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土の上にも三年

農への道

前記事の落ち葉拾い(某さんの苦悩)

2013-08-11 02:09:22 | どうでも日記(雑記系)
落ち葉が多すぎて新しい内容で書いたほうが良さそうな(苦笑)


某さんは、他人と信頼関係を結ぶことの意味がわかっていないようだ。仲良しクラブという表現を悪しきクラブであると認識して使用しているような発言が多い。この点が、他人と信頼関係に至ったことの無いことを一番顕著に表している。

たぶん本人は信頼関係を結んだ経験を意識化出来るだろう。結婚とか一緒に飲みに行ったとか一緒に困難な仕事を遂行したとか。ただそれは、信頼関係と呼ぶにはあまりに薄弱な根拠だ。結婚したからといって必ずしも信頼関係を結べたとは限らない。飲みに行くのも仕事におけるパートナーシップも然り。

某さんの発言である仲良しクラブとはどんなクラブだろうか。


会話であろうと議論であろうと、思ったことを思ったように言い合えるのは素晴らしいことだ。言い合った上で、関係が上手く続いていくのならとても素晴らしい信頼関係を構築していると言えるだろう。本質的な意味における仲良しクラブというのは、こうした関係を構築するための前段階を指す。前記事の心理カウンセラーが書いていることはそういうことだ。

子供の頃に、自分のおもちゃを貸せない時というのを、多くの人は体験したかもしれない。けれど仲良くなっていく過程で、段々と自分のおもちゃを貸せるようになる。おもちゃを貸せば、相手のおもちゃも貸してもらえる、という経験を通して、こうしたギブ・アンド・テイクの関係を学んでいく。

貸したおもちゃが壊されてしまうこともある。自分が相手のおもちゃを壊してしまうこともある。許しあえるのは、その場という社会を円滑に生きる手段でもある。自分が相手のおもちゃを壊してしまった時に、いきなりその場から抹消されてしまっては困る。ましてやそんな程度で法律的にジャッジしよう、なんて真っ平御免だ。ある程度のことは許せる裁量を学んでいくことが、日本社会ではとても大事。文化に近い。

(許しすぎちゃう文化が弊害だと言う考え方もあるけど触れない。文化は長い世代をかけて変化するものだろう。)

子供にしてみたら理不尽だろう。大事なおもちゃを壊されても許さなきゃならないし、壊されるかもしれない大事なおもちゃを貸さなきゃいけない。そうしなければ村社会的な文化では生きていけないことを学ばされる。嫌だと言おうと、この村社会に生まれたのだから仕方ないわけだ。(再度書くけど、こうした文化は長い時間をかけた世代の交代で変化していく。)

信頼関係を構築するための前段階としての、上記のようなギブ・アンド・テイクが日本社会における健全な仲良しクラブだとしよう(健全かどうかは個々の判断だろうけど)。大人はもっと複雑な仲良しクラブを構築していく。けれど原点はおもちゃの貸し借りだ。

某さんの言う仲良しクラブとは、こういう関係ではない集団を指すのだろう。


仲良くするのは、何も自分を全て犠牲にすることではないし、相手を支配することでもないと思うんだよね。どうしてこんなことすら分からないのかが分からない。でも分からないんだから仕方ない、分からない人の考えをなるべく理解して(批判して)いこう。


某さんの言う仲良しクラブとは、どうも意見を言い合えない(≒おもちゃを貸し合えない)馴れ合いクラブを指すようだ。おもちゃの例でいうなら、おもちゃを貸し合えないけどその場にいる非利害関係と言ったところか。それを仲良しクラブと呼んでいる。だからおもちゃを貸せ貸せ言うわけだ。

そりゃおもちゃを貸し合えない子供同士が、同じ学び舎に席を隣として数年も一緒に過ごしていたら、ちょっと不気味かもしれない。貸し借りをしろといってるんじゃなくて、その精神性がね。自分のものを他人に与えるという行為は、動物も持っているスキンシップの一つだ。ギブ・アンド・テイクの関係を、スキンシップ(や、準じるコミュニケーション)を通して学んでいく。そして次元が高くなっていき信頼関係が構築されていく。

