これから書くことは、一種の「自省してみせて自省を促す、俺の得意な常套手段」であります。だから書いてあることは嘘八百です。そこに同調されても俺は何も感じないし、むしろ同調されても俺は裏切るだけだからおやめくださいませ。あらかじめご忠告申し上げさせて頂きます。
彼女は鬱病だ。ブログで知り合った。知り合って2年ほどしてからメールでやり取りをするようになった。
震災までは彼女のブログに足繁く通っていたが、震災以降あまり訪れ無くなり、気にしながらも俺自身に余裕の無いまま今に至っている。
毎年、誕生日に一言贈ろうと思っていた。とりわけ難しい事は考えていなかったけど、とりあえず、あなたはあなたのままでいいじゃない、っていう事を数年かけて話してきた。いや話したことはないけど。
そして今年も誕生日はやってきた。
正確には覚えていないんだけど、9月くらいまでは12月が誕生日だったよなーなんて考えていた。まだ時間はあるなー。今年はどんな言葉を選ぼうかなー。なんてね。
10月に入り営業に異動。一層、ブログから遠のいてしまっていた。
今日、おそらく2ヶ月ぶりくらいにブログを訪れた。そして彼女の誕生日のことなど一切忘れていた。自身のブログに誕生日の事が書かれており、そこで思い出すくらい忘れていた。
いつだったかの彼女のブログ記事で、誕生日を忘れないようにと思い保存した写真の日付を確認したら12月3日だった。10日も過ぎている。
余計な事を考えた。もし、忘れていた、という言葉をストレートに言ったら悲しむだろうか。婉曲的に言うとしたらどういう表現があるだろうか。
彼女のブログには嘘を付かれることが嫌いだということが何度も書いてある。同時に、相手にとって自分の存在がどうでも良い、と感じる時も嫌いだと書いている。周囲を信用出来ず、かと言って周囲なんてどうでも良いと割り切ることも出来ない。苦しいと思う。
事実は確かに忘れていた。しかしその事実は、彼女をどうでも良いという思いで起きた事実ではないと、俺自身は自分を良く思いたい。彼女を思いやりたい、という気持ちであると言い聞かせながら、でも本当にそうなのか?と自問した。
よく考えたつもりになって、結局嘘をついた。
そのままモヤモヤしていた。
嘘をつかれたくない。嘘は良くない。でも全てにおいて正直に生きて、それが相手を傷付けるものであっても正直に生きるべきだろうか。等身大の自分はだらしない。ダメ人間だ。ていうか誕生日にどうのこうのっていう意識が平均より低いと思う。そんな人間が無理して人の誕生日を祝おうっていうこと自体が無理な話だった。
多分、俺は身近な、本当に至近距離にいる人としか生きていない。この至近距離という表現は物理的距離ではない。ましてや関係の距離でもない。その時の、俺の思考にいる人のことしか、俺の思考の中の出来事しか、考えられないのだ。本当の至近距離。物理的距離がゼロとかよりも至近距離、思考の中だけの距離。それが近い人のことしか考えていない。
時には嫌いな人が至近距離。時には好きな人が至近距離。自分の中の、超狭小的な問題意識の中にある人が俺の至近距離にいる人。それ以外のことは全く頭に無い。長年自分と共に生きてきているが、これは他所様からの指摘も含めて間違い無いだろう。今日、最大の確認をした。
それが良い場合も、もちろんある。自分の問題意識に上がった問題は、とにかく全力で思考するところだ。集中力とも言うのかもしれない。天は二物を与えず。悪い面も良い面もある。
そんな事を考えながら、そうか、俺は身近な人のことすら問題意識に上がらなければ考えていないんだな、って思いながら。
そういえばクリスマスなのに、自分の伴侶にプレゼントを贈ろうってことすら考えてなかったな、なんて思った。
