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綱敷天神社 禰宜日誌

大阪梅田の綱敷天神社のご案内ブログです

令和7年 歯神祭 お納め致しました。

2025年06月04日 | 日記

令和7年、本年も無事に、当宮末社である歯神社の例祭(歯神祭)、滞りなくお納め申し上げました。

本年は平日水曜日でありましたが、多くの皆様がご参列になられ、10時30分からの歯ブラシ整理券の配布時には行列が出来るなど、例年に無い賑いようでございました。

今年は当地大阪では大阪・関西万博が開かれており、日本にとりましても大きな節目の年です。そうした節目の年は未来の人々が、その時代、この人は何をしていたのかな?と覗き込んでくる虫眼鏡の年ともいわれます。 そうした年にあたり、未来の人が見るであろう写真や映像に、きれいな歯で笑顔を残す為にも、この機会にぜひ歯の調子を調えて頂き、また健常な方はますます歯磨きにご精進頂いて、未来の人に歯の大切さをしっかりと伝える機会の種となれば、歯の大神さまもまたお喜びになられるのではないかと思う次第です。

また、本年も変わらぬご崇敬をお寄せ頂き、たくさんの歯ブラシをご奉納下さいました、全日本ブラシ工業協同組合さま、株式会社サンギさまには、改めて厚く御礼申し上げる次第です。

どうぞこの一年も、皆様の歯のご健康を祈念申し上げ、ご参列頂きました皆々様にはようこそお参りでございました。


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第63回 神宮式年遷宮「御杣始祭」生配信のご案内

2025年06月02日 | 日記

神宮 (通称:伊勢神宮)では20年ごとに、内宮外宮の御正殿をはじめとるす125社殿、御装束、神宝などを新調する式年遷宮というお祭りが執り行われています。

応仁の乱などで一時中断もありましたが、奈良時代より1300年に渡り続けられており、この20年という月日は、掘建式の木造建築の建て替え時期であったり、親から子への技術伝承の時期であったりと、まさに時代の節目である事から、前代のものを今代に同じように作る事で、神代を今に伝え続けているともいえ、「皇家第一の重事、神宮無双の大営」と讃えられるように。日本で最も大切なお祭りです。

その神事は、今年5月2日に、御用材を伐り出すに当たり、御杣山(みそまやま)の山の口に坐す神に伐採と搬出の安全を祈る「山口祭」からはじまり、令和15年(2033)10月に行われる、神様のお引越しにあたる遷御をクライマックスに、令和16年まで続きます。

そして明日、令和7年6月3日(火)には、式年遷宮、前半のクライマックスとも言える「御杣始祭(みそまはじめさい)」が、長野県上松町の国有林で執り行われます。
その様子を三重テレビが生中継で配信されます。

~御杣始祭とは~
御用材を木曾にある御杣山(みそまやま)で正式に伐り始めるお祭りです。最初に「御樋代木(みひしろぎ)」と呼ばれる、御神体をお納めする御器を奉製するための檜を伐採します。御樋代木は山中で左右に並ぶ二本の檜を選び、「三ツ緒伐(みつおぎり)」という古式の作法で伐り倒します。


●●●配信ご案内●●●
日時:6月3日(火) 午前9時30分~(予定)
三重テレビ公式ホームページ、または三重テレビアプリでご覧になられます。
・三重テレビ公式ホームページ https://www.mietv-live.com/
・三重テレビアプリ https://www.mietv.com/application/
・三重テレビ番組紹介 https://www.mietv.com/program/sengu-63/

※三重テレビでは地上波で6月4日にダイジェスト放送もされるようです。


この式年遷宮は、当宮の主祭神、嵯峨天皇さまの御代にも第7回神宮式年遷宮が、菅原道眞公の時代には第11回式年遷宮が行われており、まさに、私たち日本人が連綿と繋いできた大切な大切な神事です。今代、第63回神宮式年遷宮を見事に納めて、次代につなげて行くためにも、日本人ひとりひとりが心を寄せていく。その思いが大切になっていくのではないでしょうか。

