先述の君が代最高裁判決を読みながら、私は鑑三翁の不敬事件を思い起こしていた。鑑三翁は1891(明治24)年、当時勤務していた第一高等学校教育勅語奉読式典で、天皇真筆(のはずはないのだが)に奉拝(最敬礼)を為さなかった故に、同僚教師や生徒によって密告され批難された。この間マスコミは既に名の知られていた鑑三翁を指弾した論調を掲げ、自宅には汚物が撒かれ生徒が押しかけて暴言を続けるなどの暴力もあった。基督教会関係者も、ごく一部を除いて手のひらを返す如く鑑三翁と離反し政府寄りの主張を繰り返した。いずれも全ては明治政府及びこれに連なる”お上”への恭順を示す迎合だった。
こうしたこともあって鑑三翁の妻・かずは健康を崩し病いを得て同年死去した。この妻の死は、鑑三翁にとって人生最大ともいえる深刻な危機となった。このことは明治26年に発行された『基督信徒の慰』の中に「愛するものゝ失せし時」として記されており、「余は余の愛するものゝ失せしより数月間祈祷を廃したり」と信仰上の危機までもが表白されている。このことは私のこの連載で過去に扱っている(2021年5月5日「愛する者を喪ったとき」以後の記事など)。
後年、鑑三翁はこの不敬事件について次のように述懐している(明治42年10月)。鑑三翁48歳の時である。事件から18年の歳月が流れていた。現代語訳した。
【 私は第一高等学校の倫理講堂において、その頃に発布された「教育勅語」に向かって低頭し礼拝せよと、当時の校長代理の理学博士某に命じられた。しかしカーライル(注:Thomas Carlyle、1795-1881、イギリス〈大英帝国〉の歴史家・評論家。鑑三翁の愛読書『英雄崇拝論』などがある)、クロムウェル(注:Oliver Cromwell、1599-1658、イギリスのピューリタン革命〈1642~49〉の指導者) とに魂を奪われていた当時の私は、どうしても私自身の良心がこの命令に服従することを許さなかった。私はこの二人の勧めによって断然この命令を拒んだ。その結果私の頭上に落ちてきた雷電とは‥国賊、不忠者と呼ばれ、それに続く恐喝と怒りの礫であった。その結果私に忠実に尽くしてくれた妻は病気となり死んだ。そしてそれから数年間、私の愛するこの国のどこにも枕する所さえ見つからなかった。私の身体の健康はそのために長い間損なわれてしまった。そして私の愛国心は大きく傷つけられてしまい、かつてのようにこの国を愛する事も出来なくなってしまった。‥しかしながら私は今に至って考えるに、当時の事を悲しんではいない。私は確かに信じている、私の神はその時に私に命じてトーマス・カーライルの『クロムウェル伝』を購入して読ませられたのである。もしこの伝記とこの伝記が私に起こさせたこの事件がなかったとしたら、私の生涯は平々凡々とした取るに足らないものであったことだろう。】(全集16、読書余禄(カーライル著「コロムウェル伝」、p.509)
たかが本であるが、されど一冊の本。たった一冊の本が人間の人生を大きく左右することがある。特に若い時代の一冊の本にそのことが言える。鑑三翁の場合『コロムウェル伝』の神髄が彼を打つことで、天皇真筆の奉拝といった今では愚にもつかぬ行為を強制されることへの反抗・反発となって表現されたのである。人間として誠実にして真摯、キリスト・イエスへの信仰を第一義とする鑑三翁の信仰と気骨、信仰深きが故の自由人の為せる真摯な行動だったのだろう。老年の鑑三翁であったなら、この不敬事件なるものは起こらなかったかもしれない‥老年になった鑑三翁はそのように記している。鑑三翁らしい。
私は鑑三翁のいわゆる不敬事件と今次の教員たちの君が代不起立事件とは同質の問題を孕むものと考えている。都立高校の教員たちの訴えは、最高裁では敗訴したとは言え、地裁・高裁では勝訴している。しかし私はそのような裁判所の判定などよりも、長年にわたる生活の苦難とも闘う結果となった教員たちの、「人間としての誠実、真摯、後世への最大遺物としての不起立を実践した」気骨に敬意を表している。鑑三翁は先述のように『後世への最大遺物』(岩波文庫)の中で、どんな人間でも後世に遺すことのできるものは「勇ましい高尚なる生涯である」と記している。私は彼ら教員たちの姿勢にこの言葉を重ねている。
私事、私は高等学校時代(1960-63)、一年生の時に社会科の教師であった小沢三郎先生から一冊の本をいただいた。『内村鑑三不敬事件』(小沢三郎:新教出版社、1961)である。小沢先生が授業の中で内村鑑三に触れた際、私が鑑三翁のことを何度も質問したことが契機となって、小沢先生からいただいた著書である。この本の読後感を求められて、数日後教員室で読後感を述べたことが記憶に残っている。私はそれまで小沢先生が内村鑑三翁やキリスト教思想のすぐれた研究者とは全く知らなかった。キリスト教の何たるかをも知らなかった。鑑三翁のことを、なぜ・どのような質問をしたのかも記憶は定かではない。最高裁判決を機に鑑三翁や小沢三郎先生など、様々のことを考えることになったことを感謝している。
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