旗山の台湾製糖鉄道は、屏東線(南廻線)の九曲堂が起点だったようですが、昨年の9月末は、枋寮までの〝乗り鉄〟を試みました。サトウキビやバナナといった農産物を高雄に運ぶ、重要な基幹路線として敷設されたのでしょうね。
〝鉄分〟が濃い人間は、新幹線よりむしろこういう列車に心躍るようで・・・・
後庄駅を過ぎると、台湾南部らしいローカルな車窓に。
高屏渓に掛かる大鉄橋(の残骸)はこの区間の見所の一つでしょうか。
戦前は下淡水渓鉄橋といった名称だったのかもしれませんが、目測で1.5km前後にも及ぶ見事なトラス橋です。戦前は帝国最大級、「東洋一の大鉄橋」だったのでしょうね。(そう言えば最近「東洋一の○○」という表現を聞かんな・・・・)
竹田駅はビンロウ畑の中にあるような風情。付近に国道三号の竹田JCTがあり、モータリゼーションの波に飲まれているのでしょう。停車本数は少なく、日中は無人駅のようです。
昭和十四年に建てられた竹田駅舎ですが、地元民の熱心な働きかけで保存されるに至った旨記されていました。現役の駅舎として活躍している分、南投の集集駅(記事)の方が個人的にはインパクト大で、観光的観点では軍配があがるかと。
枋寮か佳冬では墾丁列車(バス)に乗り継げるので、墾丁国家公園の観光と組み合わせて訪れるのもいいかもしれません。
駅前は「竹田驛園」として整備され、旧駅舎を中心に地元民のコミュニティスペースとなっているようです。17時頃にはさーっと人が退けてしまい、飲食店の類は「火車風情」という喫茶店位しか見当たりませんが、通過する自強号を眺めたり、客家のおばさんと片言の日本語&筆談であれこれ話しできて面白かったです。
旧駅舎と並ぶ竹田驛園の名物が、この池上一郎博士文庫。時間外に訪れたようで、残念でしたが、edaats様(千点写行)から依頼されていた劉代表宛の伝言を名刺の裏に走り書きして入り口の扉に挟み、任務(?)完了。また機会があれば〝旧同胞〟への挨拶がてら立ち寄ってみたいものです。(→参考:池上一郎文庫と竹田駅)
復路の莒光号の車中で、2歳位の男の子と遭遇。「お菓子の類は持ち合わせていないし、言葉も通じないから困ったなぁ・・・・」と一瞬思いましたが、ドカーン、ガチャーン等という擬声語を発しておもちゃで遊べば済む話でした。
母親らしき人は右奥の席で爆睡していたのですが、目を覚ますと、やおら饅頭を猛烈な勢いで食い始めたのにはずっこけました・・・・
腹が減ってきたので、 屏東で下車することにしましたが、この時点では本日の宿泊先未定・・・・まぁ、この街なら何とかなるかと思います。
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南部の景色は何となく原体験のような気がしてきます。どこへ行っても落ち着く風情があるので好きです。
年のせいでしょうか・・・・(^^♪
>南部の景色は何となく原体験のような気がしてきます。どこへ行っても落ち着く風情があるので好きです。
どうしても台北市に一極集中する嫌いがありますが、ぶっちゃけそれ以外の台湾の方が面白いのではないか?という気がしますよね。
昔、池上文庫と池上弁当を混同してました。(爆)