私の「認識台湾」

個人的な旅行(写真)の記録を主眼としつつも、実態は単なる「電子落書き帳」・・・・

復刻版、綜合教育讀本

2007年05月03日 | 台湾
この連休は疲労回復を主眼として、未聴のCD、未読の書物を消化しつつ引き篭もり生活を堪能しようと目論んでおったのですが、天皇賞の馬券を外すなど連休前半は惨憺たる有様。やはりじっとしているのは性に合わないようで、連休後半は近場で〝乗り鉄〟でも適宜取り入れようかと思ったのですが、起きたら昼過ぎ。あぁ、連休後半も無為に一日が過ぎていく・・・・

◆蔡焜燦氏 母校を訪ねて 日本統治下の学校教育に誇り(産経)
◆「日本人よ胸を張れ!」“老台北”蔡焜燦氏語る(産経)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~                  序
一、教育を教育の全野(眞善美堅健富)に向って行はんとするところにより
  各教科に関係する教育レコードを購入し 其の歌詞及文句等を集め本書
  となし 之に綜合教育讀本と名づく
二、公学校教育の目的は日本精神を涵養し 眞の日本人を造るにあり 国語
  教育の徹底は 其の目的達成上重要なる位置を占む。本書は同讀本とし
  て使用せしむ。
三、藝術教育特に日本音楽による情操陶治 感情教育は公学校に於いての堅
  要一つなり。
四、趣味を日本人化し 日本人的生活をなさしむことに依って 眞の日本人
  は造られるものと信ず。
五、音楽の力は偉大なり 西洋人は西洋音楽に因って 支那人は支那音楽に
  因って造られたものと信ず。
六、映画教育施設と本施設に依って 従来なし得ざりし点の綜合教育を施し
  特に国史に重点を置いて徹底せる徳育の実際化日本人教育に努力せんと
  す。
七、ラヂヲ、教育レコード 肉声 自由自在に教室及朝会場並びに講堂に放
  送し教育上之が活用をなすべく特志者の寄附に依り施設を完備し 綜合
  教育施設と名づく。
八、本施設は本島には勿論内地に於いても未だ試みられざる施設にして 創
  意的発案に依る施設なり
九、本書はレコード購入の都度ページ数を増し 且つ本書の頁はレコードに
  記し聯絡あらしめ使用に便ならしむ。
一〇、本書は入学より卒業まで必要なるものにして 卒業の際は記念として
  学校に残し、新入学児童に惠興するものとす。

 昭和十年八月一日
                       清水公學校長 川村秀徳
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「願わくば諸兄姉、当時日本全国にもどこにもなかった設備を持った、私の誇りである母校の歴史を、少しでも残したいという私のささやかな心願に、お褒めのお気持ちをいただけたら幸いである」と清水公学校第三十八回卒業生の蔡焜燦氏は前書きに記されていますが、「生活が落ち着いてから、私はこの綜合教育讀本の復刻を考えるようになった」という時点からして凄い!(小学校の頃の教科書は実家にあったっけ?)卒業生の手により「創意的発案に依る」先進的な視聴覚設教育が今日に知らしめられた形となり、泉下の川村秀徳校長も感無量なのではないでしょうか。
この「綜合教育讀本」は「レコード購入の都度ページ数を増し」最終的には500ページを超える分厚い教材となったようです。(親戚の子が持っている日能研の中学受験用テキストの倍くらいあるような!)しかも正規のカリキュラム外の課外授業で用いられた教材な訳で、当時の清水公学校は校長以下大変教育熱心だったようですね。
「綜合教育讀本」の存在は、教育の現場において学校側の自由裁量がある程度許容されていたことの一つの例証でもあろうかと思いますが、「特志者の寄附に依り施設を完備」というのも目を引きます。日本歌曲のレコードは藤原義江、関屋敏子など戦前を代表する名歌手の録音が所蔵されていたようですが、当時としてはレコード一枚と言っても大変高価だった訳で、ハード面に加えソフト面での拡充を図るべく「特志者の寄附」を募る努力も相当なものだったのではないかと推測されます。物心両面で公教育を支える民間の存在が戦前の外地にあったという事実は特筆すべきものでしょう。

川村校長は国語、芸術(音楽)、歴史(国史)教育を重視していたようですが、「日露戦争が始まってから、連戦連勝の日本に較べて、散散に敗けて居たロシアは、今は之とばかり、本國の「バルチック海」に居た大艦隊を、遙々東洋に向けて日本と最後の勝敗を争はふと決心しました」(海軍記念日)といった件は、ルビが全く付されていませんし、今日の教材では「御機嫌」といった小学校で習う1006字以外は、漢字にルビを付さずに「ごきげん」と平仮名表記に改めるのが通例です。表記もさることながら、所蔵されている内容も「日本精神に目覚めよ」というジュネーブ帰りの松岡洋右外相の講演などは、対象年齢を考えると相当にハイレベルだと思いました。
「これが植民地の学校だろうか。植民地、植民地といって(統治時代の問題など)でたらめなことをいう人がいるが、(副読本は)日本人が当時、こんなにも高い教育を台湾で行った事実の証明ではないか」と蔡焜燦氏は述べていますが、教育の方針や方向性が今日的な価値観と合致しない点はあるにせよ、少なくとも「戦前の日本は植民地において愚民化教育を行った」などというのはあまりに皮相な見方であろうかと思います。

先だってJR東海の葛西会長が『週刊文春』誌の対談記事の中で、国語教育をないがしろにした外国語教育に対する疑義を呈していましたが、実際問題母語の能力を凌駕する外国語力というのはあり得ないものでしょう。ましてや、高等学校のカリキュラムで第二外国語などというのは論外であり、そんな時間があるなら古典や漢文にでも費やすべきだと私自身は思います。「国際化」や「異文化コミュニケーション」といった軽薄なお題目の下に土台である国語力をないがしろにするのは、砂上の楼閣を築くが如き愚挙に他なりません。中学受験では、漢字と計算がしっかりしている生徒が最終的に強いなどと言われていましたが、やはり読み・書き・ソロバンというのは機軸となる学力だろうと思います。

「公教育の再生」が叫ばれている今日ですが、是々非々の姿勢で明治期以来の教育史を改めて見つめ直してみると有益なヒントが見つかるのかもしれません。まさに「温故知新」ってヤツですかね・・・・

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