お気楽でのんびり屋、45歳パパの『幸せのおすそわけ』

不景気の中40歳で会社を自主退職した無責任パパは、何事にもお気楽でポジティブシンキング!他愛ない日常の幸せをおすそわけ!

驚愕の惨事 ~3.11大震災に遭遇して①~

2011-03-11 23:47:35 | Weblog

 3月9日の夜に39.4度の発熱をした。ちょっと咳っぽかったので、風邪だろうと市販薬を飲み早寝をしたら、翌朝熱は下がったのでいつも通りに仕事に行った。

 その夜(10日夜)。前日と同じように家に帰ってから熱が上がり、熱くて熱くて寝苦しいので夜中に熱を計ったら記憶の中にもない40.1度という数値まで上がっていた。
 9割以上インフルエンザであろうという予想の中で医者に行ったが、インフルエンザは陰性で肺炎でもなく、医者もそんな高熱になる原因が判らないと言いながら、風邪薬を処方してくれた。 
 そのあと、仕事場には行ったが、やはり体調は良く無いので午後早退した。


 帰途、揺れに揺れた。


 地震であることはすぐに判ったが、宇都宮市で時々ある震度3程度のものだろうと高をくくっていた。
 が、いつになっても終わらないどころか、次第に強くなる。電線は揺れ、建物も揺れ、ちょっと縦揺れが混じってどこからかガタガタという音がした。
 
 3分くらいは揺れていたのだろうか。
 情報が何も無ければ、「栃木でもかなり強い地震で、瓦が落ちたりする家もありました」くらいのニュースを想像して終わっていたのだろうが、揺れが収まるか収まらないかのうちに、車のテレビでは"宮城県では震度7であること"、"栃木県でも震度6強であること"、"津波警報が出たこと"を報じ、東北の地方テレビ局備え付けの固定カメラの"物が乱れ飛ぶ"映像が流れた。

 "震度6強"。
 栃木県では聞いたことの無い震度だった。
 が、周囲はそれほど壊れた家屋などがないぶん「こんなモノなのか?」という印象も受けた。

 何はともあれ、家の状況を確認せねばと急いで帰宅する。
 ママはお休みで、地震当時、家には幼稚園から帰って来たばかりの「ひいちゃん」「ふうちゃん」とママとジイちゃんがいたという。
 次女の「ふうちゃん」は地震の怖さが冷めやらぬ様子で、またたびたび起こる余震の怖さでママに抱かれたままでいた。長女「ひいちゃん」はパパが早く帰って来たことの方に驚いていたが、『怖かった?』と聞くとコクリと頷いた。
 地震の揺れの中、斜向かいの家の瓦が落ちてきたというが、家から見る町並みに大きな変化は無かった。
 ジイちゃんは家の周りを確認し、我が家には『損傷が無い』と誇らしげであったが、何よりジイちゃんの妻が"歩きに行ってくる"と所在不明であることが心配であった。

 とりあえず、家の無事が確認できたので、保育園に三女「みいちゃん」を迎えに行く。
 普段のお迎えの時間より2時間近く早いのだが、保育園の状況も判らずに普段の時間まで預けておくわけにいかない。いや、その前に「みいちゃん」が無事かどうかが心配である。
 行く途中、塀が崩れている家が3軒あり、地震の大きさを感じた。
 保育園に着くと、園児全員が園庭に並んでいた。大きな子は地面に座り、小さい子は散歩用の乳母車に乗って、風を除けるために先生方がブルーシートで覆っていた。

 「みいちゃん」は状況もよく判らず、乳母車の中でちょこんと座っていた。子供ながらに、先生達の焦りを感じ、普段と違うことは感じていたのかも知れない。
 『「みいちゃん」、パパ来たよ~』
 そんな先生の言葉に表情も変えずにアタシを見て、両手を伸ばした。
 笑いもせず、泣きもしない「みいちゃん」を抱き、車に向かいながら『怖かった?』と聞くと『うん』とだけ答えた。

 とりあえず、バアちゃんを除けば無事が確認でき、家に集まった。
 行き先の判らないバアちゃんを捜すのにはアテが無さ過ぎるので、自力で帰ってくることを願うしかなかった。

 アタシは連絡のつかない職場の様子を見に、戻った。
 時折、余震で車が揺れること以外は街の景色に大きな違いは無く、職場も書類が落ちたくらいで大きな影響は無かった。

 ママが心配していたのでママの職場を確認して家に戻ろうとすると、停電が発生している上、非常事態を受けて早めに帰宅する人々の車で大渋滞が起きていた。
 停電は送電線の関係からか、地域的なもので、途中から線を引いたように停電のエリアが終わっていた。あとから聞いて知ったことだが、姉夫婦の住むマンションも停電のエリアで、翌日まで真っ暗な状態だったという。

 普段なら25分で帰れる距離を2時間もかけて家に着いた。
 家にはバアちゃんが帰っていた。なんでも電車で雀宮から宇都宮に行き、JR宇都宮駅の構内で地震に遭ったのだという。駅の天井が壊れて外に追い出されたので、渋滞の中を路線バスで帰って来たのだという。
 ともあれこれで家族7人が無事なことが確認できた。

 テレビでは東北地方の大きな被害を伝えていた。

(つづく)


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1 コメント

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Unknown (恐妻家行政書士やなぎ)
2011-03-17 22:38:28
 私は当時、宇都宮法務局にいました。

 栃木会でもっとも目立つ女性の先生もいらっしゃいました。

 自宅は損傷なしも同然、事務所は散乱こそしてましたが、片付ければ問題なし。

 ただ、父親の家は、基礎からヒビだらけとか、内装がすごいことになってました。

 家に帰っても、嫁は普通だし、娘を学校に迎えに行っても、あんまり普段と違った様子はなくて拍子抜けしました。

 被災感が増してくるのは、翌日からだったりします。

 その熱でインフルエンザじゃないのはすごいですね。とはいえ、大事にしてください、ってもう治ってました!?
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