私の「認識台湾」

個人的な旅行(写真)の記録を主眼としつつも、実態は単なる「電子落書き帳」・・・・

向田邦子さんの見た鹿児島

2005年08月22日 | 忘備録
昨日は「SL人吉号」のラストラン(人吉~熊本)で空路宮崎入り(SLに乗るために空路を利用というのが何とも・・・・)して、鉄道愛好家の面々と写真を撮るやら宴会やらで終日大騒ぎしておりました。
人吉を発車したSLが汽笛一声前進する度に、手を振る人あり、カメラを構える人ありと一身に注目を集めておりましたが、今でこそ珍しがられているSLも、昭和50年に全廃されるまでは、「無煙化=動力近代化」が国鉄の命題であり、煙を吐いて走る機関車は機関士・乗客共に迷惑以外の何者でもない存在でありました。当時は冷房何てのも一部の優等列車を除きほとんど完備されていませんし、トンネル突入時に窓を閉め忘れようものなら悲惨だったと父親も述懐しておりました。途中松橋駅で特急2本退避のため10分程停車したのですが、運転台に上らせてもらいましたところ、暖炉のように赤々と燃え盛るカマの前はまさにサウナ状態!こりゃ機関士も大変だなと目を丸くいたしました。

「四十年前の鹿児島は、遠い国であった。東京から東海道本線、山陽本線、鹿児島本線と乗りついで、二十八時間かかっている。日支事変が始まったすぐで、八幡製鉄所のそばを通過する時は、車内に憲兵が廻ってきて窓を閉めさせられたことを覚えている」(鹿児島感傷旅行~『眠る盃』より)
向田さんの父君は当時東邦生命の支店長でしたから、「寝台つきの列車で任地に赴く」というのはかなりの待遇だったのでしょうが、それでも丸一日以上の難行苦行の旅ですから、往時がしのばれます。現在では、概ね移動時間が4時間を超えると人々は苦痛に思うそうで、東京~広島のようにその辺りが陸路(新幹線)と空路の競合ラインになっておりますから、隔世の感がありますね。
盆休みに向田さんがこよなく愛した今日の鹿児島を無計画にふらりと回って参りましたが、ガイドブック&ガイド役は向田さんの『眠る盃』。向田さんの文庫本に出てくるスポットを適当に訪ねてみましたが、向田さんに「解説」していただいているようで中々新鮮な感覚でした。
「鹿児島近代文学館」には、向田邦子(放送作家)と記された手書きの原稿や遺品のワンピースなども所蔵されており、向田さん以外にも鹿児島に縁のある大家の貴重な資料が展示されており、大変見ごたえがありました。童話作家として大変著名な椋鳩十氏なども、鹿児島に居を構えて生涯を終えられたのですが、向田さんも存命であれば同様の選択をされたのではなかろうかと思いました。
ウォーターフロント地区の開発、新幹線開業に伴う鹿児島中央駅周辺の整備等、ここ数年で鹿児島も随分がらっと変わった印象がありますが、圧巻だったのは、昭和54年に向田さんが鹿児島を再訪された折に宿泊されたサン・ロイヤルホテルの展望台浴場から見る桜島でした。
向田さんの文庫本に出てくる日没前の時間を狙って浴衣に着替え、いそいそと向かいましたが、ここのホテルのサウナは窓の向こうの桜島をじっと睨んで汗を流すという何とも酔狂な作りとなっています。
「桜島といえば、サン・ロイヤルホテルの窓から眺めた夕暮の桜島の凄みは、何といったらよいか。午後の太陽の光で、灰色に輝いていた山脈が、陽が落ちるにつれて、黄金色から茶になり、茜色に変わり、紫に移り、墨絵から黒のシルエットとなって夜の闇に溶けこんでゆく有様は、まさに七つの色に変わるという定説通りであった。(中略)あれも無くなっている、これも無かった―無いものねだりのわが鹿児島感傷旅行の中で、結局変わらないものは、人。そして生きて火を吐く桜島であった」
これが向田さんが見た鹿児島だったのだな、と思うと大変感激いたしましたし、また是非この光景を眺めてみたいものです。