ぜひ、明日の「御杣始祭」ご覧下さい。


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令和7年 歯神社例祭のご案内

2025年05月13日 | 日記
既にX(旧ツイッター)でご案内させて頂いておりますが、下記の通り、本年も歯神社例祭(歯神祭)を斎行させて頂きます。神事後、歯ブラシを授与致します。

【名称】
 歯神社例祭(通称:歯神祭、歯ブラシ感謝祭)

【日時】
 令和7年6月4日(火) 午前11時 斎行(~11時30分頃まで)

【場所】
 大阪市北区角田町2-8 歯神社
 (HEPの赤い観覧車の裏手、ドルチェ楽器大阪店の右隣、ねぎ焼きやまもとエスト店の裏側)

【歯ブラシご奉賛】
 全日本ブラシ工業協同組合、㈱サンギ

【備考】
神事中は歯神社前道路は車両通行止めとなりますが、緊急、または許可車両等につきましては通行致します。その際は、通行の邪魔にならないよう、神職らの誘導にお従い頂きますようお願い申し上げます。

【歯ブラシの無料授与について】
整理券をお持ちの先着100名さままでとさせて頂いております。
整理券は当日神事前に配付いたします。(午前10時30分頃から。正式には歯神社のXでご案内します)
なお、整理券はお1人につき1枚限りとさせて頂いております。その場におられない方の取り置きは原則お断りしております。あくまでも神事ですので、お参り頂いてお受け下さい。
なお、数に漏れられた方には、御神前にお供えしました歯ブラシを神事後に有料で授与致しております。

【その他ご注意】
 ・歯神守、御神札も当日歯神社で授与します。(数に限りあり)
 ・御朱印の授与はございません。
 ・歯神祭は歯ブラシ授与が終了しましたらお納めです。12時頃には撤収します。
 ・この日は御旅社の授与所は終日お休みします。
 ・歯神社は小さな神社の為、祭礼はすべて立席です。

【お問い合わせ】
歯神社例祭に関するお問い合わせは、
歯神社社務所(綱敷天神社御旅社)まで。
電話:(06)ー6371-1586
メール:tunashiki「あ」jinja.jp (「あ」を@に変換下さい)

※6月1日以降は準備で多忙の為、お問い合わせのお電話等のご対応は出来かねます。予めご容赦下さいませ。

最新情報は当宮職員が配信しておりますX(旧ツイッター)でご確認下さい。

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玉姫稲荷神社の例祭と限定御朱印のご案内

2025年04月26日 | 日記

5月5日。茶屋町の綱敷天神社御旅社の境内末社、玉姫稲荷神社の例祭にあたり、限定の御朱印を、5月3~5日間に授与数限定で授与致します。

そもそも玉姫稲荷神社(玉姫社)は、女性守護の神様といわれ、梅田に住まう女性、働く女性、縁ある女性方を中心に尊崇され、また芸能上達、良縁、商売繁盛、そして子供たちを疫病からお守り下さる神様として信仰されています。

その例祭日は5月5日で、通称「玉姫祭」ともいわれ、午前11時からの神事に加え、同日には神牛像への花飾りを施す倣いがあり、これは江戸時代に梅田で行われていた「梅田の牛の薮入り」という行事の名残と考えられており、梅田の民俗風習上、重要な神事でもあります。

授与致します御朱印には、社号の揮毫に加え、
大阪を中心に活躍するイラストレーター「舛田善信さん」の手による当宮ゆかりのお花の絵と、
女性に向けた広告で定評のあるグラフィックデザイナーの「釣井裕紀さん」の手による玉をイメージした印面となっており、大変華やかな御朱印です。


期日 5月3日~5日 (3日間のみ) ※6日はありません

時間 午後1時から午後5時まで

場所 大阪市北区茶屋町12番5号 綱敷天神社御旅社内

授与枚数 100枚
      5月3日 上限25枚
      5月4日 上限25枚
      5月5日 上限50枚 

初穂料 1枚500円 (書き置きのみ)

 

注意事項

  ・御本社、御旅社、歯神社の御朱印も
   通常通り授与します(待ち時間発生します)
  ・5月6日は玉姫社の御朱印の授与はありません。
  ・授与は先着順です
  ・事前の取り置きは出来ません
  ・お一人につき一枚の授与です
  ・授与は3日間のみです
  ・転売禁止です

