あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

料理の言葉遣い 「・・・して行きます」「ま~す」

2015-11-17 12:53:14 | 言葉について
ある日のNHKの料理番組の講師の言葉遣い
管理栄養士の◯◯◯◯さん、だそうですが、
言葉遣いに引っかかります

  これを短冊に切って「行きま~す」
   
  それを煮て「行きま~す」
  こちらの材料は、炒めて「行きま~す」

最近これら料理解説の言葉遣いが非常に気にかかるようになりました
違和感があるのです
何故「切ります」、「煮ます」、「炒めます」
ではいけないのでしょうか?
しかも「切って行きま~す」炒めて行きま~す」「煮て行きま~す」
と、末尾を異様に歌うように伸ばして話すのです

何だかバカにされているような
幼児扱いされているような気にもなってきます
「優しい」ことと「馴れ馴れしい」事は違います
妙な言葉遣いが氾濫すると共に
人の感性までが壊されて行くような気がします
あるいは、感性が壊れてきているから
こんな言葉遣いをするようになる・こんな言葉遣いが気にならない
そうかも知れません
鶏と卵のどちらかはわかりませんが
イライラすることの一つに、こんな妙な言葉遣いがあります

そんな思いのある日、昔の料理のビデオが放送されました
美しい言葉遣いがそこにはありました
決して「切って行きま~す」とは言いいません
ただの「切ります」でした
しかも、大きな違いは
講師の先生の目線が、相手の立場に立って話されていると感じること
優しい心遣いと共に、礼節(礼儀と節度)が保たれた態度と言葉遣いでした

※ 礼節という言葉を調べてみました 
(他のサイトからの引用です 仏教関係みたいです)
----------------------------------------------
日本には昔から「礼儀」と「節度」を重んじた
「礼節」という言葉があります。

「礼儀」はお互いの命を敬いあう「爽やかな人権感覚」です。
そして「節度」とは、行き過ぎないバランス感覚、仏教でい
う「中道の感覚」です。

そしてこの「節度」とは、
自分の自我や感情を抑止することでもあります。

油断したり、流されていくと
どこまでも暴走していくのが、この自我と感情です。

常に自分の心の中に仏様から預かっている
良心、仏の心を意識しましょう。

そしてこの仏の心に沿った判断をしていくように
努力していきましょう。
心が暴走しそうになったとき、
「この心の状態で自分も相手も周りも幸せになれるだろうか?」
と問い聞いていきましょう。

こういうことを意識して生きている姿勢を
「節度」ある態度と言います。

「礼節」、
人間として生きる上で
また人とよりよく接するためにも、
決して忘れてはならない心がまえですね。
---------------------------------------------------
なるほど・・・

>そしてこの「節度」とは、
自分の自我や感情を抑止することでもあります。

昔の講師の人には、自分が自分がという思いよりも
相手の側に立った物言いがあったのかもしれません
今の人は「自我」が強過ぎて、いつも自分の事が中心で
相手を思う心が少々欠落しているのかも

「これを切って行きま~す」、
と言われた側の心を考えたことがあるのでしょうか?
はぁ・・・?という思いになります
こちらは幼稚園の生徒の幼児扱いなのかいな?と
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 最近気になるテレビカメラの... | トップ | 「比叡おろし」 小林啓子 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

言葉について」カテゴリの最新記事