今日から8月11日は「山の日」という祝日になりました。
大阪で山というと、生駒山か、日本一(平成23年まで)低い「天保山」を思い浮かべますが、
実は、当宮御本社の鎮座している場所。ここは実は神山という小山であり、「日本一低い霊山」とも呼ばれております。
戦前までは神社裏に高さ2mほどの小山が実際にあり、当宮の縁起では、この場所に御祭神の嵯峨天皇さまの仮の御殿を作り一宿された場所といわれ、その跡に今の御本社が建立されました。
しかし、戦災の空襲の爆撃で御本殿は全焼、山体も崩壊し、神山の形も無くなってしまいましたが、戦後、神さまのお山の土なので捨てる事は出来ないという事で、復興の際、この土を盛土として、いまの御本殿が建てられました。
ですので、現在の御本殿の建っている場所が「神山」です。
以前はこの本殿の御垣内に、神山を模した立砂がありましたが、先代宮司が亡くなって以降はそのままになり、近年に至っては野良猫が悪さをして崩してしまい、元の形も無くなっておりましたが、山の日の今日、およそ30年ぶりに立砂を復し、今度は崩されないように覆屋も掛けました。
ここを山頂としますと、地面からの標高は90センチで、まさに日本一低い霊山といえます。しかしながら、神さまの場所を低いというと語義が悪いですので、身近な霊山と当宮では申し上げたいと思います。
こうした「いちびり」な山も、また一つの大阪らしさかもしれません。
※この立砂の位置は御本殿の御垣内の奥の為、一般には非公開とさせて頂いております。
新しい神山の覆屋
昭和3年撮影の神山の山頂付近
現在の神山(御本殿の裏)
大阪で山というと、生駒山か、日本一(平成23年まで)低い「天保山」を思い浮かべますが、
実は、当宮御本社の鎮座している場所。ここは実は神山という小山であり、「日本一低い霊山」とも呼ばれております。
戦前までは神社裏に高さ2mほどの小山が実際にあり、当宮の縁起では、この場所に御祭神の嵯峨天皇さまの仮の御殿を作り一宿された場所といわれ、その跡に今の御本社が建立されました。
しかし、戦災の空襲の爆撃で御本殿は全焼、山体も崩壊し、神山の形も無くなってしまいましたが、戦後、神さまのお山の土なので捨てる事は出来ないという事で、復興の際、この土を盛土として、いまの御本殿が建てられました。
ですので、現在の御本殿の建っている場所が「神山」です。
以前はこの本殿の御垣内に、神山を模した立砂がありましたが、先代宮司が亡くなって以降はそのままになり、近年に至っては野良猫が悪さをして崩してしまい、元の形も無くなっておりましたが、山の日の今日、およそ30年ぶりに立砂を復し、今度は崩されないように覆屋も掛けました。
ここを山頂としますと、地面からの標高は90センチで、まさに日本一低い霊山といえます。しかしながら、神さまの場所を低いというと語義が悪いですので、身近な霊山と当宮では申し上げたいと思います。
こうした「いちびり」な山も、また一つの大阪らしさかもしれません。
※この立砂の位置は御本殿の御垣内の奥の為、一般には非公開とさせて頂いております。
新しい神山の覆屋
昭和3年撮影の神山の山頂付近
現在の神山(御本殿の裏)