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綱敷天神社 禰宜日誌

大阪梅田の綱敷天神社のご案内ブログです

石玉垣建立事業 第二期分 竣工奉祝祭

2023年03月25日 | 日記

本日、神山町の当宮御本社東面にて進めておりました、石玉垣建立事業の第二期分、無事竣工を迎えました。


この事業は平成30年(2018)の台風で、御本社本殿屋根、稲荷社屋根、社務所各所などに被害が発生し、その修繕費用の寄進を目的として募財活動が企図され、おりしも平成から令和の御代替わりの節目でもあった事から、今上陛下の御即位記念事業として進めていく事となりました。


そしてその寄進者の赤誠の真心を顕彰するものとして、石玉垣に寄進者のお名前を石刻し建立する事となり、令和元年(2019)から当宮社頭を中心に募財活動を開始しました。


しかしコロナ禍により、当初令和2年(2020)春に竣工を迎えるはずが、1年8ヶ月もの間、工事は中断。コロナ禍が少しく収まってきた令和3年(2021)が、ちょうど当宮主祭神の嵯峨天皇さまが梅田に行幸になられて1200年の慶節であった事から、その年の11月10日に一旦、第一期分として竣工を迎えましたが、一部の石玉垣がまだ無名で残ったままとなっておりました。


その後、残った石玉垣を第二期分として、引き続き寄進を社頭案内などでお呼びかけしておりましたが、令和4年(2022)にウクライナとロシアの戦争が勃発し、全てのものが値上がりするという状況となった事から、社会情勢の見通しも厳しくなり、ますます寄進をお願いするに忍びない状況となってしまいました。

当宮としても、これは長期間にわたる事業となるものと覚悟しておりましたが、しかしながら、そのような状況にも関わらず、その後、当宮氏子崇敬者の皆様からお支え申し上げたいというお申し出を、お一人、またお一人と頂き、無事残柱分すべてのお名前が埋まり、


そして本日、令和5年3月25日に石玉垣建立事業 第二期分の竣工奉祝祭を迎える事が出来ました。

天気予報では先週の段階では大雨となっておりましたので、覚悟しておりましたが、本日を迎えてみれば、穏やかに晴れわたり、また桜の花も満開となっておりました。実は日本で一番最初に桜のお花見をされたのは、記録上では当宮主祭神の嵯峨天皇さまが最初といわれており、まるで大神さまが本日の事を言祝いでおられるかのようでした。


また今日、3月25日は同じく主祭神の菅原道眞公ともゆかり深き日であり、旧暦の2月25日が道眞公が薨去された日といわれており、今の暦に合わせると、ちょうど今頃であり、当宮では古くは「菜種御供」という神事を行う日でありました。それに因み、本日の御神饌には菜の花を添えて奉仕申し上げました。

こうした当宮主祭神の御二柱にゆかり深き日に、竣工奉祝祭を迎える事が出来ました事、きっと大神さまのお引き合わせと感じる思いでした。

鎌倉時代の『御成敗式目』の第一条には「神は人の敬により威を増し、人は神の徳により運を添う」とあります通り、美々しく建ち揃いました石玉垣は、大神さまの御稜威を更に増し、氏子崇敬者皆様への御運へと繋がる事でしょう。

またこれを持ちまして、準備から数えますと平成30年から進めて参りました玉垣建立事業の全てを事終える事が出来ました。 第一期分も含めまして、御奉賛頂きました皆様のお名前の石玉垣は永く当宮に建ち続け、きっと後世に、コロナ禍という厳しき時代にお宮を支えた人々として讃えられる事と思う次第です。

この度の石玉垣建立事業に御奉賛を頂きました皆様には、大変厳しき世情の中、御奉賛の誠をお捧げ頂き、また本日ご多忙の中、竣工奉祝祭にご参列を頂きありがとうございました。

 








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令和5年の「梅花祭」と「菜種守」の授与開始のお知らせ

2023年02月25日 | 日記

本日2月25日は当宮の御祭神 菅原道眞公が天神さまになられた日といわれております。道眞公は生涯を通じて梅の花を大変愛されておられましたので、その故事により今日の神事は梅花祭(ばいかさい)と呼ばれております。

茶屋町の当宮御旅社の紅梅は、道眞公が綱を敷いてご賞翫あそばされた天神信仰の霊木として古今遠近に知られ、梅田の梅の字の由来にもなったといわれています。

しかし、近隣に高層建築が増えた事で年々日当たりも悪くなってきている事や、夏の高温で根が弱ってしまう上、ここ数年ミノムシの被害で花芽を食べられる被害が続いており、枝によっては花芽が無い枝もありますが、何とか今年も春の魁の色を見せてくれました。