なんかモヤモヤして、モヤモヤを解きたかっただけかもしれない、たまたま今日の俺の脳みそには問題意識としてRIEへのクリスマスプレゼントが思い浮かんだだけかもしれない。
駅ビルに寄ってみた。
財布でも買ってみようかな。なんて思いながら。
ところがRIEの趣味が分からない。なんとなく、こんな財布がいいかな、なんて思って手にとって見たけど19,800円。よく考えると変だよな。お金を入れるものにお金をかけるって。
ふらふらとカバンを見てみた。肩から斜めにかけるカバンが好きだよな。あれ、趣味っていうのかな。分かっているのかな。それすら分からんな。
うーん。
結局今日は買わずじまい。
帰宅。
モヤモヤしている原因ははっきりしている。嘘を付いたことだ。そういう時はどうすれば良いかも分かっている。早いうちにきちんとした気持ちを伝えることだ。嘘は付いた。でもそれは善意のつもりだった。考えてみたけど善意じゃないことに気付いた。だから嘘だったことを白状します。
しかし今度はそうすることで余計に傷付ける。嘘を吐くなら最後まで押し通せば良いかもしれない。いや、そんなことをしたってどうせいつかは尻尾を出す。そうやって今まで多くの人を傷付けた。普段はイイヒトみたいな顔して、結局は相手を思いやっていないじゃん。
そうなんだけど、俺なりに精一杯ではいるつもり。
困ったもんだ。
相手に嘘を付いたのは相手のためだったのか?
嘘を暴露するのは?自分が苦しいから?自分のため?
最初から苦しくなるって事が分かっている上で付いた嘘なら墓場まで持って行けよ、男だろ。
いやそうじゃない。嘘を付くことなんて誰でもある。そんな表層的な問題じゃないだろ、問題なのは。
結局、俺はずぶずぶな思考のまま、本音のメールを送った。ごめん、とは書けなかった。謝るくらいなら最初からやるな、後の挽回は実際の行動で示そう、そう思ったから。
誕生日を忘れることもある。
忘れてたことを隠したい時もある。
隠したことを隠したい時もある。
隠したことを隠したことさえも嘘で塗り固めていけば東電やオリンパスの体質の出来上がり。なんだ、俺の中に東電もオリンパスもあるじゃん。
そうねー。じゃぁせめて相手のミスは許そうかな。ミスっていうか、嘘を付いている人がいたとして、その人の嘘が実は俺には分かっていたとして、「お前嘘付いてるだろ!」とか指摘もしないし、嘘をついてました、って言ってくれたらそれでいいし、もし嘘を付いてましたって言ってくれなくてもそれでいい。
だって、信頼関係があれば相手が嘘を付いていても許せるじゃん。嘘って良くないけど、嘘を付いてしまった背景まで考慮すると全部の嘘が良くないとは言い切れない。背景を最大限考慮して、嘘を嘘だと見ぬいて尚、嘘だと射抜かない、そんな人間でもいいかな、なんて思った。
どんな言い訳も相手が考慮してくれたら「言い分」止まり。どんな言い分も相手が考慮してくれなければ「言い訳」に過ぎない。どこまでいっても感情が付きまとう。
とにかく俺は自分のために彼女に嘘を付き、嘘の自重に耐え切れず楽な方楽な方へと流された。
気持ちの上では最大限、彼女を思いやりたいからではあるにしても、それを決めるのは彼女だ。もし仮に彼女に善意が伝わらなければ、大きなマイナスから再スタートすればいいだけだ。ゼロより難しい再スタートで自分なりにやっていくしか無い。
そして、こういうことをするのはもうやめよう。責任を最後まで持てないくせに小さな自尊心で相手に思いやりっぽいものを示そうとして、結局切羽詰まると手を離す。手を離される方はたまったもんじゃない。
↑っていうようなことを何度も人に言ったり自分に言い聞かせたりしてきたのに、また同じ事をやる。
↑おいおい、また自省を促して他人に自省を求める気か?ご苦労なこった。
↑いやそういうつもりじゃないんだ。心の叫びをブログで書いて何が悪いの?