その他

  ・玉姫社の例祭は5月5日11時からです。ご参列自由です。
  ・玉姫社、神牛像へのお花のお供えは、花束状のものですと
   暑さで萎れますので、小さなアレンジメントなど鉢状のものか、
   設置してあります榊立てに差し込む程度のものでお願いします。

 


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神牛像の飾り綱と涎掛けのご奉納

2024年12月12日 | 日記

今年は残暑が長かった分、12月に入りいきなり寒くなったように感じます。

この年末になりますと、当宮の氏子さんで、神山町の御本社から北へ50mほどのところにあります「新田ふとん店」さまから、毎年、神牛像の為の「紅白の飾り綱」と、「よだれ掛け」をご奉納頂いております。

例年、しめ縄替えの日に、飾り綱と、よだれ掛けを新しいものに付け替えておりますが、今年は寒さが厳しく感じますので、モコモコの新しい飾り綱に、神牛さんもきっとお喜びになられる事と思います。

本年も変わらぬ温かきご篤志、有難う御座います。


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令和六年(2024) 新嘗祭

2024年11月23日 | 日記

本日11月23日は、日本全体の収穫感謝の祭礼である「新嘗祭(にいなめさい)」が宮中はじめ全国の神社で斎行されます。

新嘗祭そのものの起源は大変に古く、最古の物語である『古事記』にも既に見られるほど、神代の時代から続けられている神事です。

神事では、その年に収穫されたお米を中心に、様々な食べ物が神々にお供えされ、五穀豊穣と国家国民の安寧を祈ります。 多くの神社では23日の午前中に神事が行われますが、宮中においては、天皇陛下御自ら、23日18時からの「夕(よい)の儀」と、23時からの「暁(あかつき)の儀」と、二度に分けて執り行われ、それぞれ2時間超の長い神事が行われます。 天皇陛下御自らそれほどに深い祈りを捧げられる事から、宮中においても最も厳粛に執り行われる神事の一つです。

ちなみに、天皇陛下による新嘗祭の神事が納められましてから、新米は頂くものとされており、明日24日の朝ごはんから新米を食すのが習わしとされています。(ただし、現今では9月頃から新米が出回るようになっていますので、あくまでも古式の習いとお捉え下さい)

またこの宮中の新嘗祭では、白酒(しろき)、黒酒(くろき)という特別なお酒も献られます。 一般の神社でお供えされる事は稀なのですが、伊勢国に鎮座します久居八幡宮の禰宜さまより、ご厚意で本年も黒酒を奉製する為に必要な、伊勢国の久佐木の灰をお頒かち頂きまして、当宮でも黒酒を奉製しお供えさせて頂いております。久居八幡宮の禰宜さま、ありがとうございました。

本年は、猛暑と長い残暑の影響で、お米の生育が西日本ではあまり良くなく、大阪では8月に一時的に米不足になりましたが、農家の皆さんのご尽力、流通各社のご尽力のお陰で、この新嘗祭には例年通り新米をお供えする事が出来ました。
当たり前のようですが、当たり前ではない、人知れずの苦労があっての事だと思います。大神さまはそうした人知れずの努力にこそ眼差しを向けるとも申します。今日の新嘗祭の新穀、新酒を大神さまも思い深くいただかれたのではないかと思うところです。

御神饌につきましては新嘗祭をお納めした後、普段であればすぐに撤下しておりますのが、お米の大切さを知って頂く機になればと思い、本日夕方頃まで、茶屋町の綱敷天神社 御旅社の本殿内に、新米、白酒、黒酒を、ご参拝皆様にもご覧いただけるように置いております。ぜひお参りの際はご覧下さい。

どうぞ皆様のご自宅でも、「いただきます」「ごちそうさま」の心をどうか大切に、秋の実りへの感謝を捧げる日となられます事、お祈り申し上げております。

 


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令和6年 亥の子餅

2024年11月07日 | 日記
古来より
亥の月(旧暦10月)
亥の日(その月で初めての亥の日)
亥の刻(午後10時頃)
には和菓子の「亥の子餅」を食べる習わしがあります。
 
