ぐうたらピアノ生活

2008年9月~独学でピアノを再開(ブランク30年) 2010年9月~Lesson開始

ぐうたらすぎ・・・

2010-05-20 21:59:27 | piano雑記
今日は珍しくおピアノ様の練習を・・・・。
どんだけぐうたらなんだか・・・(;^ω^)

いろいろあるんだよ、私だって(o`ε´o)
 
切れてどうする・・・・・・・・

今日は久し振りなのでとりあえずスケールを弾いて調性の確認を(爆)
でもって、放ったらかしのMiyoshiを。
ってか、何故に弾けないMiyoshi・・・・・。

三善せんせー、これ本当にバイエルレベルですかぁ~?
全然弾けません・・・

いえ、見た目、確かにバイエル並みの楽譜ですけど。
ええ、どう見ても難しいリズムはないですねぇ?
これ終わったらバッハをと思っているのに、全然終れる気がしない・・・

ってか、放ったらかしにしないで練習しろって話だな・・・・。

優しいって・・・・

2010-05-20 07:00:04 | ぼやき
そもそも思いやりのある人ってどんなだろう?

もちろん他者の立場に立ってその状況を自分のことのように考えられる人であると言う事は異議のないところであるが、自分サイドにいる人に対してそれができたからと言ってそれは優しいことになるのか?
私的には、通常の人間としての感性があるならそれって特別なことではなくて当たり前のことなんじゃないかとか思ったり?

例えば、理不尽は理由で大切な人を奪われた経験があるとして、奪われた人の気持ちに寄り添うことができるのは普通のことだ。
しかし、奪った方の人に対しては?

生れ落ちたその日から悪人だったなんて、そんな人がいるわけがない。
悪業を行う人はそのように育つ環境を与えられ、そう育まれたのだ。
その過程にだってやはり苦痛や苦悩があったはず。
人間、誰だって生きていればいろいろな事がある訳で。
だからって他人の利益を侵害していい訳はないのだが、それでもその過程をも考慮に入れることができるのが優しいってことなのじゃないかと思ったり。

そもそも弱者をかばうのは純粋に優しさからじゃない。
それは自分の方がより強いという優越感からのこともあるし、”感謝”という報酬欲しさからと言う事もあるし、他者から依存されることに喜びを感じるからと言う事だってある。
単純に相手に好かれたいと言うこともあるだろう。
詰まる所、自分がそうしたいだけのことなのだ。

私が先のベビーカーのお母さんの手助けをするのだって別に”大変でしょう”と思いやってのことじゃない。
単にさっさと道を空けて欲しいからだ。
結果的に助けたことになったとしてもそれは私が優しいからじゃない。


優しい人と言うのは、自分の利害を全く考えることなく他人の立場で考え行動できる人、あるいはそうあろうと努力する人。
しかもそれは全ての対象について、自分を害する相手も含めてである。

誰だって特別な対象に対してはそんな風に接したいと思うのだ。
でも、それは優しいからじゃなくて対象を失いたくないからだ。
そして自分も対象にとって特別でありたいと思うから。

だからこそ、対象を限定しない行為が可能な人を優しいと言うのだと思う。