若菜の不穏な状態は数日続いた。しかしその後ふたたび生気を取り戻し、ボクや叔母のことを心配したり、食べたいものを話題にするようにもなった。敬一と静雄に会いたいとしきりに訴えた。ボクたちも希望を取り戻していた。
ボクの日録では5月28日の日曜日に敬一と静雄を連れて、母と父、桜子、叔母とともにみんなで若菜のところに行っている。しかし、敬一と静雄にとって、これが母親との最後の抱擁になるとは、誰もが思っていなかった。
何十年経っても、昨日のことのようにこの日々が思い起こされ、胸が痛むのだが、若菜の最後の数日も記しておくのが、敬一と静雄に対するボクの責務でもあると考えたので、日録を記すことにする。
《5月28日》朝8時半起きる。広とマラソン。菓子パンで朝食。9時半出かける。11時20分病院。桜子と叔母、朝おかゆを食べたのよ、と喜ぶ。昼もおかゆを食べる。東京の叔父来る。昼食がてら広と優と叔父とで神宮の森へ。ニギリメシとジュースを買って食べる。六大学野球をやっていた。広と綱切りあそびなど。暑い一日。みんなは3時頃に帰宅。桜子と残る。桜子七時二十分の夜行で帰る。この日尿と便多い。いいことだ。夜苦悶する。夜中当直医師を二度起こす。心電図、血液検査など。血圧低下著しい。点滴に強心薬など。若菜一睡もせず。
《5月29日》小康状態か。点滴一日中になった。蒸し暑い一日。ほとんど何も食べない。昼間も眠れないらしい。そばにつきっきり。会社休む。叔母泊る。
《5月30日》8時半病院に。叔母と交代。点滴を嫌がる。むくみが目立つ。A医師海外学会のためK医師紹介。蛋白質入りの点滴するも効果なし。むくみは両の手と脚に激しい。顔もやや太ったように見える。褥瘡は少し乾燥する。会社休む。広歯医者に行かないらしい。泊る。
《5月31日》朝、気分はまあまあよ、と自分で言う。うれしい。褥瘡用のエア・ベッドを使わせてくれることになった。自分が若菜を抱き上げている間に看護師が何人かで素早く交換する。若菜は、さっぱりとすると気に入った様子。むくみ激しく冷感を訴える。午後から嘔吐激しくなる。叔母泊る。夜帰って広に歯医者に行くよう言い含める。
《6月1日》八時半病院。叔母と交代。手のむくみやや引いている。ここ数日杉並の姉と妹が毎日来てくれる。午後K医師たちが、話があります、とのことで呼ばれる。危険とのこと。母と叔母に電話。山形の父と桜子に来てもらうことにする。杉並の父に電話。今日はわりと落ち着いている様子。血圧80。
《6月2日》わりと落ち着いている。抱き起こしてお化粧をしてあげる。夜9時半山形の父来る。初物のサクランボを持ってきてくれる。とってもきれいね、と言ってうれしそう。父と二人で泊る。
《6月3日》朝早く桜子夜行で来る。とても喜ぶ。今までが嘘のような輝くような表情を見せる。父練馬に帰る。具合は良好。桜子のマジックか。杉並の父来る。昼ゼリーを1個食べてしまう。おいしい、と言って。看護師に言われ面会謝絶の貼紙頼む。前の病棟のK医師訪ねてくれる。
6時半、好子叔母と桜子に頼んで帰る。病室のドアを閉めるとき、桜子に腕をとってもらって、バイバイと手を振る。
このとき、いつものようにボクと若菜はしっかりと目を合わせた。大きな若菜の目が淋しそうに見送った。意識のある若菜との最後の瞬間だった。ボクが練馬に帰宅の途中で、若菜は気管に嘔吐物が詰まって呼吸が止まったのだった。ボクが自宅の玄関を入った途端に桜子と叔母から、このことを知らせる二度目の電話があった。
不思議なことにその時刻に、静雄が突然発熱し、口内炎のような症状が出たのだ。タクシーを呼び、父と母、敬一、静雄とで病院に向かう途中、杉並のボクの実家に寄って静雄の手当てを頼み、敬一も預けた。9時15分病院到着。そのとき若菜の自発呼吸は既になかった。
実はこの日、静雄は初めて一人で立って歩いたのだった。このことをボクは、既にボクに返事もしなくなっていた若菜の耳元で、何度も大きな声で伝えた。きっと若菜は、薄れつつある意識のなかで、このことを聞いて旅立ったと信じている。若菜の死の顔は静かで美しく和んでいたから。
《6月4日》零時二十五分、若菜逝く。
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