綱敷天神社 禰宜日誌

大阪梅田の綱敷天神社のご案内ブログです

風鈴

2013年07月31日 | ノンジャンル
暑中お見舞い申し上げます。

明日からは8月。暑さまさに盛の候です。

そんな暑さですが、梅田などの都市部は都市高温化現象(ヒートアイランド現象)により、更に気温があがり、日中はとても外にいられないような暑さになります。

そんな都市高温化を少しでも緩和させたい思いで、茶屋町の当宮御旅社ではドライミストという霧状に水を散布する装置を鳥居に取り付け、当宮前の歩道に向けて散布しています。 本当にわずかなものですが、これが意外に効果がありまして、2~3度は気温が下がっている事が実証されており、一種の打ち水効果もあるようです。(雨天や曇りの日は停止しています)

また、音の涼しさもという事で、土用入り頃から御旅社境内にたくさんの風鈴を釣るしており、涼やかな音色が境内を包んでいます。

お参りの際はぜひ少しく気持ち涼んで頂ければ幸いです。

どうぞ皆さまの今夏の弥栄を祈念致しております。



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平成25年遣梅式

2013年07月24日 | ノンジャンル
今日、明日は日本三大祭の一つ天神祭。 
大阪天満宮さんの夏の御祭礼です。

この祭礼には、梅田の名の由来にもなりました、当宮御旅社の霊木「梅塚(紅梅の木)」の梅ヶ枝を用いる倣いがあり、この梅の枝に、天神さまの御神霊が乗り移られて、陸渡御、船渡御とお渡りになられるのが、このお祭りのクライマックスです。

今日は午前11時より、大阪天満宮の神童さんが当宮に親しく拝受のご参拝を頂き、それを受けまして梅ヶ枝お遣わしの御儀ご奉仕申し上げました。

このお祭りは、梅の枝を大阪天満宮さんのお祭りにお遣わしするので(奉献ではないので)、遣梅式(けんばいしき)と申し上げております。

大阪市内中心部にあって、往古の昔から長い間お付き合いのある、当宮と大阪天満宮さんの間だけで取り交わされる神事です。

ちなみに、この神童さんは大阪天満宮さんの氏地である、西天満小学校の児童から選出されるのが倣いなのですが、今年は、いつも禰宜が北区の事でお世話になっている方のご子息が務められるとの事で、個人的にも思い深い神事となりました。

明日は午後3時30分に陸渡御が大阪天満宮正門から出発し、老松通りを通って、大阪市役所、中央公会堂前を通り、天神橋ふもとの乗船場までを賑々しく陸渡御の行列が通り、そこから船に乗って、花火で彩られる中、大川をぐるりとまわります。 その間、神童さんは梅ヶ枝をずっと持っていなければなりません。大変なお勤めです。

天神祭の無事の渡御をご祈念するばかりです。

陸渡御、船渡御の道程については下記をご参考ください。
http://www.tenjinmatsuri.com/tenjinmatsuri_navi


  

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平成25年例祭報告と、平成3年の例祭のダンジリ巡幸映像

2013年07月15日 | ノンジャンル
今日は当宮の例祭です。

例祭とは、その神社に最も由緒深いお祭りの事で、当宮の場合は、7月15日が主祭神の嵯峨天皇さまの崩御の当日にあたる為、その由縁から例祭の日となっています。 ちょうど夏場ですので夏祭とも呼ばれます。

お祭りの形態は地域によって様々ですが、当宮においては、氏地が安寧かどうかを神さんがご覧になられる為に、鳳輦、お神輿に御神霊が移られ、太鼓、ダンジリが道中を賑やかに(神賑行事といいます)しながら、神山町の御本社から、茶屋町の御旅社まで渡御(巡幸)するのが習わしでした。 昔は渡御列といって、長い列を作って歩きましたが、交通事情の悪化から、渡御列は作れなくなり、昭和50年代からは単発で地域を巡幸する形になりました。

しかし、それすらも年々進む過疎化と、交通事情の更なる悪化、諸般の事情などにより、平成6,7年頃から神賑行事は中止せざるを得なくなり、現在では責任役員さんと総代さんだけが参列しての神事のみとなっています。

「お祭り復活させーや!」というお声をよく頂戴しますが、お祭りとは本来、地域が主体となって、氏神さんに日頃の感謝と、お祭りの賑やかさで喜んで頂いて、御運をお授け頂く為に執り行なうものですので、絶対的に人口の少ない現状では解決しなければならない問題があまりにも多く、正直なところ、板挟みのような気持ちです。^^;