また、本日2月25日から4月上旬までの限定で、イライラ封じの御守である菜種守(なだねまもり)の授与の方も、茶屋町の御旅社で開始いたします。

この御守は菜の花が咲いている時期限定で、茶屋町の御旅社でのみ授与致します。(基本的に土日13~17時であれば確実にお受け頂けます。平日は留守がちです)

コロナ禍や物価高でイライラのつのる昨今。春の和らぎの如く、穏やかな心もちになりますよう、祈念致し授与申し上げる次第です。

●菜種守の授与についてのご案内●
初穂料:700円
昨今、社務多忙の為、平日は留守がちでございますが、
土日の13:00~17:00であれば概ね授与所に神職か巫女が詰めております。
(2月25日は午前中、神事の為ご対応出来ませんが13~17時は授与可能です)
※菜種守は茶屋町の御旅社限定の御守ですので、御本社では授与しておりません。

●菜種守について●
茶屋町はかつて一面の菜の花畑で、俳人の与謝蕪村が「菜の花や月は東に日は西に」と詠むほどに菜の花の名所でした。
また当宮の御祭神、菅原道真公も菜の花にはご縁があり、道眞公が天神さまとなられた後、京都では落雷や災害が続き、天神さまの祟りと恐れられましたが、道真公の御命日である旧暦2月25日頃に咲く菜の花の風情に、天神さまの荒ぶる御心が年を重ねるごとに次第に宥ね(菜種)られて、学徳の神さまと成られたという信仰があり、この菜種守はそういったトゲトゲしい心を宥ね、開運を祈念する御守です。
御守の中には御神符と共に、茶屋町産の菜種が封入されております。かつて梅田で菜種を栽培していた頃は、その出来の良し悪しを鞘を振って確かめ、その音が良ければ笑顔になったという言い伝えもあり、この菜種守もそういった故事に倣い、菜種の音が鳴るようになっています。
また御守袋の織り柄が近世までの梅田の風景になっており、まさに梅田・茶屋町ならではの御守です。



 


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令和5年(2023)1月15日 とんど祭のご案内

2023年01月13日 | 日記

謹みて新年の御祝詞を申し上げます。 今年も氏子崇敬者皆々様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

さて、来る1月15日 神山町の御本社において、古しめ縄、古い御神札、御守などのお焚き上げ行事である「とんど祭」をご斎行申し上げます。


 ◯日時:1月15日 08:00~10:00(受付ご対応の時間)
     (小雨程度であれば斎行します)

 ◯場所:大阪市北区神山町9-11 綱敷天神社 御本社 境内


※ 事前に持ち込まれる方へのお願い ※
しめ縄を外すのは15日当日の朝というのが本義ですが、会社の休業日などの都合で事前にお持ち込みになられる方もおられます。そうした方の為に、当宮では、御本社、御旅社ともに、古しめ縄をお納めいただく為の箱を境内に置いてございます。こちらにお納め頂きましたら、15日当日お焚き上げさせて頂きます。なお、必ず、しめ縄から「ダイダイ」「ミカン」などは取り外していただくようお願いいたします。お焚き上げ出来ないものについては下記「お焚き上げ出来るもの、出来ないものについて」をご参照下さい。


※ 御旅社(茶屋町)での受付締め切りについて ※
茶屋町の御旅社では火炉が設けられませんので、例年、古しめ縄などは取り纏めてトラックで御本社に運んでおります。トラックでの運搬は1月15日の午前8時の予定ですので、御旅社にお持ち寄りの場合は、 午前8時までにお持ち寄り下さい。
それ以降は御本社に直接お持ち寄り下さい。(8時以降に御旅社にお持ち寄りの場合は有料となる場合があります)

 

【お焚き上げ出来るもの、出来ないものについて】

 ◯お焚き上げ出来るもの
  ・しめ縄(ダイダイ、ミカンは外して)
  ・古い御神札、御守
  ・可燃の縁起物(福笹、熊出)
  ・木製の神具品

このお焚き上げの忌み火でもって、年神さまにお帰り頂くという信仰から、上り調子の午前中にお焚き上げするのが吉例とされます。ですので午前中にお持ち寄り頂きますようお願い申し上げます。(午前8時~10時までは受付の者がおります。午後からはお受付致しておりません)

 

 ◯お焚き上げできないもの
 !!下記のものはお受付しておりません!!

