私の少年時代は戦時中。「贅沢は敵だ」のスローガンの時だ。
今週のタウン紙の一つに「ホタルの瞬き、6月の贅沢」の見出し、ホタルに会えるスポット一覧があった。 ホタルが見られることは贅沢だろうか。
少年時代、近くの大川の土手に寝転んでホタルを見ていた。 何万というホタルがまるで呼吸をしているように明るく輝いたり、暗くなったりして流れているようで、見とれて時間のたつのも忘れていた。 ホタルを見るのはちょっとの時間つぶしだった。 家の中までホタルが入ってきた時代のことである。小さな子供は葱の筒(葉)にホタルを入れて遊んでいた。 先日のブログで「小さな幸せ」を書いた。同じように 「 いい服を着て、ご馳走を食べることが贅沢」と思っていた。贅沢という価値観も変容してるんだなぁ。 ほんとうにそうだろうか。「贅沢は敵だ」の時代には贅沢とは行政は何と定義づけしていたのだろうか。
ホタルの見える過疎の山間の村に住むことは贅沢だろうか。 贅沢をしている人たちのところは人が出て行って過疎となるのか。 そこに住む方たちは心の豊かさを云われるが、決して贅沢とは思っていない。
衣食住が満ちたりた人が、時たま田舎にいけば贅沢気分が味わえるというもの、そうゆう人に限って田舎に3日もいると都会が恋しくなって帰って行く。そう云う「心の持ち様」を贅沢というのだろうな。 まいる
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