私の「認識台湾」

個人的な旅行(写真)の記録を主眼としつつも、実態は単なる「電子落書き帳」・・・・

甦った集集駅

2007年01月08日 | 台湾

先月26日の台湾南部震災では海底ケーブルも損傷を被り、近隣諸国に広範に通信障害がもたらされました。家屋の倒壊等に伴う人的・物的な被害に憂慮するのは当然のことですが、Chunghwa Telecom(中華電信)の会見の模様をニュースで眺めつつ、通信回線においても台湾はクロスロードなのだなと実感するとともに、IT時代の死角のようなものを痛感した次第です。今回の件を受け、多重経路のネットワーク構築が急がれるところではないでしょうか。

台湾の南投懸一帯は99年の大震災で特に甚大な被害を被った地域のようで、台鉄集集線・集集駅の傍らにある銘板にもその痕跡が見受けられました。銘板には『大正11年に「木造平屋切妻洋小屋」として建築された同駅は、民國88年の地震で倒壊し、3年後に復元された』旨記されていたのですが、震災という災禍を経て甦った同駅は、復興のシンボルの一つでもあるのでしょう。被災地つながりの神戸と台湾では市民の交流会等も催されているようです。

〝鉄分〟が濃い人間には駅舎の内部(写真)等も筆舌に尽し難い趣(ドラマやCMの素材などにも「使えそう」)であり、現役の駅舎としては大正3年竣工のJR九州門司港駅と同世代といったところでしょうか。駅付近の果物屋(バナナ屋?)には青いままのバナナ(写真)も並んでおり、日本ではお目にかかれない光景が何とも物珍しかったのですが、レンタサイクルを利用した付近の散策(写真)が何とも爽快でした!11月の下旬でありながら、Tシャツ一枚で汗ばむほどの陽気で、翌々日昼頃九州に戻った際は我知らず違和感を覚えた次第です。

集集に赴く際は終点の車(※)呈(※土へん)駅まで「乗り鉄」して折り返したのですが、折り返しの車中トンネルに差し掛かったところ、車掌氏(写真)が「このトンネルは日本が掘ったが、先の集集大震災でも崩れなかった」と教えてくださいました。「技術を持ち込んだのは日本でしょうが、当時の日本人と台湾人の協力の賜物でしょう・・・・あ、このディーゼルカー(写真)こそ日本からお買い上げいただきまして!」と返答したところウケたようでした。風光明媚な車窓風景に加えて、日本との縁が深い温故知新な光景が時折垣間見えるのも台湾鉄路の魅力の一つでしょう。

先頃の地震で損傷した海底ケーブルの修復に際しては、日本の敷設船が先陣を切って基隆港に駆けつけたようですが、様々な意味合いにおいて頼れる隣人・日本でありたいものだと思います。

〔備忘録〕・・・・集集線は一日九往復と本数が少なく、西部幹線の基点である二水駅での接続もあまりよくないですね。列車が遅れても接続待ちはしてくれないので帰路は二水駅で一時間強路頭に迷いました。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そういえばここはまだです (宜蘭人)
2007-01-09 00:00:30
こんばんは。

そういえば集集線はまだ乗ってないです。。。
今度車で南部出張に行ったら、二水駅に車止めて往復っていう手もありますな!
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謹賀新年! (yosiaki)
2007-01-09 18:52:54
遅くなりましたが明けましておめでとうございます!

大正11年という記し方がされているんですね!某半島だったら親日行為としてエライ目に遭うように思いますけどw

インフラ等の整備面については管理人さんの発言は見識だと思います。「日本が整備してやった」みたいなニュアンスだと尊大な物言いに聞こえるような。媚中を姿勢から一歩引いて、台湾は台湾というスタンスで協力関係を進めていくべきですね。
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