令和7年(2025)7月24日。本年も茶屋町の綱敷天神社 御旅社にて、遣梅式(けんばいしき)の御儀滞りなくお納め申し上げました。
この神事は、大阪天満宮の天神祭と、当宮との間で行われる特殊神事です。
天神祭とは、日本三大祭りの一つに数えられ、大阪天満宮にお祀りされている天神さまの御神霊が、鳳輦やお神輿に遷られ、氏子崇敬者皆さんで賑やかに陸渡御、船渡御という渡御列を組んで、氏地を巡行される祭礼です。
その中で最も重要な神事が「神霊移御の儀」という神事で、本殿から鳳輦という神さまの乗り物まで、天神さまの御神霊をお遷しする儀式です。
この際に、天神さまの依代として用いられるのが、梅ケ枝(梅の瑞枝とも)で、その枝に天神さまの御神霊が宿られ、本殿から鳳輦まで乗り移られます。
その梅ケ枝は、実は当宮御旅社の紅梅の枝を用いるのが習わしとなっています。
当宮の紅梅は由緒によれば、天神さまこと菅原道真公が、無実の罪で京都から大宰府へと左遷される途次、ここ梅田で満開に咲いていた紅梅に目を留められ、それを一時見ていかれたいと立ち寄られ、その際に即席の座席として、船と陸を繋ぐ「とも綱」を円く円座状にして敷いた事から当宮の社号「綱敷」の名もあります。 そして道真公のご覧になられた紅梅は後に「梅塚」という名前となり、当宮関係者が代々大切に守り伝えて来ました。
一説には、この梅は梅田の梅の字の由来にもなったといわれ、古くは古墳時代の仁徳天皇さまの御代に讃えられた「難波津に咲くやこの花」の梅も当宮の梅といわれており、天神さまの所縁の梅である事はもちろん、大阪の歴史においても、また和歌の歴史においても非常に重要な梅です。
そうした霊験あらたかなる梅である事から、天神祭において御神霊にお遷り頂くのに相応しい梅として、古くから大阪天満宮より神霊移御の儀に使わさせて頂きたいとの申し出を受けて、当宮が授与して参りました。
神事自体の歴史も古く、江戸時代まで行われていたようですが、幕末の動乱で神事が行えなくなった事から途絶し、戦災などで史料類の多くも焼失、そのまま140年あまりが経過していましたが、平成22年(2010)に当宮と大阪天満宮との両神社で史料が発見された事から、古儀復興の気運が高まり、コロナ禍による中止などもありましたが、今回で古儀復興から15回目となります。 なお遣梅式(けんばいしき)の名は古儀復興時に考案され、梅の枝を遣わす神事という意味です。
本年も、西天満小学校に通う児童の中から選ばれた神童さんが、恭しく当宮に参拝の上、しっかりと梅ケ枝を拝受致しました。
明日25日は天神祭の本宮です。 大阪天満宮におかれては、陸渡御、船渡御、そして花火と、これから最高潮を迎えますが、神童の持つ梅ヶ枝にもぜひご注目下さい。
茶屋町の当宮御旅社にて本年も滞りなく七夕祭を斎行致しました。
本年はお天気に大変恵まれ、両日ともよく晴れわたりましたので、笹の葉もさらさらと風が通り、氏子崇敬者皆様の技芸上達、身体健康はもとより、ご参拝者皆様の諸願成就を祈念しての佳き七夕の夜となりました。
その本年は、令和7年7月7日と、吉数の7が三つ揃いの年であり、この吉年に、初めて七夕限定の御朱印を、茶屋町の御旅社で授与致しました。
天神様の御歌に、お星さまキラキラの歌の如く金銀・碧箔と3色の箔押しを添えた綺羅びやかな御朱印となっており、来年も7月6,7日の両日授与の予定です。
令和7年、本年も無事に、当宮末社である歯神社の例祭(歯神祭)、滞りなくお納め申し上げました。
本年は平日水曜日でありましたが、多くの皆様がご参列になられ、10時30分からの歯ブラシ整理券の配布時には行列が出来るなど、例年に無い賑いようでございました。