今日、11月7日は、旧暦初亥の日で、まさにその当日です。


なぜこの日に亥の子餅を食べるのかというと、『古事記』によれば、第15代天皇である、応神天皇さまがお生まれになられた時、異母兄の麛坂王・忍熊王は、幼い応神天皇さまを亡き者にしようと謀り、その前にその企みが成功するか否かの神意を占う為、兎我野(斗賀野(記)・菟餓野(紀))に狩りに出て、良き獲物が穫れたら吉、獲れなかったら凶と定めて狩りをしました。これを「兎我野の誓約(うけい)」といいます。


ところが、その狩りの最中、どこからか怒った赤い猪が出てきて、麛坂王を食い殺してしまい、結果として大凶。後に忍熊王も討ち倒され、応神天皇さまは後年、無事天皇の位に就かれます。


無事に天皇の位に就けたのは兎我野のイノシシのお陰と思われた応神天皇さまは、その神恩を忘れぬ為に、亥の月(旧暦10月)亥の日に、イノシシの形(ウリ坊)に似せた亥の子餅を食べる事を吉例としたといわれ、既に平安時代には年中行事とされ、源氏物語にも登場するなど日本でも有数の古い歴史をもつ和菓子です。


実際には応神天皇さまの説話と亥の子餅との関係を記録した書物は悠遠の時代であった為か残っていませんが、宇多天皇の御代、つまり平安時代初期頃から宮中行事となったとみられ、近世においては、大阪の能勢から宮中に亥の子餅が献上されており、この能勢の地では応神天皇との伝承が語り継がれています。


その亥の子餅のそもそもの伝承の発端となった「兎我野の誓約」の地とは、当宮の氏地である「兎我野町」がその有力地と考えられており、いうなれば、亥の子餅は梅田とも所縁が大変深いお菓子といえます。


またこの初亥の日はコタツを出す日でもあります。そもそも亥の子餅は神恩感謝と、無病息災を念じて食べていたと考えられており、今年は立冬の日とも重なり、一気に冷え込みが強くなりました。どうぞこの時期に、亥の子餅を食べて滋養をつけ、足腰はコタツで温め、心身ともに健やかに暖かくお過ごし下さいませ。
 
 

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日本酒等の伝統的酒造りが、ユネスコの無形文化遺産に登録見込み

2024年11月05日 | 日記

この度、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に、日本酒などの「伝統的酒造り」が無形文化遺産に登録される見通しになったそうです。

日本の酒造ご関係の皆様には心からお喜び申し上げます。

当宮、主祭神の嵯峨天皇さまは、史上初めて熱燗を召し上がられた方であられ、また日本で初めてお屠蘇を服用された方でもいらっしゃいます。今日の吉報、きっとお喜びになられている事でしょう。

日本酒はいうまでもなく、古来より御神前に捧げられてきた御神酒でございます。悠か古代より大神さまはもとより人々の笑顔の為、醸しの技を磨き続けてこられた先人の皆様の培いが、世界にも認められたという点で、改めて酒造りに携わられる皆様のこれまでの努力に感謝の思いです。

文化庁によりますと、来月12月2日からパラグアイで開かれる政府間委員会で無形文化遺産への登録が正式に決まるそうです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2d1adee16262400c27bf97284f6164f8d3e17df1?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20241105&ctg=dom&bt=tw_up 


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79回目の終戦の日

2024年08月15日 | 日記

79年前の8月15日。焼け野原となった梅田。
 
その路傍に小さな露草が咲いていたそうです。

小さき花といえど、一生懸命に咲くその姿に、当時の氏子さんらは励まされたそうです。

未だ世界では、戦火が燻る現代。79年前の当時を知る方々も年々少なくなってきています。戦争の惨禍を再び繰り返さぬよう、御神前に平和を祈念し、露草一枝を奉りました。

露草は当宮境内に生えていたものです。今年は強烈な暑さのせいか、花は小さいですが、79年前と同じく8月の暑さの中、涼しげな青色を見せてくれています。

器は、戦時中用いられた陶器製の手榴弾です。当時は兵科の火器として作られたものも、現代では平和の花器となっています。

ただただ平和への祈りと、戦没者の方々の御霊の安からん事をお祈り申し上げます。


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杉本傅氏とパリ五輪

2024年07月27日 | 日記

本日、令和6年(2024)7月27日午前2時30分(日本時間)から、開会式が行われる、第33回オリンピック競技大会「パリ五輪」。32競技、329種目が実施される予定です。