   ☓ 他宗教のもの(仏教、キリスト教など)
   ☓ おモチ (パックのおモチも)
   ☓ ダイダイ、ミカン
   ☓ 串柿
   ☓ 陶器類
   ☓ 金属類、銅像
   ☓ ガラス類
   ☓ ビニール製品
   ☓ 書籍、分厚い紙
   ☓ 樹脂類
   ☓ 財布、写真、ぬいぐるみ等、個人的なもの

おモチや串柿などは、強いて申し上げれば年神さまにお供えした御饌のお下がりです。ご自宅でお召し上がり頂くのが本義でございます。(お餅は砕いて揚げれば「おかき」になります。ダイダイは半分に切り、洗濯ネットなどに入れて、湯船につけて、ダイダイ風呂としてお楽しみになられるのも良いでしょう)


【諸注意】

近年多く見られるのですが、とんど祭にしめ縄をお持ち寄りになられて、受付の者にポンと放り投げるように渡して、そのまま帰られる方がおられます。(特に会社員と思われるスーツ姿の方に顕著です) 
また、財布や、思い出の写真などを大量に持ち込まれる方も近年多く見受けられます。
とんど祭は神様の御稜威の籠もったものを、天にお返しする神事でありますので、ゴミ焼却ではありません。日本人であるならば、まず御神前に参拝し、しかる後、受付の方に丁寧にお渡しして、神火炉にしめ縄をご投入頂くのが最低限の礼儀です。そうした行いの一つ一つを大切にしましょう。

当宮のとんど祭は、昔からのご縁で無償のご奉仕を頂いている方々や、周辺氏子皆様のご理解のお陰で何とか維持いたしております。そういった方々のご負担を増やさぬよう、何卒、ご協力頂きますようお願い申し上げます。

なお、とんど祭終了後に、古しめ縄などをお持ち寄りになられる場合は、有料となる場合がございます。また、とんど祭のお焚き上げをしている神火炉は15日以降は冷却期間を置く必要がありますので、追加で古しめ縄などを投入する事は絶対にやめて下さい。


古くから梅田で続く「とんど祭」を今後も伝え残していく為にも、皆様のご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。


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令和4年 新嘗祭

2022年11月23日 | 日記

本日11月23日は、日本全体の収穫感謝の祭礼である「新嘗祭(にいなめさい)」が宮中はじめ全国の神社で斎行されます。

新嘗祭そのものの起源は大変に古く、最古の物語である『古事記』にも既に見られるほど、神代の時代から続けられている神事です。

神事では、その年に収穫されたお米を中心に、様々な食べ物が神々にお供えされ、五穀豊穣と国家国民の安寧を祈ります。 多くの神社では23日の午前中に神事が行われますが、宮中においては、天皇陛下御自ら、23日18時からの「夕(よい)の儀」と、23時からの「暁(あかつき)の儀」と、二度に分けて執り行われ、それぞれ2時間超の長い神事が行われます。 天皇陛下御自らそれほどに深い祈りを捧げられる事から、宮中においても最も厳粛に執り行われる神事の一つです。

ちなみに、天皇陛下による新嘗祭の神事が納められましてから、新米は頂くものとされており、明日24日の朝ごはんから新米を食すのが習わしとされています。(ただし、現今では9月頃から新米が出回るようになっていますので、あくまでも古式の習いとお捉え下さい)

またこの宮中の新嘗祭では、白酒(しろき)、黒酒(くろき)という特別なお酒も献られます。 一般の神社でお供えされる事は稀なのですが、伊勢国に鎮座します久居八幡宮の禰宜さまより、ご厚意で本年も黒酒を奉製する為に必要な、伊勢国の久佐木の灰をお頒かち頂きまして、当宮でも黒酒を奉製しお供えさせて頂いております。久居八幡宮の禰宜さま、ありがとうございました。

また本年は、崇敬者の方より、果物のお供えも頂きまして、併せて御神前に御供えさせて頂きました。Iさま、ありがとうございました。

御神饌につきましては新嘗祭をお納めした後、すぐに撤下しておりますので、ご覧いただく事は出来ませんが、どうぞ皆様のご自宅でも、「いただきます」「ごちそうさま」の心をどうか大切に、秋の実りへの感謝を捧げる日となられます事、お祈り申し上げております。



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源融公ご生誕1200年

2022年08月25日 | 日記
今日、8月25日は当宮を創建された、源融(みなもとのとおる)公が薨去された日で、
そして本年は源融公のご生誕から1200年の年でもあります。
(源融公の生年については、史料によってまちまちで、ハッキリとはしていませんが、記録として古い部類である『日本紀略』をもとに計算すると、弘仁十三年(822)のお生まれとなり、この記事ではそれを元としております)

