土の上にも三年

農への道

武田邦彦さんのブログを読んで思ったこと

2011-09-08 01:28:01 | どうでも日記(雑記系)
なんというベタなタイトル(笑)小学生の作文か。


日本人が大人になるチャンス・・・タバコ増税

「政府が健康を害するからといって、タバコの値段を上げたり、自治体がタバコを追放するのは間違いである」ということは明白です。



武田邦彦さんは次の記事で、

タバコの規制はまだ法律ではできていないので、法律にする前に十分な議論をしておかないと、放射線被曝のように、現実の問題が起きると、それまでと全く違うことを言う人がでてくる


と述べています。

タバコ増税が決まった途端データを盾に、タバコの健康への害は少ない、みたいなことを言い出す人がいるということでしょうか。(しかし逆のパターンもあります。タバコの健康への害は実は少ない、とデータを出して言われた途端に「いや健康への害はデータでは少ないけど、健康に悪い影響を及ぼすことがあるのは臨床的には明らかだ!」って、今まで健康への害が莫大であるからダメだという顔をしてきた人が、論をすり替え小さな評価を誇大表示して示す気がしますが。)

ようするにタバコは絶対悪であるという一律の方向でタバコ増税議論を展開してしまうと、そこを逆手に取って“一律に増税しない方向”に持って行く人が必ず出てくる。(逆のパターンでは、タバコの健康への害を一切無視してメンタル的なメリットだけを主張してしまうと、「そんなバカな話があるか!健康への害が少しでもあるんだから悪に決まっている」という方向に持っていく人が必ず出てくる)

これは戦い方の問題で、データの出し方が不十分であったり議論の仕方を間違えるような、「健康への影響は“オール・オア・ナッシング”であるというタバコ増税議論」は、双方とも逆の相手に覆される可能性が高いわけです。

医学的には健康に害を及ぼすことは明らかであるという事実を、双方がどこまで認め、どこから譲歩するのかが問われるわけです。

タバコが健康に悪いということは臨床的には明らかで、肺がん、気管支障害、血液障害などを誘発することがよく知られています



この一見相反する2点

(一見相反するが、実は同じデータをどちらから見るかの違いに過ぎない。閾値の無い事象は山ほどあるが、科学とはどこかに閾値を設けなければならない学問で、その閾値を元に法律などが整備されることも多い。しかし科学や法律だけが世の中に必要であるわけではなく、先にも書いた、社会に原則は必要だが、原則論だけで社会は成立していないということは、実社会の一側面である。)

をしっかり押さえておかないと、タバコ増税は強烈な反対に遭うよってことが言いたいのでしょうかね?

嗜好品であるタバコ。嗜好品に増税を持ちだしたり規制したりするのは間違いだ、と言ってますから、武田さん自身はタバコ増税に反対なのでしょうか?

おそらく、嗜好品として許される範囲とそこを逸脱してしまう範囲があり、他人に迷惑をかけない場所での“嗜好品としてのタバコ”に対して一律的に増税するのは反対(というかフェアではない)で、しかし公共の場でのタバコは禁止しても良い(※武田さんはこんなこと言ってません。ボクの見解です。)というようなニュアンスなのではないでしょうか。

実際に聞いてみないと分かりませんが(笑)

まぁこの記事からは、タバコの増税への賛否を主張したいわけではないことが分かりますので横に置いておきます。

ついでにmp3も聞かずに書いてます。(後から聴いたけど本文の内容とほとんど同じだった)


上記の内容を放射性物質に転用しますと、

  • 一律的に「どんな放射性物質も悪である」という議論に持って行くと、「いや、データにはそんなことを表す証拠がない」ゆえに「放射性物質は安全である」という一律的な方向(曲解)に持って行かれてしまう


  • 放射性物質はもっときめ細やかに対処しなければいけない問題で、放射性物質を“嗜好品”の如く愛してやまない方々には特別な地域(=喫煙所)でたっぷりと放射性物質を満喫してもらい、そうではない人がいる場所(=公共性の高い場所)や、臨床的に証明されている悪影響の部分を被ってはならない対象(=子供)からは隔絶させるべきである


となりますでしょうか。

それは非常に良く分かります。


ボクはもう完全にタバコを止められたので、タバコがいかに無駄だったか、なんて思いますが(笑)

しかし、脂っこいラーメン食べた後にタバコを吹かすあの何とも言えない至高の瞬間や、パチンコや麻雀でリーチが掛かったときに吸うタバコは格別であります。(格別でした。パチンコも麻雀も今はまったくやりませんし、脂っこいラーメンも食べません)

もっと言えば、なぜか大自然の中でタバコを吸うとメチャクチャ気持ちよかったり、超失意に苛まれている時のタバコも思い出深かったり、あーやっぱり嗜好品っていうのは理屈じゃないなって思います。(思いました)

それら嗜好品を、好まざる人に押し付ける社会であってはなりませんが、何でもかんでも規制したり悪であると決め付ければ、規制や決め付けを良く思わない人が必ず同じ強さの反発を働かせるものです。

そして、同じ事象を、好む人と好まない人が同じ場所で生活することも往々にしてあることで、ここが社会の在り方の難しいところなんだと思います。


原発の何でもかんでもを否定すれば、原発を是が非でも肯定しようとする人が出てくる。

それよりも、原発を否定する人が原発から出来うる限り距離を取れる方法、原発を肯定したい人は原発と一緒に寝泊まり出来るような方法、妥協点というのでしょうか。

折衷できるポイントを模索しない限り、平行性どころか互い反発する力ばかりが強くなり、結局パワーゲーム(資本力・情報統制力・政治力の強さが問題になる)に成り下がってしまうのではないか、という危惧ではないかと察します。

まったくの読み違いだったら申し訳ないですが、ボクはそんな風に読めました。というかボク自身はそう思っています。


おまけに。


ハンガリーで「ポテチ税」施行、脱メタボと税収アップに期待

課税対象は袋入りスナック菓子、クッキー、炭酸飲料、栄養ドリンクなど


当初の法案策定段階で課税対象とされていたハンガリーの伝統食品であるソーセージやサラミ、ラード(豚脂)製品などは、最終的に課税対象から外れた




笑った(笑)


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