つまり最初にスキンシップがあって、ギブ・アンド・テイクの関係を学び、ギブ・アンド・テイクの関係から信頼関係が生まれる。スキンシップすらしたことのない相手に、いきなり信頼関係を迫られてもパンツは脱げないわな。

信頼関係の無い状態で意見のやり取りをしたって、組織運営には害悪にしかならない。もしかしたら上手く運営出来るトップがいれば害悪にはならないかもしれないけど、うちの会社の場合は害悪にしかなっていない(いなかった、とようやく遠慮しながら言えそうになってきたけど)。

てめー!この前もこれこれこう言ったのに直ってねぇじゃねぇか!うるせぃ!お前だって同じだろう!なんだと!表にでろ!

俺が入社してから数年間、もちろん俺の入社前もずっと、結構これに近いものがあった(笑)いや笑えない・・・みんなの前で、風通しを良くしよう、と主張したものの、嫌なら辞めれば良いじゃん、とか言われたし。いやー懐かしい。

でまぁ、信頼関係の構築をしたことが無い人達の集まりだったこの会社にTさんが入社して、この会社に足りないのは最初の段階のスキンシップだ、というところからスタートして、ようやっと今に至った。俺がそこに乗っかり、他の人も少しずつ乗っかり、ちょっとずつ信頼関係が構築されている。それを某さんは、意見の言い合えない不健全な状態だと評価する。


ぱっと見はそうとも言える。だって信頼関係が無い(無かった)のだから議論をあえておざなりにしているし、幼稚園から小学校に入学して中学高校大学と経験しながら大人になっていく過程を、この会社の中でリトレースするわけで、幼稚園児は議論するよりもスキンシップから始めましょう、という、超低レベルなことをやってるのは事実だもん。端的に言えば、君等にまだ議論は早い、という結構酷な事実を突き付けているとも言える。仲良しクラブどころか、超スパルタクラブなんだけどね。

こう見てくると、某さんはスキンシップに餓えているのかもしれないな。餓え過ぎると食事どころか水すら飲むことが出来なくなるっていうじゃない。俺は餓えてるんだ!何かよこせ!と言っている。でも、周囲がいくら与えても飲み込めないから餓えも遠ざからない。エンドレスの飢餓状態。深刻だな。

まずは入院治療で生理食塩液の点滴をしなければならないのかも。どんな方法があるだろうか・・・

思い浮かばないので考えるのは止めよう。本人は傷つくかもしれないけど、心理カウンセリングを受けてみるのも良い気がする。言いたいことを言いたいのならどうぞ、という場を提供しても、いいように解釈されてしまうからここでは言えない、って言う。病的だ。


彼の言いたいことは、彼にとっての悪者を作りたい、ということ。ようは支配できる誰かをよこせってこと。おもちゃを略奪しても問題ないくらい悪い評価の人間を欲している。

一連の記事と併せて考察すると、彼の守備範囲の中では、彼の取れるボールは遠慮して彼にそれとなく取らせ、彼の取れないボールは取って彼をそれとなく守ってあげ、守備範囲外では彼のプレイを映えさせるクズを用意し、ぶん殴っても略奪しても誰もが仕方ないよね、といえるような人が欲しいのだろう。彼の野球部時代が目に浮かぶようだ。

あまり悪く言うつもりもない。とうの数年前に気付いていたことだったし。気付いたから、おかしいよそれ、って言ったわけで、そしたら辞めさせることも出来るよ、っていうパワハラ発言をした。そんなことに負ける俺ではなかったのが彼の誤算。あの時に俺を辞めさせていれば、もしかしたら彼はもっと楽な人生を歩めていたかもしれない。これもまた事実だろう。

俺は俺として、淡々と俺のやりたいことをやっていく。もとい、やりたいことなんてなかなか出来ない状態だから(最近はちょっと出来るようになってきたし、出来ないながらも、やっても叱られない程度のやりたいことはやってきた)、やれることをやりたいことと重ねてやっていく。最後は蛇足になったけど、この記事では仲良しクラブについて書いてみた。

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