源融公は、嵯峨天皇さまの第12皇子(史料によっては17皇子とも)で、承和五年(838)に腹違いの兄にあたる仁明天皇の養子となられ親王として元服。恐らくその時に臣籍降下され、「源氏」の姓を与えられたとみられています。 嵯峨天皇さまの系譜による源氏なので、源融公の系統は「嵯峨源氏」ともよばれ、全国の渡辺さんのご先祖にあたります。
 
平安初期の貴公子として知られ、自邸の河原院は四町四方あったといわれ、今の京都の五条大橋の西南の一角に巨大な邸宅を構えられていました。
当時はこのあたりを六条といいましたので、後に書かれた『源氏物語』の主人公、光源氏の邸宅である六条院はこれをモデルにしたと考えられおり、源融公は光源氏の有力モデルであると考えられています。
 
また源融公が遥任していた、陸奥出羽按察使に由縁してか、自邸の庭を宮城県の塩竈市の風景を模して作庭され、その塩竈で行われる藻塩焼きという製塩風景を取り込むべく、庭内に製塩の為の竈を造り、難波の海(現在の尼崎市琴浦町付近か)から毎月30石(約5トン)の海水を運ばせ、塩焼きの風雅を楽しんだといわれています。 
また、この庭はそれまで中国式の庭園が多かった中、日本の景色を取り込んだという点で、日本庭園のルーツの一つともいわれています。
 
また、百人一首の14番「河原院左大臣」は源融公の事で、陸奥の「陸奥の しのぶもぢすり誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに」という歌も名歌として歌い継がれていおり、他にも古今和歌集、後撰和歌集にも採録されています。
源融公は多くの別邸も営まれており、別邸1つである栖霞観は、現在の嵯峨釈迦堂清凉寺で、宇治に営んだ別邸が現在の平等院となったといわれています。
 
このように、現代にもかなり大きな影響を残しておられる方である事から、平安時代当初からも伝説の貴族のように捉えられており、仙人になりそこねた人であるとか、宇多天皇に奨めた露蜂の話、自邸の河原院にちなむ説話など数多く残されています。
 
長くなりましたが、そんな源融公が、お生まれになった1200年前、梅田に嵯峨天皇さまが行幸され、その前年に開創された弘法大師空海のお寺にお参りになられ、その夜は、現在の当宮御本社の鎮座する神山に建てられた頓宮に宿泊になられました。
 
恐らくですが、ご自身が生まれた年に嵯峨天皇さまが行幸された地である梅田に、ご自身の由縁というものを強くお感じになられたのか、嵯峨天皇さまが崩御された翌年の承和十年(843)、空海のお寺を八町四方に規模拡大し、七堂伽藍を興しました。これが現在の太融寺です。 また御父、嵯峨天皇さまの御神霊をお祀りする為、当宮を創建したというのは、当宮の由緒の通りです。
 
その源融公のご生誕1200年の今年は特別な年ともいえ、本日、当宮におきましては、藻塩の故事に由来して、御神前に塩竈の藻塩をお供えし、祝詞奏上申し上げました。
 

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令和4年(2022) 遣梅式

2022年07月28日 | 日記

ご報告が遅くなってしまいましたが、過ぐる7月24日、大阪天満宮の天神祭に際し、当宮御旅社の梅ケ枝を遣わす「遣梅式」の儀、本年も滞りなくお納め申し上げました。コロナ禍の為、本年も略儀にて執り行われましたが、梅ケ枝の方、無事にお授け致しました。略儀とはいえ3年ぶりとなる陸渡御、船渡御含む天神祭の方も、無事お納めされたとの事で、嬉しい思いでございました。

 


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禰宜日誌 teacup AutoPageブログから お引越し

2022年07月15日 | 日記

平成17年(2005)2月25日から運用して参りました、

綱敷天神社の神職が発信する「禰宜日誌」ブログですが、

運用元のGMOメディア株式会社さまご提供のteacupサービスのブログサービス

「AutoPageブログ」が、本年8月1日13時に終了される事となり、

この度、令和4年(2022)7月15日に「goo blog」にお引越し致しました。

 

ブログサービスの運用は近年難しくなっている中、

受け入れて頂ける先があった事は本当に有り難い事でした。

Twitterなどで書ききれない情報は今後ともこちらで発信して参りたいと思います。

どうぞ引き続き宜しくお願い致します。


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