今年は当地大阪では大阪・関西万博が開かれており、日本にとりましても大きな節目の年です。そうした節目の年は未来の人々が、その時代、この人は何をしていたのかな?と覗き込んでくる虫眼鏡の年ともいわれます。 そうした年にあたり、未来の人が見るであろう写真や映像に、きれいな歯で笑顔を残す為にも、この機会にぜひ歯の調子を調えて頂き、また健常な方はますます歯磨きにご精進頂いて、未来の人に歯の大切さをしっかりと伝える機会の種となれば、歯の大神さまもまたお喜びになられるのではないかと思う次第です。
また、本年も変わらぬご崇敬をお寄せ頂き、たくさんの歯ブラシをご奉納下さいました、全日本ブラシ工業協同組合さま、株式会社サンギさまには、改めて厚く御礼申し上げる次第です。
どうぞこの一年も、皆様の歯のご健康を祈念申し上げ、ご参列頂きました皆々様にはようこそお参りでございました。
神宮 (通称:伊勢神宮)では20年ごとに、内宮外宮の御正殿をはじめとるす125社殿、御装束、神宝などを新調する式年遷宮というお祭りが執り行われています。
応仁の乱などで一時中断もありましたが、奈良時代より1300年に渡り続けられており、この20年という月日は、掘建式の木造建築の建て替え時期であったり、親から子への技術伝承の時期であったりと、まさに時代の節目である事から、前代のものを今代に同じように作る事で、神代を今に伝え続けているともいえ、「皇家第一の重事、神宮無双の大営」と讃えられるように。日本で最も大切なお祭りです。
その神事は、今年5月2日に、御用材を伐り出すに当たり、御杣山(みそまやま)の山の口に坐す神に伐採と搬出の安全を祈る「山口祭」からはじまり、令和15年(2033)10月に行われる、神様のお引越しにあたる遷御をクライマックスに、令和16年まで続きます。
そして明日、令和7年6月3日(火)には、式年遷宮、前半のクライマックスとも言える「御杣始祭(みそまはじめさい)」が、長野県上松町の国有林で執り行われます。
その様子を三重テレビが生中継で配信されます。
~御杣始祭とは~
御用材を木曾にある御杣山(みそまやま)で正式に伐り始めるお祭りです。最初に「御樋代木(みひしろぎ)」と呼ばれる、御神体をお納めする御器を奉製するための檜を伐採します。御樋代木は山中で左右に並ぶ二本の檜を選び、「三ツ緒伐(みつおぎり)」という古式の作法で伐り倒します。
●●●配信ご案内●●●
日時:6月3日(火) 午前9時30分~(予定)
三重テレビ公式ホームページ、または三重テレビアプリでご覧になられます。
・三重テレビ公式ホームページ https://www.mietv-live.com/
・三重テレビアプリ https://www.mietv.com/application/
・三重テレビ番組紹介 https://www.mietv.com/program/sengu-63/
※三重テレビでは地上波で6月4日にダイジェスト放送もされるようです。
この式年遷宮は、当宮の主祭神、嵯峨天皇さまの御代にも第7回神宮式年遷宮が、菅原道眞公の時代には第11回式年遷宮が行われており、まさに、私たち日本人が連綿と繋いできた大切な大切な神事です。今代、第63回神宮式年遷宮を見事に納めて、次代につなげて行くためにも、日本人ひとりひとりが心を寄せていく。その思いが大切になっていくのではないでしょうか。
ぜひ、明日の「御杣始祭」ご覧下さい。
【日時】
【場所】
【歯ブラシご奉賛】
【備考】
【歯ブラシの無料授与について】
整理券は当日神事前に配付いたします。(午前10時30分頃から。正式には歯神社のXでご案内します)
【その他ご注意】
【お問い合わせ】
最新情報は当宮職員が配信しておりますX(旧ツイッター)でご確認下さい。
5月5日。茶屋町の綱敷天神社御旅社の境内末社、玉姫稲荷神社の例祭にあたり、限定の御朱印を、5月3~5日間に授与数限定で授与致します。
