気がついたらもう来週から中間試験だし、その前に発表をしたり卒論もそろそろ進めなくっちゃならないしで、なかなか気ぜわしい。
そんなわけで今日は久々にまる一日学校にいたんだけれど、おかげで榊君と話をする機会があった。
榊君とは、これまでも時々授業で一緒になったんだけど、ちょっと物言いにシニカルなところがあって、僕は少し敬遠していたんだ。
それで、話してみた結果、彼と会話するときはその言葉から"悪意"を10くらい引いてやると、僕の感覚としてはちょうどいい、という法則みたいなものを発見した。
たとえば、たまたま同じ映画を観ていたんだけど、彼が「あの流れはさ、これこれでいただけないよ、脚本もどうもね」みたいな言い方をするので、僕が「あの映画嫌いだった?」ってきくと、「いや、悪くないと思うよ」って言う。僕が曖昧な顔をしていたら、さらに「というかむしろ好きかな」って足してきた、っていう具合。
つまり彼は好きなものを好きと認める前に、「これこれこういう難点はあるけれども」っていうのを10個くらい並べてみないと安心できないタイプみたいだ。逆に、嫌いなものはわりとどうでもいいみたいで、だからあんまり批判もしないんだと思った。「まあいいんじゃない」って言って、終わり。
なんだか、同じ言葉でしゃべっていても、お互いちゃんと意志が通じているかどうかなんて、案外わからないものなんだなあと思った。実は同じ日本語でも、プラス個々人の文法とか、単語の意味っていうのがあるんだよね。
なんだかちょっと面白いよね。