それにしても新幹線効果で鹿児島は賑わっていました。地元が熊本の私などは、開業一番列車に乗りに行った時なども「→新幹線のりば」という駅の表示がずいぶん羨ましく思えましたが、以前の鹿児島は、高速道路も10年ちょっと前にようやく開通、鉄道は鹿児島本線とは名ばかりのノロノロ走る単線、空港は市内から70分強と、東京から赴くのも、福岡から赴くのも大差ないような不便な都市でありました。開業列車に乗った直後、私は南日本新聞に、
「今回の開業は、東京起点・東京中心という従来の新幹線網整備の常識を覆す画期的な試みである。私の住む福岡市でも様々な交流イベントが催され、人々の南九州への感心は否応なしに高まっている」
と、部分開業ながら今回の新幹線開業は維新と並ぶ「歴史が動いた瞬間」であり、必ず当たるという見解を投書しましたが、果たしてその通りになったな、という感慨です。
鹿児島の商工会議所は、昨年秋に不動の超人気番組「サザエさん」のオープニングに鹿児島を売り込むというこれまた大胆かつ熱心な奇襲作戦に成功しましたが、私の地元の熊本などは少しは鹿児島の爪の垢を煎じてもらいたいものです。築城400年で巻き返しを図らないと鹿児島中央~新大阪が3時間40分で結ばれる5年後の全線開業後は、ますますジリ貧になってしまうのではなかろうかと懸念されます。

向田さんが存命なら、開業日の鹿児島中央駅の14番線での式典に参加されていただろうと帰路の新幹線では本当に残念に思いましたが、今日は向田さんが台湾で遠東航空での事故に遭われた命日です。新幹線つばめは屋根が朱色に塗られていて大変目立ちますので、天上から九州新幹線の早期完成と安全を祈念していただいているのではなかろうかと思います。

※写真・・・・黄昏時の桜島

雄大の一言に尽きますが、こんな火山を間近にある都市というのも世界的には稀なのではないでしょうか??

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3 コメント

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行き着く先は・・・ (じょりー)
2005-08-22 17:57:03
どうもです。



話の腰を折るようですが・・

ただ、開通がもたらすものは利便性ばかりではありません。

人材流出による空洞化の加速と福岡への一極集中です。

不便な方が良い事もあるのです。



ちなみに、広島 ⇒ 鹿児島は、市内の空港からコミューターのプロペラ機が出てますので、2時間弱でつきます。

関係ないですが。^^;
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ストロー効果 (tsubamerailstar)
2005-08-22 18:56:18
>不便な方が良い事もあるのです。



いわゆる「ストロー効果」についてですね。

まぁ、確かに鹿児島の場合地元で固まっていたという側面が強かったですから、ある意味これに関しては相当な危機感があったでしょう。しかしながら、開業一年後時点での統計では流入>流出という塩梅のようですし、少子高齢化で生産年齢人口の減少というのが見込まれる中では、観光資源等を基盤とする交流圏の拡大は不可欠な要素です。

鎖国のような状態で縮小均衡を続けて置く方が賢明だとは私は思いませんが。





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仰せの通りです。 (じょりー)
2005-08-23 11:03:28
こんちは。



tsubamerailstarさんのご意見は至極真っ当なものです。



が、ベッドタウンの機能を果たせない限りストロー現象は必ず発生すると私は考えています。そのベッドタウン機能としては鹿児島は、火山灰の影響もあり弱い。観光にしても、屋久島・種子島の拠点ではありますが、欠航丸と揶揄される高速ジェットでは客を市内に止める事は無理でしょう。(種子島に仕事で行ったときに往生しました。風雨で予約していた飛行機が欠航になったので。^^;;)

後はイメージとして焼酎・桜島ですから・・・観光もそれほど強いとは思えません。



ただ、今後の鹿児島の施策でいかようにもなります。

地方が活性化することは日本の発展にもなりますので、今後の施策に期待したいと思います。



余計な書き込み失礼しました。
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