↑悪くないよ、でもお前、他人に対して同じ事したじゃんか。されても自業自得だろ。
↑そうだな。
↑以下省略
ふー。久々エンドレス。んじゃまた明日ー。
彼女は鬱病だ。ブログで知り合った。知り合って2年ほどしてからメールでやり取りをするようになった。
震災までは彼女のブログに足繁く通っていたが、震災以降あまり訪れ無くなり、気にしながらも俺自身に余裕の無いまま今に至っている。
毎年、誕生日に一言贈ろうと思っていた。とりわけ難しい事は考えていなかったけど、とりあえず、あなたはあなたのままでいいじゃない、っていう事を数年かけて話してきた。いや話したことはないけど。
そして今年も誕生日はやってきた。
正確には覚えていないんだけど、9月くらいまでは12月が誕生日だったよなーなんて考えていた。まだ時間はあるなー。今年はどんな言葉を選ぼうかなー。なんてね。
10月に入り営業に異動。一層、ブログから遠のいてしまっていた。
今日、おそらく2ヶ月ぶりくらいにブログを訪れた。そして彼女の誕生日のことなど一切忘れていた。自身のブログに誕生日の事が書かれており、そこで思い出すくらい忘れていた。
いつだったかの彼女のブログ記事で、誕生日を忘れないようにと思い保存した写真の日付を確認したら12月3日だった。10日も過ぎている。
余計な事を考えた。もし、忘れていた、という言葉をストレートに言ったら悲しむだろうか。婉曲的に言うとしたらどういう表現があるだろうか。
彼女のブログには嘘を付かれることが嫌いだということが何度も書いてある。同時に、相手にとって自分の存在がどうでも良い、と感じる時も嫌いだと書いている。周囲を信用出来ず、かと言って周囲なんてどうでも良いと割り切ることも出来ない。苦しいと思う。
事実は確かに忘れていた。しかしその事実は、彼女をどうでも良いという思いで起きた事実ではないと、俺自身は自分を良く思いたい。彼女を思いやりたい、という気持ちであると言い聞かせながら、でも本当にそうなのか?と自問した。
よく考えたつもりになって、結局嘘をついた。
そのままモヤモヤしていた。
嘘をつかれたくない。嘘は良くない。でも全てにおいて正直に生きて、それが相手を傷付けるものであっても正直に生きるべきだろうか。等身大の自分はだらしない。ダメ人間だ。ていうか誕生日にどうのこうのっていう意識が平均より低いと思う。そんな人間が無理して人の誕生日を祝おうっていうこと自体が無理な話だった。
多分、俺は身近な、本当に至近距離にいる人としか生きていない。この至近距離という表現は物理的距離ではない。ましてや関係の距離でもない。その時の、俺の思考にいる人のことしか、俺の思考の中の出来事しか、考えられないのだ。本当の至近距離。物理的距離がゼロとかよりも至近距離、思考の中だけの距離。それが近い人のことしか考えていない。
時には嫌いな人が至近距離。時には好きな人が至近距離。自分の中の、超狭小的な問題意識の中にある人が俺の至近距離にいる人。それ以外のことは全く頭に無い。長年自分と共に生きてきているが、これは他所様からの指摘も含めて間違い無いだろう。今日、最大の確認をした。
それが良い場合も、もちろんある。自分の問題意識に上がった問題は、とにかく全力で思考するところだ。集中力とも言うのかもしれない。天は二物を与えず。悪い面も良い面もある。
そんな事を考えながら、そうか、俺は身近な人のことすら問題意識に上がらなければ考えていないんだな、って思いながら。
そういえばクリスマスなのに、自分の伴侶にプレゼントを贈ろうってことすら考えてなかったな、なんて思った。
なんかモヤモヤして、モヤモヤを解きたかっただけかもしれない、たまたま今日の俺の脳みそには問題意識としてRIEへのクリスマスプレゼントが思い浮かんだだけかもしれない。
駅ビルに寄ってみた。
財布でも買ってみようかな。なんて思いながら。
ところがRIEの趣味が分からない。なんとなく、こんな財布がいいかな、なんて思って手にとって見たけど19,800円。よく考えると変だよな。お金を入れるものにお金をかけるって。
ふらふらとカバンを見てみた。肩から斜めにかけるカバンが好きだよな。あれ、趣味っていうのかな。分かっているのかな。それすら分からんな。
うーん。
結局今日は買わずじまい。
帰宅。
モヤモヤしている原因ははっきりしている。嘘を付いたことだ。そういう時はどうすれば良いかも分かっている。早いうちにきちんとした気持ちを伝えることだ。嘘は付いた。でもそれは善意のつもりだった。考えてみたけど善意じゃないことに気付いた。だから嘘だったことを白状します。
しかし今度はそうすることで余計に傷付ける。嘘を吐くなら最後まで押し通せば良いかもしれない。いや、そんなことをしたってどうせいつかは尻尾を出す。そうやって今まで多くの人を傷付けた。普段はイイヒトみたいな顔して、結局は相手を思いやっていないじゃん。
そうなんだけど、俺なりに精一杯ではいるつもり。
困ったもんだ。
相手に嘘を付いたのは相手のためだったのか?
