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沖縄旅行 沖縄戦 - 戦後 嘉数

2007年10月29日 19時34分08秒 | その他の地域
嘉数高台公園 

嘉数高地は、第2次世界大戦中に作戦名称第70高地と命名され、
藤岡中将の率いる第62師団独立混成旅団、第13大隊原大佐の陣頭指揮で、
約千人の将兵と約千人の防衛隊で編成された精鋭部と、
作戦上自然の要塞の上に堅固な陣地構築がなされたため16日間も一進一退の死闘が展開されたが、
ついに日本軍は矢尽き刃折れ後退したが、
しかし米軍にとっては『死の罠』「いまわしい丘」だと恐れられた程に両軍ともに多くの尊い人命を失った激戦地である。
この嘉数高地70高地は、旧日露戦争の203高地の値する第2次世界大戦の歴史の上に永代に残る戦跡である。

嘉数高台戦跡概要の看板より



参照
嘉数の戦い フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



普天間飛行場(普天間基地)

嘉数高台から見渡すことができ、
沖縄を訪れた閣僚・国会議員などが視察する際にここが使われることが多いようです。

基地は宜野湾市の面積(19.5Km2)の約25%を占めています。
周辺は沖縄国際大学などの文教施設も多い市街地があり、
ラムズフェルト国防長官が普天間飛行場を上空から見て
「こんなところで事故が起きないほうが不思議だ。」
と語るほど密接しています。

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