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土の上にも三年

農への道

時は何を解決するか

2013-07-19 00:52:33 | どうでも日記(雑記系)
漠然と、時が解決するものの偉大さ、なんていう言葉を使う。でも時は何を解決してくれるのだろうか。

思うに、時がただ経過するだけでは何も解決されないし、解決しない。時とともに変化するものが、何かを解決させたり解決したりする可能性を持っているのだろう。

つまりこの可能性こそが時による解決。魔法のように時間の経過で何かが解決するわけではなく、未来という不確定なものに委ねることが大切だと言うこと。

もし未来が確定的であるなら、現時点で解決する問題と解決しない問題が確定していることになる。解決しないこともあるからこそ解決することもある。どちらか選択することはどうやっても出来ないのだから、委ねる意味がある。

なんだ、解決しないこともあるんじゃん。てね。ご安心を、そんな時のために、寿命とその先についての考察があるわけです。自分の生の中だけでの解決を望むのはいけないよ。


とまぁ書いてみたものの、そんなことは分かっているよ、って思ったりもする。もうちょっとこう、日々の糧になるような解釈が欲しいところ。

思うに第二段(笑)、時の経過には何かに触れる機会が含まれる。何にも触れない状態で時間だけが過ぎても変化はないのかもしれない。厳密には変化しないものは無いはずなので、解決することもあるのだろうけど、機会は大きく損なわれる気がする。

何の機会?触れる機会。何に触れる機会?とにかく何でも。なぜ何かに触れないとならない?別に触れなくても良いけど、触れると情報伝達が行われるのですよ。

イヤなものに触れればイヤなものに触れたなりに、好きなものに触れたなら好きなものに触れたなりに、何かが伝達される。何が伝達されるのか。多くの人やものの価値観だろうか。


人は死ぬとどうなるのか?消える、という答えは一つの答えだろう。でもそれは当たり前な答えのような気がしてつまらない。

人は死ぬと拡散していく。時と空間を超えていく。誰かの心には、その誰かが大切にしている故人の言葉や思いが詰まっている。死んでも消えて無くなるわけではなく、肉体から解放されて拡散していく。

拡散したものは、濃淡を持ちながら拡散する。誰かの心には濃く留まるだろう。また誰かの心には薄く留まるだろう。もしかしたら通過するだけかもしれない。

そうして、拡散されたものは、別の誰かの死による拡散とも重なる。それは現世を生きている人を媒介して、現世に影響を与える。それが伝達されるのだ。


もしかしたら、それは本かもしれない。音楽かもしれない。誰かの植えた花かもしれない。誰かが吐いた空気かもしれない。あまり無機的なものまで含むとオカルトちっくになるな。

まぁとりあえず、時はそれらに触れる機会をくれる。新しい見地、といえば無味乾燥的かもしれない。けれど、自分に足りないものがあるから、その問題は自分にとって問題なわけで、自分に足りないものを無から生み出すことが不可能なのは、有が有からしか生まれないことから考えればしっくりきそうだ。

だから新しい見地を生み出すには、いや、新しい見地が生み出されるのは、時の与えてくれる、多くの何かに触れる機会を経た先にしかない。


もしいま問題があって頭を抱えたり心を傷めたりしているのなら、その問題から離れよう。そして多くのものに触れてみよう。自分では解決できない方法を、それらは与えてくれる。そしてそれらは、前述した「出会うべき人とは必ず出会う。ただ寿命が先に尽きるだけで。」というもの正にそのものだ。

あなたは出会う。出会うべくしていながら、寿命が先に尽きてしまった誰かと。あなたは出会う。出会うべくしていながら、先に寿命が尽きてしまっても。その誰かは、あなたが解決した問題を解決できずに苦しんでいる。

きっと時は解決してくれる。あなたがその道を歩んでいけば。

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