嘘を暴露するのは?自分が苦しいから?自分のため?
最初から苦しくなるって事が分かっている上で付いた嘘なら墓場まで持って行けよ、男だろ。
いやそうじゃない。嘘を付くことなんて誰でもある。そんな表層的な問題じゃないだろ、問題なのは。
結局、俺はずぶずぶな思考のまま、本音のメールを送った。ごめん、とは書けなかった。謝るくらいなら最初からやるな、後の挽回は実際の行動で示そう、そう思ったから。
誕生日を忘れることもある。
忘れてたことを隠したい時もある。
隠したことを隠したい時もある。
隠したことを隠したことさえも嘘で塗り固めていけば東電やオリンパスの体質の出来上がり。なんだ、俺の中に東電もオリンパスもあるじゃん。
そうねー。じゃぁせめて相手のミスは許そうかな。ミスっていうか、嘘を付いている人がいたとして、その人の嘘が実は俺には分かっていたとして、「お前嘘付いてるだろ!」とか指摘もしないし、嘘をついてました、って言ってくれたらそれでいいし、もし嘘を付いてましたって言ってくれなくてもそれでいい。
だって、信頼関係があれば相手が嘘を付いていても許せるじゃん。嘘って良くないけど、嘘を付いてしまった背景まで考慮すると全部の嘘が良くないとは言い切れない。背景を最大限考慮して、嘘を嘘だと見ぬいて尚、嘘だと射抜かない、そんな人間でもいいかな、なんて思った。
どんな言い訳も相手が考慮してくれたら「言い分」止まり。どんな言い分も相手が考慮してくれなければ「言い訳」に過ぎない。どこまでいっても感情が付きまとう。
とにかく俺は自分のために彼女に嘘を付き、嘘の自重に耐え切れず楽な方楽な方へと流された。
気持ちの上では最大限、彼女を思いやりたいからではあるにしても、それを決めるのは彼女だ。もし仮に彼女に善意が伝わらなければ、大きなマイナスから再スタートすればいいだけだ。ゼロより難しい再スタートで自分なりにやっていくしか無い。
そして、こういうことをするのはもうやめよう。責任を最後まで持てないくせに小さな自尊心で相手に思いやりっぽいものを示そうとして、結局切羽詰まると手を離す。手を離される方はたまったもんじゃない。
↑っていうようなことを何度も人に言ったり自分に言い聞かせたりしてきたのに、また同じ事をやる。
↑おいおい、また自省を促して他人に自省を求める気か?ご苦労なこった。
↑いやそういうつもりじゃないんだ。心の叫びをブログで書いて何が悪いの?
↑悪くないよ、でもお前、他人に対して同じ事したじゃんか。されても自業自得だろ。
↑そうだな。
↑以下省略
ふー。久々エンドレス。んじゃまた明日ー。
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