このオリンピックですが、ちょうど百年前の大正13年(1924)もパリでの開催でした。

当時日本は関東大震災の直後でしたが、災害に負けぬ日本を世界に示す為、万難を排し、19名の選手団が派遣され、そのうちの約3割にあたる6名が水泳選手であり、その水泳選手団を監督として率いたのが、当宮の歴代の氏子であった 杉本傅(すぎもと つたえ)氏でした。

杉本家は、現在の堂山町にある東急REIホテルあたりに代々のお家があられ、江戸中期の古い地図等にも杉本家の名前が出てくるなど、梅田に根ざし、当宮とも関係の深いお家柄でした。

杉本傳氏はその杉本家で生まれ、日体大卒業後、母校である府立茨木高校の教員となり、まだ世界でも萌芽期であった近代水泳に着目。その指導の為、大正5年(1916)に大正天皇の御即位を記念して、校庭に南北30メートル・東西18メートルの水泳池を生徒らと協力して建造。これが日本最初の水泳授業の為のプールといわれています。

大正9年(1920)に開かれた全国競泳大会に、指導する茨木高校水泳部が出場し、高校生ながら全国優勝。その後も様々な大会で圧倒し、水泳指導者として杉本氏の名声は高まり、大正13年のパリ五輪では水泳の代表監督に就任しました。ちなみにこの時の開会式では、日本のマラソン界の父といわれる金栗四三氏が旗手を務めており、水泳のみならず陸上も黎明期でした。

パリ五輪においては、杉本傅氏の愛弟子である、高石勝男氏等が入賞するなど、黎明期と思えぬ活躍を見せ、後に海洋国家日本のお家芸ともいわれる日本水泳が世界に泳ぎ出した大会でもありました。

実はいま私たちが学校で普通に習っているクロールを、日本に定着させたのはこの杉本氏の功績が大きく、他にも水泳飛び込みや、背泳、水球の普及にも大きく貢献されました。

また杉本氏が直接関わられていたのかどうかは不明ですが、杉本氏の生家から東にいった大阪梅田の東端、扇町公園には、かつて大阪プール(現在は港区に移転)がありましたが、ここに設置された競泳飛び込み台には、今では一般的になっている背泳の為の持ち手がついています。伝承によれば、これが世界最初の背泳の持ち手とも言われており、水の都である大阪。その中でも杉本氏の生誕地である梅田を日本水泳の発信地にしようという思いがあられたのではという気もしてまいります。

そうした日本における近代水泳の基礎を固められたので、杉本氏は「日本近代水泳の父」ともいえる方でした。

しかし、とてもシャイな性格であられたそうで、顕彰などでお名前が出る事をあまり好まれず、現代に至るまでその顕彰は殆ど成されていません。

数少ないお名前が残っている場所というのが、母校茨木高校の顕彰碑と、当宮御本社の玉垣のお名前ぐらいとなっています。
今後日本の水泳史の研究が進めば、必ずお名前が高まる方である事は間違いありません。これからの調査研究に期待したいところです。

そんな杉本傅氏が指導に関わった水泳競技。

今回の第33回オリンピック競技大会 パリ大会では、
団長の金子日出澄氏、総監督の村松さやか氏をはじめ、
梅原孝之監督が率いる競泳選手27名、
安田千万樹ヘッドコーチが率いる水泳飛び込み5名、
塩田義法ヘッドコーチが率いる水球選手13名
中島貴子 ヘッドコーチが率いるAS選手9名
吉田龍平コーチが率いるOWS選手2名

また8月28日からの
第17回パラリンピック パリ大会では
上垣匠監督が率いる競泳選手22名

の方々が精魂込めて競技に臨まれます。
選手の皆様には悔いのない全力競技をと祈念する思いです。

そして、今日のトビウオジャパンの原点になった、杉本傅氏の功績も忘れずにいたいものです。



   


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