3月13日(木) 雨
笹倉牧師の紹介で、氏の友人の横浜市真砂町田中病院長田中進氏の診察を受けました。実に常識に適う診察結果で、その治療法については別に薬を用いる必要はなく、ある一つの摂生法を実践すれば、全て遠からず快方に向かうでしょうとのことで大いに安心しました。いずれにしても生命に関わる病気ではないとの診断で、家族たちにも励ましをいただいた。信仰をもつ人の診断は全て希望的です。かつ簡単で徹底しています。このような病気の状況にあって、この医師の診察を得られたことは大いなる励ましと慰めとなりました。
3月14日(金) 晴
発病以来絶対安静と言われて牢獄のような生活で、五十日以上二階に籠城していました。この間の不快さは例えようもなく、病気以上の苦痛を味わいました。思えば近世医学は病気を治療しようとするあまり、病気以上の苦痛を患者に与えています。病気が苦痛であるということは、病気以上に医学が病者に与えている苦痛なのです。
今日は六十日ぶりに二階を降りて、家族とともに居住を共にすることができて、大きな喜びがありました。もしこのために病気のぶり返しがあれば、医学はもちろん強い詰責を与えるでしょうが、私は人類の幸福のためには、近世医学もこの点につき大いに考えるべきことを求めたいと思います。
いずれにせよ春が到来して万事が幸福になりつつあるのです。問題の解決者は人間にあらずして神と天然とであります。感謝すべきことです。
3月15日(土) 曇
三月も半ばです。今日はシーザーが暗殺された日で有名です。今から二か月が一年の黄金期です。この間には多分床を払うことができるだろう。しかし床を払うことができなくてもいい。病床ですべき病床での仕事があります。いかなる状況であっても、これに応じて神に仕えることができます。
何もかつてのように聴衆が平均毎回五百人という集会を引き受け、四年間にわたって帝都の中心地で十字架の福音を唱えたような仕事だけが、自分に遺された仕事ではありません。病の床にあって信仰の讃美歌一篇を歌うだけでも大いなる仕事です。そう考えてまず心に平安を得て、その後に恢復を図ることとしよう。