなっている人もいるんだろうなー。

何を今更、な話なんだけど、実際に体験してみて良く分かった。体験せずとも分かってたのかもしれないけど、個人情報は完全に筒抜けですな。どこかでこのブログとも繋がる(繋がってる)のかもしれんね。いつの間にかmixiやTwitterやフェイスブックで通知するっていう項目が出来てるし。

さてどうする。開き直るか、ネットに一切触れないか、触れても個人情報は絶対に扱わないか(これは別の行為がセットじゃないとお為ごかしな抵抗だと思うけど)、個人情報の保護死守を訴え、世の中がおかしい事になるよって言い続け活動するか、まぁ他にも選択肢はあると思うけど、「気楽なインターネッツ」では無いことだけは確かなようだ。


俺なり拙いなりに考えを示したいとは思っても、門外漢は黙ってろっていう切ない世の中でもあるのかな、って思うとこれも情報社会のデメリットかしら。

どんな稚拙でもどんな不確かでもどんな無知でも、きちんと議論するためのエッセンスは「感情の繋がり」。感情が繋がっていない状態でいくら激論したって、待っているのは「どちらが正しいか」という小さな争い。どれだけ注意したところで激論になればなるほど白黒付けたくなるのが人間の弱さ。

だからまずやるべきは感情の繋がりをどうやって作っていくか、日々の接点だろうと思う。どれだけ仲睦まじい間柄であろうとも、日々の繋がりが無いなら議論してはならない。逆に、仲良くなくても気持ちで通じている人とは議論しても良い。いやまぁ議論なんて誰とやってもいいけど。このへんの話はまた別の機会にでも書こうと思う。


話を戻して、俺は門外漢であるからどうすれば個人情報が守れるか全く思い浮かばない。それどころか、ネットに繋ぐということは遅かれ早かれそうなるだろうという覚悟(ほぼ=諦め)さえ持っていた。持っている。そうなる、とはこうなる、ということだ。


インターネットはグローバル化の拡大を助けた。功績は大きい。しかし同時にグローバル化とは平準化や標準化、同化を求める在り方とも言うべきで、ゆくゆくは「個性の無視・同調主義の増長」になるだろうと思われる。簡単に言えば双方が双方を監視・リークする社会、監視とリークによって個性は無視され、無価値化されていくだろうということだ。

自分の行動が自分の預り知らぬところで明るみにされている事が分かった場合、人は自分の行動を他人と同じにしようとするはずだ。そうすることによって個性は、自分自身によって無視され無価値化される。きっとそうなっていく。


さて、それでは「それでいいのか?」という問題になる。これはある意味原発の議論にも通じるものがあると思う。「リスクとメリット」の話だ。それを正視して使っているのか、今から考えておくことは決して遅くないということだ。

いつか、あらゆる監視とリークの中で、自分を持つことが悪になり、また悪と思わなければ生きていけなくなり、機械のようなスケジュール管理をされた生活が待っている。

どうなっていきますかね。


追記

読み返して思ったんだけど、世界各国で起きているデモとか、こうした同調主義が一因になっているのかもしれないね。「あいつデモに参加しないんだってよ、嫌がらせしようぜ」みたいな。

双方向監視システムによる、直接手を下さなくても一部さえ扇動してしまえば好きな流れが作れる、これが新しい時代の人間管理システムですな。アメリカ、やるな!

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2 コメント

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わかる… (シスター)
2011-12-15 01:37:43
とりあえず、友人までの公開設定にして、プライベートな写真は削除。私も試行錯誤してるけど、最近めんどくさくなってきた(笑)過去にわずかながら関わり、縁が切れた人の日常を突如至近距離で把握できてもなんか…ね…?ややこしい時代だなぁ(>_<)
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Unknown (tutsi-note)
2011-12-15 20:56:01
まぁねー。
フェイスブックは、とりあえず表面上の付き合いの延長で考えるのがいいかもしれないね。

読むほうは面白いかもしれないけど(笑)
読まれる方としては誰が読んでいるか分からないわけだからねー。
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