そもそも玉姫稲荷神社(玉姫社)は、女性守護の神様といわれ、梅田に住まう女性、働く女性、縁ある女性方を中心に尊崇され、また芸能上達、良縁、商売繁盛、そして子供たちを疫病からお守り下さる神様として信仰されています。
その例祭日は5月5日で、通称「玉姫祭」ともいわれ、午前11時からの神事に加え、同日には神牛像への花飾りを施す倣いがあり、これは江戸時代に梅田で行われていた「梅田の牛の薮入り」という行事の名残と考えられており、梅田の民俗風習上、重要な神事でもあります。
授与致します御朱印には、社号の揮毫に加え、
大阪を中心に活躍するイラストレーター「舛田善信さん」の手による当宮ゆかりのお花の絵と、
女性に向けた広告で定評のあるグラフィックデザイナーの「釣井裕紀さん」の手による玉をイメージした印面となっており、大変華やかな御朱印です。
期日 5月3日~5日 (3日間のみ) ※6日はありません
時間 午後1時から午後5時まで
場所 大阪市北区茶屋町12番5号 綱敷天神社御旅社内
授与枚数 100枚
5月3日 上限25枚
5月4日 上限25枚
5月5日 上限50枚
初穂料 1枚500円 (書き置きのみ)
注意事項
・御本社、御旅社、歯神社の御朱印も
通常通り授与します(待ち時間発生します)
・5月6日は玉姫社の御朱印の授与はありません。
・授与は先着順です
・事前の取り置きは出来ません
・お一人につき一枚の授与です
・授与は3日間のみです
・転売禁止です
その他
・玉姫社の例祭は5月5日11時からです。ご参列自由です。
・玉姫社、神牛像へのお花のお供えは、花束状のものですと
暑さで萎れますので、小さなアレンジメントなど鉢状のものか、
設置してあります榊立てに差し込む程度のものでお願いします。
今年は残暑が長かった分、12月に入りいきなり寒くなったように感じます。
この年末になりますと、当宮の氏子さんで、神山町の御本社から北へ50mほどのところにあります「新田ふとん店」さまから、毎年、神牛像の為の「紅白の飾り綱」と、「よだれ掛け」をご奉納頂いております。
例年、しめ縄替えの日に、飾り綱と、よだれ掛けを新しいものに付け替えておりますが、今年は寒さが厳しく感じますので、モコモコの新しい飾り綱に、神牛さんもきっとお喜びになられる事と思います。
本年も変わらぬ温かきご篤志、有難う御座います。
本日11月23日は、日本全体の収穫感謝の祭礼である「新嘗祭(にいなめさい)」が宮中はじめ全国の神社で斎行されます。
新嘗祭そのものの起源は大変に古く、最古の物語である『古事記』にも既に見られるほど、神代の時代から続けられている神事です。
神事では、その年に収穫されたお米を中心に、様々な食べ物が神々にお供えされ、五穀豊穣と国家国民の安寧を祈ります。 多くの神社では23日の午前中に神事が行われますが、宮中においては、天皇陛下御自ら、23日18時からの「夕(よい)の儀」と、23時からの「暁(あかつき)の儀」と、二度に分けて執り行われ、それぞれ2時間超の長い神事が行われます。 天皇陛下御自らそれほどに深い祈りを捧げられる事から、宮中においても最も厳粛に執り行われる神事の一つです。
ちなみに、天皇陛下による新嘗祭の神事が納められましてから、新米は頂くものとされており、明日24日の朝ごはんから新米を食すのが習わしとされています。(ただし、現今では9月頃から新米が出回るようになっていますので、あくまでも古式の習いとお捉え下さい)
またこの宮中の新嘗祭では、白酒(しろき)、黒酒(くろき)という特別なお酒も献られます。 一般の神社でお供えされる事は稀なのですが、伊勢国に鎮座します久居八幡宮の禰宜さまより、ご厚意で本年も黒酒を奉製する為に必要な、伊勢国の久佐木の灰をお頒かち頂きまして、当宮でも黒酒を奉製しお供えさせて頂いております。久居八幡宮の禰宜さま、ありがとうございました。