それでも、昔を懐かしんで15日になると遠方よりお越しになられる方もおられ、現状は神事だけではありますが、これだけは今後もきちんと奉仕し続けて参りたいと思っております。

下記リンクは平成3年(1991)に執り行なわれた当宮例祭の際のダンジリ巡幸の映像です。 当時資料用として撮影してもらった分です。 いまから22年前の映像ですので、ところどころかなり懐かしいものを感じます。 (ちなみにこの映像に映っている囃子方や引き子の大半は地域の人ではありません。既にこの頃、急激な過疎化が進んでいました)

心を一つに、いつか復活出来る日が来ることを願うばかりです。

http://www.youtube.com/watch?v=8d3IAxWT1rI

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平成25年 七夕祭

2013年07月08日 | ノンジャンル
昨日は一年に一度の七夕の日。
当宮御旅社では、七夕祭が執り行なわれました。

普段は街中の喧噪に埋もれている感のある当宮が、この日ばかりは大変にぎやかになり、本年は累計で1200名あまりのご参拝者で賑わいました。

今回の七夕祭に際しましては、地元地域の皆さまからの御奉賛に加え、様々な梅田ならではの物も御神前にお供え頂きました。

その1つが、「菜の花や月は東に日は西に」と詠まれた茶屋町の菜の花に由縁する、茶屋町産菜種油で灯したお燈明(梅鉢の切り込み窓のある方)で、今回は梅田で都市養蜂を試みられている梅田ミツバチプロジェクトさまからご奉納頂きました。

また、地元地域の有志の会、鶴乃茶屋倶楽部さまからも、3月に茶屋町で咲いた菜の花から実った菜種もお供え頂き、お燈明と一緒に御神前にお供えさせて頂きました。

さらに、これは当宮でご用意したものですが、蜜蝋を使った燈明を今回初めて灯させて頂きました。 蜜蝋とは、ハチミツをとったあとに残るハチの巣を精錬して作るロウの事で、梅田ミツバチプロジェクトさまが推進されている、ミツバチと梅田との関わり合いについて、ご参拝の方々にも見て、そして感じて頂きたいという思いで、今回、初めて蜜蝋を使ってのロウソクも同じく灯させて頂きました。

これらのお燈明は従来は本殿の奥の方で灯しているだけでしたので、ご参拝の方からは見えにくかったのですが、今年はお賽銭箱のすぐ近くに別途2つの燈籠を設けて、近しくご覧頂けるように工夫させて頂きました。 

ご参拝されたお子さんの中には、自然から頂く火の輝きがとても興味深かったようで、社殿前でずっと燈明のゆらめきを見ていたお子さんもおられました。

この七夕祭を、氏子数減少の為、神賑行事が執り行えなくなった例祭(夏祭)に代わって再興しましてから、早や10年が過ぎましたが、その間に梅田は大きく再開発が進み、街も豊かに輝きを増しているような感を覚えます。

鎌倉時代の『御成敗式目』にはその第一条に、「神さんは人の崇敬によっておチカラを増し、人はそのおチカラを増した神さんの徳によって運を添う」とあります。(神者依人之敬増威、人者依神之徳添運)

こうした、地域の皆さんからのご崇敬の念を受けられて、きっと大神さまも梅田を更に良くする為、御神威を発揚されておられるのではないかと感じているところです。

今後とも神さんに見守られての梅田でありたいと願うばかりです。

  

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七夕祭 献燈式のご案内

2013年07月05日 | ノンジャンル
明日から茶屋町の当宮御旅社で七夕祭が斎行されます。

16時から短冊授与、そして19時から梅田ミツバチプロジェクトさま(http://ume-pachi.jp/)からご奉納頂いた茶屋町産の菜種油を燈明として、御神前に捧げる献燈式が本殿で執り行なわれます。

かつて、灯明用の菜種油を採取する為に、茶屋町一帯は広大な菜の花畑で、江戸時代の俳人の与謝蕪村が「菜の花や月は東に日は西に」と詠むなど、茶屋町といえば、”菜の花”でした。

現代は繁華街になった茶屋町で、地域の皆さんが一生懸命に育てられた菜の花から採れた貴重な菜種油による燈明を、ぜひ間近でご覧頂きたく、皆さまのお参りをお待ち申し上げております。



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