本年は、猛暑と長い残暑の影響で、お米の生育が西日本ではあまり良くなく、大阪では8月に一時的に米不足になりましたが、農家の皆さんのご尽力、流通各社のご尽力のお陰で、この新嘗祭には例年通り新米をお供えする事が出来ました。
当たり前のようですが、当たり前ではない、人知れずの苦労があっての事だと思います。大神さまはそうした人知れずの努力にこそ眼差しを向けるとも申します。今日の新嘗祭の新穀、新酒を大神さまも思い深くいただかれたのではないかと思うところです。
御神饌につきましては新嘗祭をお納めした後、普段であればすぐに撤下しておりますのが、お米の大切さを知って頂く機になればと思い、本日夕方頃まで、茶屋町の綱敷天神社 御旅社の本殿内に、新米、白酒、黒酒を、ご参拝皆様にもご覧いただけるように置いております。ぜひお参りの際はご覧下さい。
どうぞ皆様のご自宅でも、「いただきます」「ごちそうさま」の心をどうか大切に、秋の実りへの感謝を捧げる日となられます事、お祈り申し上げております。
なぜこの日に亥の子餅を食べるのかというと、『古事記』によれば、第15代天皇である、応神天皇さまがお生まれになられた時、異母兄の麛坂王・忍熊王は、幼い応神天皇さまを亡き者にしようと謀り、その前にその企みが成功するか否かの神意を占う為、兎我野(斗賀野(記)・菟餓野(紀))に狩りに出て、良き獲物が穫れたら吉、獲れなかったら凶と定めて狩りをしました。これを「兎我野の誓約(うけい)」といいます。
ところが、その狩りの最中、どこからか怒った赤い猪が出てきて、麛坂王を食い殺してしまい、結果として大凶。後に忍熊王も討ち倒され、応神天皇さまは後年、無事天皇の位に就かれます。
無事に天皇の位に就けたのは兎我野のイノシシのお陰と思われた応神天皇さまは、その神恩を忘れぬ為に、亥の月(旧暦10月)亥の日に、イノシシの形(ウリ坊)に似せた亥の子餅を食べる事を吉例としたといわれ、既に平安時代には年中行事とされ、源氏物語にも登場するなど日本でも有数の古い歴史をもつ和菓子です。
実際には応神天皇さまの説話と亥の子餅との関係を記録した書物は悠遠の時代であった為か残っていませんが、宇多天皇の御代、つまり平安時代初期頃から宮中行事となったとみられ、近世においては、大阪の能勢から宮中に亥の子餅が献上されており、この能勢の地では応神天皇との伝承が語り継がれています。
その亥の子餅のそもそもの伝承の発端となった「兎我野の誓約」の地とは、当宮の氏地である「兎我野町」がその有力地と考えられており、いうなれば、亥の子餅は梅田とも所縁が大変深いお菓子といえます。

この度、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に、日本酒などの「伝統的酒造り」が無形文化遺産に登録される見通しになったそうです。
日本の酒造ご関係の皆様には心からお喜び申し上げます。
当宮、主祭神の嵯峨天皇さまは、史上初めて熱燗を召し上がられた方であられ、また日本で初めてお屠蘇を服用された方でもいらっしゃいます。今日の吉報、きっとお喜びになられている事でしょう。
日本酒はいうまでもなく、古来より御神前に捧げられてきた御神酒でございます。悠か古代より大神さまはもとより人々の笑顔の為、醸しの技を磨き続けてこられた先人の皆様の培いが、世界にも認められたという点で、改めて酒造りに携わられる皆様のこれまでの努力に感謝の思いです。
文化庁によりますと、来月12月2日からパラグアイで開かれる政府間委員会で無形文化遺産への登録が正式に決まるそうです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d1adee16262400c27bf97284f6164f8d3e17df1?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20241105&ctg=dom&bt=tw_up